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衝撃的な哲学の音を聴きました!

いやー……、いやー……、これほど言葉にならない衝撃を受けることになろうとは……。ついに開幕を迎えた羽生結弦氏によるアイスストーリー第3弾「Echoes of Life」さいたまスーパーアリーナ公演の初日に行ってまいりました。ある程度覚悟というか、「初日は情報量に圧倒されて記憶喪失になって終わり」という経験的予測は携えていたものの、脳に膨大な情報を一気に送り込まれたような気分で、帰宅してもなお呆けたまま朝を迎えています。

自分は何を見たのか、何を感じたのか。それすら表現できない呆然自失のなか、ただ「この問いとこれから数ヶ月にわたって向き合える」という喜びを感じています。この先もいくつかの公演に立ち会い、幾度か解釈に挑むことになるだろうと思いますが、その時間は濃密で充実したものになるだろう、そのことは初日をもってハッキリと確信できました。それでこそツアーを追う甲斐もあるというもの。壮大な謎解きに挑むような気分で、「Echoes of Life」の深淵を覗き込み、少しでも理解を深められるように楽しんでいきたいなと思います。

↓さいたまスーパーアリーナは大変な熱気に包まれていました!
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↓現地の雰囲気は動画でまとめておりますのでコチラをご覧ください!


散策の振り返りに手をつける余裕がないので動画でご覧ください!

大看板とかグッズ販売の様子とか企業ブースとかイルミネーションとか!



何から手をつければいいのやらという感じですが、今日はまずスタートラインの後ろ、本来なら「予習」段階に相当するあたりから自分なりの整理をしていきたいと思います。公演前に届いていたストーリーブックと、実際の公演を鑑賞して思うのは、この公演は哲学書ならぬ哲学ショーであり、羽生氏が思考する「生きるとは」「命とは」といった人類の根源的な問いに対する回答(あるいは途中経過)をアイスショーの形式で提示するものだと僕は受け止めました。

公演をご覧になった方は誰もが「哲学的だな」と感じたことでしょうし、パンフレットを読めば今回のストーリーを書くにあたって哲学書や小説を読んだと率直に語られています。特に書名を挙げられた「生誕の災厄」「水中の哲学者たち」などは本公演を理解するための有力な手掛かりとなることでしょう。そして、公演後のインタビューでも真っ直ぐそのまま「『生きる』ということについて、皆さんなりの答えが出せるような、哲学ができるような公演にしたい」という意欲が語られています。この公演の本質はきっとそこにあります。哲学ができる公演、それが「Echoes of Life」です。

思うにこのテーマは羽生氏のライフテーマであり、これまでの演技・公演にも常に大いに含まれていたのだろうと思います。もちろん直近の「RE_PRAY」にも大いにそうしたものを感じてはいました。ただ「RE_PRAY」の際に僕が初動を誤ったなと思っているのは、羽生氏は「生きる」「命」がテーマであるということを公演でもインタビューでも最初から最後まで徹頭徹尾語っているのに、僕は目の前にあるゲーム的な表現やオマージュに囚われ過ぎてしまい、因果を逆にしてしまったなと思うのです。「RE_PRAY」はゲームのつづきとして生まれたものではなく、ゲームを含めたさまざまなものからの影響を受けて生まれた羽生氏の「生きる」「命」への思考をゲームを軸に束ね・表現した、そういう因果であったのだろうと。元ネタありきのストーリーなのではなく、生まれたストーリーにイメージが重なるものとしてそれぞれのゲームが改めてハマった、そういう因果なのだろうと。

その意味で、今回の「Echoes of Life」にも多数の影響を与えた作品があり、それと重なるイメージが数多く含まれていそうですが、この公演を理解するために必須のものではないのだろうと思います。公演のセットリストにはアニメ「攻殻機動隊」からの楽曲、ゲーム「ペルソナ3」からの楽曲、アニメ「STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)」からの楽曲などが含まれておりますので、「攻殻機動隊」を知っている人であれば本作の主人公である「VGH-257」「Nova」についてのイメージがしやすくなるかもしれませんし、「ペルソナ3」を知っている人であれば「ルーム」と呼ばれる謎の空間をゲームに登場するベルベットルームと重ねることもできるでしょう。そして世界の構造について、「STEINS;GATE」のように複数の世界線を認識しながら時間を超えた干渉を行なっていくようなストーリーであるという可能性も想定できるかもしれません。

知っている人にとっては、そのイメージは「母国語への翻訳」のように理解を助けるものとなるでしょうが、ただ、知らなかったとしても問題はないのだろうと思います。あくまでも本質は羽生氏による哲学であり、「生きる」「命」を思考する際に、同じような思考が描かれる先行作品は「重なる」「ハマる」存在だったのかなと。なので、僕個人としてもあまり先行作品との共通点探しや違い探しには没頭せず、素直に「生きる」「命」を見つめていきたいなと思うのです。現時点ではそこまで手がついてはいませんが。

↓公演のセットリストはこのような感じだったとのことです!



(※以降、公演とストーリーブックを見たことを前提とする、本作のあらすじを含めた内容となりますので未見の方はご留意ください)

この公演が哲学ショーであるとしたときに、「Echoes of Life」というストーリー自体にも「生きる」「命」「哲学」という補助線が引けるだろうと思います。本作の主人公は、「遺伝子を操作し、多様な職や生活のために、能力に専門性を持たせた」「造られしもの」であるところの「VGH-257」「Nova」と呼ばれる人物です。「攻殻機動隊」の世界観に近そうでもありますし、僕が理解しやすい作品に置き換えるなら「機動戦士Zガンダム」のフォウ・ムラサメのような強化人間的なものだったりするのかなと思います。

Novaが持つ能力は「言葉や文字を『音』として感じ、その身に宿すことができる」ものだとされ、「この世界の記憶、かつて存在していた『命』の残響を『再生』することができる」と語られます。よく理解が及んでいないのですが、過去の文献や記録を通じてその事象を自身に音として宿し、その音を再生することでその事象…命さえも再生できるような、神のごときチカラを持っていると一旦受け止めようと思います。これも僕が理解しやすい作品に置き換えるなら「ジョジョの奇妙な冒険(第4部)」に登場するエコーズACT2の強化版のような能力なのかなと思います。

そんなNovaは荒廃したディストピアで目覚めます。たったひとりの命として、他者の存在しない世界を彷徨い、「生きる」「命」について次々に問いを巡らせていきます。その「問い」を持つたびにNovaは「ルーム」という謎の空間に行くのですが、これは深層心理というか「ペルソナ3」のベルベットルームというか、Nova自身の内なる思考の世界なのかなと思いました。そこで対話するルームの主は、Nova自身の別の意識、あるいはいくつもの世界線を束ねて存在する高位のNovaだったりするのかもしれません。対話のなかで哲学を深めていくのは、「水中の哲学者たち」などでも実践されているスタイルのようですので、哲学におけるひとつの有効な手法なのだろうと思います。

やがてNovaは「命とは何か?」「生きるとは何か?」「正義とは?悪とは?」「わたしとは?」「過去とは?未来とは?運命とは?」「死とは?」といったさまざまな問いと向き合って成長していきます。あるいは、そうした問いが自然に行なわれるように、この作品世界がディストピアになったと逆説的に言えるかもしれません。天災や戦争に遭遇したとき、人は「生きる」「命」について深く考え始めるものですから。

そうした思考を重ねながらストーリーのなかではNova自身についても語られていきます。公演では詳細は語られていませんでしたが、ストーリーブックと合わせ読むとNovaの過去についても見えてきます。現時点で僕が思っている物語としては、まず今はNovaとなった「わたし」はかつて人間の孤児であったようです。「わたし」は健康状態が思わしくなく、すでにVGHが発達した世界ではそうした人間の価値が低くなっており、間引かれる側の存在だったのだといいます。その「わたし」を哀れんだVGH(VGH-127と呼ばれる人物だと思われる)が「わたし」を救おうとするも及ばず、「わたし」は死にます。その際の深い嘆きにより「わたし」を哀れんだVGHもまた死に、それがほかのVGHたちに伝播し、人類とVGHとの最終戦争が起こったのであると。その際、VGHたちは一度死んだ「わたし」をVGHとして生かし、「音」のチカラを与え、その「音」のチカラで大量殺戮兵器の音を「再生」したことで世界は滅んだ……そんな話である模様。つまり「わたし」であり「Nova」であるものはこの世界を滅ぼした存在なわけです。

そうして見ると、このNovaという人物には「滅び」と「再生」というふたつの相反する命の側面が同居しています。思えばそのことはストーリーの冒頭から示唆されていました。この人物が目覚めたときのカプセルには「VGH-257」「Nova」と刻まれていましたが、これは「VGH-257 Nova」と連続して読むのではなく「VGH-257」という大量殺戮兵器としての彼に与えられた名と、そのチカラを再生に使い新しい世界を作ってほしいという祈りのもとに与えられた「Nova」という名前が別個に存在しているのではないでしょうか。「Nova」とはラテン語で「新しい」という意味ですので、そのチカラで新世界を創造してほしいと、そんな祈りをこめて誰かが名付けたのかなと。

まとめますと、主人公は「滅び」と「再生」という相反するふたつを身に宿しながら、どのようにも転び得る無数の世界線のなかで、自分の「生きる」「命」の答えを求めていく……そんなストーリーなのかなと感じています。これはディストピアを舞台にしたマルチバース的なSF作品として成立しつつも、「生きる」「命」を哲学するためのお膳立てでもあるように感じます。哲学を哲学として語るのではなく、エンターテインメントのなかで語れるように「ストーリー」というレールを敷いた、そんな構造なのかなと思うのです。

……という視点で実際の公演を見て行きたいと思いつつ、あまりに情報量が多く、語ろうにも言葉にならず、夜が明けてしまったので、それはまた次の公演を見てからにできればと思います。初演は羽生氏の大誕生祭とも重なっており、本来ならその感想などにも手を付けたかったところですが、「公演について順次振り返っていって最後に大誕生祭」のつもりが、「公演について振り返る準備」でチカラ尽きてしまったなと反省するばかり。ただまぁ、あの情報量では致し方ないかなと思います。まずは自分なりの観測点をひとつ据えたうえで、CS放送の録画見返し、2日目以降の公演鑑賞など進め、ジワジワと「Echoes of Life」への理解を深めていけたらいいのかなと。時間を重ねるなかで軌道修正したり撤回したりいろいろあるかもですが、それも含めて「アイスストーリー」の味わい方と思って、楽しんでいきたいもの。まずは素晴らしい公演の開幕と、羽生氏の盛大なる誕生日を祝って、「今は少し、お休みください」の心です!

↓とにかくすごい公演でした!今は「とにかく何かすごかった」としか言えませんが!
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ショーを見たのに、ショーの感想にたどりつけないってどういうことなのかと!

それでこその「アイスストーリー」なんでしょうね!



「何かすごかった!」「誕生日おめでとう!」までで寝るのが正解だったかも!