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「伝える」ことで育まれる強さ、感じました!

「このやんごとなきお方が、24時間前は11万円くらいする拳銃型オタクグッズ購入に大興奮してSNS連投ニヤニヤニマニマデュフしていたのか…」などと思いながら迎えた12日の夕方。この日は襟を正し、背筋を伸ばして受け止める大切な番組の放送日でした。日本テレビ「news every.」にて、スペシャルメッセンジャー・羽生結弦氏による「伝えたい思い」の最新レポートが届いたのです。

今回羽生氏が向かったのは平成以降最大規模の山林火災に見舞われた岩手県大船渡市です。2月26日に発生し、4月7日に鎮火が宣言されるまで実に1ヶ月あまりにわたって燃えつづけた大規模な災害ですが、その鎮火とともに僕の心や視線はその地から離れてしまっていたのではないか、そんなことをハッと思わされるような「つい2ヶ月前」の出来事について、「その後」そして「今」を羽生氏が伝えてくれました。




先月28日の訪問だという紹介から始まったレポート。災害に見舞われた多くの現場を伝えつづけている羽生氏にとっても、とりわけ我が事とする東日本大震災の被災地域に「そこがまた」となった今回の山林火災は、痛切な思いを抱かせている様子。移動の車中でも、現地を歩く際も、被害の様子を見つめる視線は沈んでいます。

遠くでニュースとして見ている際は「山林火災」として木々が燃える場面が印象に残っている出来事ですが、同時に多くの住居や建物にも炎は広がり、そこにあったはずの「生活」が炎によって失われた出来事でもありました。燃え落ちた建物や生活の痕跡に目を向けていく羽生氏とカメラ。ヘリではなく徒歩で、望遠による遠景ではなく人間の見つめる視線で、その現場を直視することの大切さを改めて感じさせられます。

そんななか羽生氏が向かったのは地元の綾里漁協の倉庫です。こちらは今回の火災で全焼したということなのですが、実は東日本大震災の際にも被害を受け、震災後に新たに建て直された建物なのだとか。建物の構造部分の新しさだったり、倉庫ということもあるのでしょうが十分な高さを備えた建物であったりするところがうかがわれると、「そこがまた」失われてしまったことに、さらに胸が締め付けられるような思いです。

この倉庫には漁に使う定置網が保管してあったとのことで、建物の被害はもちろん日々の仕事自体ができなくなるような状況を前に、「がっかりしたな」「14年前も震災でここの倉庫もすっかりやられたっだからね」「また今度は火事かっていう複雑な思いだったね」「まぁ起きたことはしょうがねぇから…うん」と語る漁協の方。その落胆とも諦念ともつかないような声は、僕個人としては懐かしいお国言葉でもあり、それだけにチカラを落としている様子がひしひしと伝わってきます。能登半島の震災でも、震災そのもの以上にのちの豪雨災害の際に心を折られたという人たちがたくさん見受けられましたが、同じような辛さや痛みを大船渡の方たちも抱いていることでしょう。能登についても伝えてきただけに「3.11のあとに建てたということを考えると…本当に…心が折れますね…これは…」と言葉を絞り出すような羽生氏の姿には、こちらも黙り込むよりありません。

ただ、そんな沈み込むような状況でありながら、その後のレポートは力強い希望が滲むものでした。何と、この状況を知った宮城県女川町の水産会社が現在は使用していない網を貸してくれたのだといいます。女川町も東日本大震災で特に大きな被害を被った地域ですが、そうした地域間の助け合いが行なわれていることに、胸がじんわりと熱くなります。借りた網を港に広げ、手作業で漁に出る前の修繕を施す漁協の方々と、さっきとは打って変わった力強さで発する「今年(漁が)できるだけでありがたい」という言葉。盛漁期は5月から始まっているということで、すでに6月になるという決して十全な状況ではないのでしょうが、震災を乗り越えてきた人たちのたくましさがあふれていました。



その後、羽生氏が訪れた中学校でも力強い希望が輝いていました。こちらの学校では「避難所運営体験」として3年生が運営側、1・2年生が避難者の立場となって避難所の運営を体験する訓練をしているというのです。「ペットを飼っている人が避難してきた場合」「高齢者の方が避難してきた場合」「妊婦の方が避難してき場合」など、実践的な想定の数々が盛り込まれた訓練を生徒さんたちがやっているというのは、とても素晴らしい取り組みだなと感嘆しましたし、率直にすごい取り組みだなと驚きました。

災害の際に避難所として活用されるのは学校で、その学校に集い、その学校のことを知っているのはほかならぬ生徒さんたちです。在校中に災害が起きることは多くないでしょうし、起きないに越したことはないのですが、その学校でどうやって避難時の営みをしていくのか、助け合っていくのか、有事の際の備えをこうした訓練を通じてたくさんの生徒さんたちが学んでいるというのは、地域にとってもとても心強いではありませんか。そうした積み重ねをしていくことで、いざ災害が起きてしまったとき、その地域の人たちの誰しもが避難する側としても支える側としても「備え」を持っているようになったら、避難生活の辛さがどれほど和らぐことか。

そして、言われてみてなるほどと驚きましたが、現在の中学3年生にはもう「東日本大震災後に生まれた子ども」が含まれているのです。羽生氏が話をうかがったお相手も、そうした年代の生徒さんで震災は体験していないのだそうですが、そうした若い人たちにも、あの出来事からの貴重な学びを伝えつづけていることの尊さ、人間ならではの「伝える」という備えが地域に息づいていることの力強さを感じました。災害が起きるたびにゼロから体験として学ぶのではなく、伝えつづけていくことで次の災害は前の災害よりも少しでも被害や痛みや辛さが和らげられるようにすること、その叡智。まさに「伝えたい思い」だなと。忘れないこと、伝えつづけること、それ自体が災害への大きな大きな備えなのだと改めて噛み締めるような気持ちになりました。

「3.11のあとだけに心が折れる」という側面もあれば、「3.11のあとだからこそ、そう簡単には折れないほど強くなっている」という側面もきっとあるはず。それは人と人が「つながる」ことや「伝える」ことで育まれる、人間ならではの強さなのだと思います。テレビを通じてではありますが、そうした機会を定期的に自分も持てていることがとてもありがたいなと思う、そんな時間でした。レポート、お疲れ様でした!

↓なお、レポートにあった漁協ではまさのこの放送日から漁を再開したとのこと!


何と希望に満ちたレポート、そのタイミングよ!

貴重な網が破れたりすることなく、漁を順調に行えますように!



さて、価値あるレポートを終えた羽生氏は、ほっとリラックスした表情で、恒例のお天気コーナーに登場しました。いつも何かを「やってくる」番組のマスコット・そらジローは、今回はプレゼントがあると言い出しました。僕が先日SNSで話題になったイベント係員であれば「すいませーん!お時間でーす!」とプレゼントを渡す前に引き剥がすところですが、剥がしの係員がいない状況のなかでは羽生氏も覚悟を決めて受け取るしかありません。「受け取ればいいんですね…?」という若干の緊張を滲ませつつプレゼントを待つ羽生氏と、やる気マンマンのそらジロー。

一歩前に出てそらジローと向かい合う羽生氏は、大体どういう話なのか承知はしているようですが、小声で「近いな」「近いな」とつぶやきつづけています。あぁ!僕がこのイベントの係員なら今すぐ片足タックルでヤツを剥がすのに!しかし、そんな想いは届くはずもなく、何と!そらジローは!唇をギュッとすぼめると!プッと勢いよく空気を発し!羽生氏に空気をブチ当て!本人的には投げキッスと思っていそうな!その実でんじろう先生の空気砲みたいなことを!やってきたではありませんか!しかも2回も!何だそのプレゼントは!でんジローに改名せぇ!

「バレンタインよりもだいぶ濃厚なものをいただけたような気がします」と事後の感想を述べる羽生氏に、本当のプレゼントとしてそらジローのぬいぐるみ(金メダル付き)が贈呈されると、「オリンピックのメダルより大事にします」との御礼の言葉まで飛び出したではありませんか。ド級のリップサービス(←自称投げキッスへのお返しだけに)には、これは正義に猛る。「着ぐるみに召喚器撃つと逆に中から人間が出てくるのかい?」とか言いながら。ホント、ぬいぐるみは治外法権みたいな風潮、どうかと思いますよね!

↓ついには「自分の走馬灯に出てくるようにしたい」とまでおっしゃる羽生氏!

いやいやいやいや羽生氏の走馬灯すごい長かったりする想定ですかね!?

体感100年分くらいある走馬灯なら、この日の空気砲も入ってくるとは思いますが!

短い走馬灯なら空気砲はカットでいいんじゃないですかね!

そらジローのほうにだけ入ってれば大丈夫でしょう!



僕の走馬灯は、超短い場合でも羽生氏が出てくることになっております!