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2024年10月03日08:00
PKのときボールに水を掛けられたらタオルで拭けばいいんだ!
僕はいわゆる「ルール厨」という人たちとはどうにも相容れないところがあります。あらかじめどういう人をして「ルール厨」と認識しているかお伝えしておくと、ルールをとにかく絶対視し、ルールに示されていないものを一切認めない傾向にある人々のことです。「書いてあるんだから絶対的にいいor悪い」もしくは「書いてないんだから絶対的にいいor悪い」のいずれかで、とにかくルール以外の判断基準を頑として認めず、自分に有利なルールを発見するや以降思考が停止してまったく話が通じなくなるようなところがルール厨にはあります。好きな言葉は「ルールだから」「ルールはルール」「文句があるなら先にルールを変えろ」な人々です。
まぁ、それもひとつの筋が通った姿勢だとは思うのですが、僕はそこまで杓子定規にはなり切れず、ルールの境目あたりの出来事でよく反対の立場に位置取ってしまい、「ルールだから」「ルールはルール」「文句があるなら先にルールを変えろ」の集中砲火を浴びたりします。僕はルールとは「目指す理想」を実現するための手段・道具だと思っているので、理想が変われば当然手段・道具としてのルールも変わるべきであり、理想とルールが合致していないなら理想が優先されるべきだと思っていたりします。ルールを守らなくていいという話ではもちろんないのですが、もしも世界中の誰も必要とせず正しいとも思っていないルールがあったとした場合、実態として「ルール破り」になる事例があったとしても受け入れつつ、なるべく速やかにルール自体も是正するように努めればそれでいいだろうと思うのです。「すまんのぉ、おかしなルールだとは思うんじゃが、死刑と書いてあるんで死刑じゃな…」というルール絶対視の世界は望まないのです。
実際、「ルール厨」スタンスで世界を運営していくことは根本的に無理だと僕は思っています。何故なら「やっていいこと」を全部ルールに書くのは現実的に無理ですし、逆に「やって悪いこと」を全部ルールに書くのも現実的に無理ですし、ルールが決して間違わないようにすることも現実的に無理だからです。「書いてないけどやっていいこと」と「書いてないけどやって悪いこと」と「書いてあるけど間違っていること」が世界に必ず存在する以上、ルールが絶対の存在であるはずがないのです。なので、それでもできるだけ取りこぼしを少なくするためには、強いルールはより曖昧にし、どうとでも取れるようなフワッとしたものにしておくべきだろうと思うのです。憲法なんてのもやたらフワフワしていますが、それはあえてフワフワさせているという側面もあるんじゃないでしょうか。あえてフワフワしているものをどう解釈するのかなんてことを一生かけて考えている人がいたりするくらいですし。
そんな前置きのなか颯爽と登場するのが日本サッカー界を代表するルール厨ともっぱら評判のFC町田ゼルビアさんです。今季は序盤からサッカーJ1リーグの首位を快走し、ようやくここにきてやや失速気味ながらも、今なお「初昇格即優勝」という偉業に向けて大きな可能性を残すチームです。その好調さを支える要因のひとつが「ルールに書いてないことで俺たちがやりたいことは何でもやる」「ルールに書いてないことで俺たちがやられてイヤなことは止めさせたいからリーグに要望書を提出する」という強固な遵法精神です。
夕方のニュースでも取り上げられるほど話題となった「PKを蹴る前にボールに水をかける」呪術みたいな振る舞いや、「ロングスローを投げる前にあらかじめ各所に設置しておいたタオルでボールを拭く」行為などは、さすが多摩川を挟んで東京と睨み合う水属性の街(神奈「川」とか横「浜」とか「川」崎とかの仲間)だなと唸るばかり。最近ではそうした振る舞いに対戦相手も対策を講じてか、町田が置いておいたタオルで自分の頭を拭いたり、町田が置いておいたタオルに水をぶっかけたりして水の呼吸返しをしているそうですから、文字通りの「水掛け論」という状態です。
↓タオルを置きたい町田と、そのタオルを動かしたり顔を拭いたりして使わせたくない浦和のタオル戦争!
⚽️#Jリーグ⚽️
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) August 31, 2024
両クラブスタッフが“タオル”を巡ってひと悶着...使わせたくない浦和に町田が猛抗議。実況が説明「時に自分の顔を拭いていました」https://t.co/MOGLRADEwC
↓町田・黒田監督は「いじめる先輩たちがいる」と被害者の陣を張る構え!
【立場語る】町田・黒田監督「我々はJ1の1年生」「いじめる先輩たちがいる」https://t.co/EMsje8sE0I
— ライブドアニュース (@livedoornews) September 4, 2024
試合中に浦和のコーチがタッチライン横のタオルを動かしたり頭を拭いたりしたことが笑い話になっていることに憤慨。「悪役がやられていることだから笑って見てられる」ような状態だと述べた。 pic.twitter.com/X3IGGakQQ2
↓タオルを使いたい町田と、そのタオルを回収したり濡らしたりして使わせたくない広島のタオル戦争!
首位攻防完敗の町田・黒田監督、広島に「一枚上手だった」と脱帽も… ロングスロー用タオルへの水かけを批判「反スポーツ的行為。正々堂々やってほしい」/サッカー/デイリースポーツ online https://t.co/VFPv1ygeUf #サッカー #Jリーグ #W杯 #日本代表 #DailySports
— デイリースポーツ (@Daily_Online) September 28, 2024
↓町田・黒田監督は「ボールが滑る実害があった」と被害者の陣を張る構え!
町田、Jリーグに要望書提出 広島戦でロングスロー用タオルに水かけ行為 ボールが滑る“実害”も発覚 https://t.co/PB65nVVJal
— スポーツ報知 サッカー取材班 (@hochi_football) October 2, 2024
↓町田・黒田監督は「ボールが滑る実害があった」と被害者の陣を張る構え!
⚽️ #Jリーグ ⚽️
— サッカーダイジェスト (@weeklysd) September 13, 2024
「何が悪いの?」「藤尾選手をいじめているように映って」元Jリーガーが“PK時の水かけ行為”に持論「見ていて納得できなかった」https://t.co/8vvTeyygBx#FC町田ゼルビア #サッカー pic.twitter.com/aHtwTT5pEc
失礼!最後のポストにつける見出しを間違えました!
これは町田側がPKの前にボールに水を掛けてる話題でした!
コピペでつけた見出しを書き直すのを忘れました!
僕はどっちがどうなろうがどうでもいいので、派手にやり合って濡れタオルで殴り合う場面でも見られたらいいなぁくらいにしか思わないのですが、こういう事例を見るとやはり「ルール厨」には無理があるなと思うのです。SNSではもっぱら町田に対する非難がかまびすしいですが、ルール厨的な観点で言えば理は町田にあるでしょう。相手のウォームアップエリア付近にタオルを置きに行ったスタッフの動きだとか、若干ルールへの抵触が懸念される行為もあるかもしれませんが、根本的な事実としてサッカー競技規則に「PKの前にボールに水をかけてはいけない」とか「ピッチサイドにタオルを置いておいてはいけない」とか「ロングスローの前にボールを拭いてはいけない」とかは書かれていないわけです。競技によっては給水ができるタイミングやタオルを使える時間を定めていたりするものもあるなかで、サッカーにおいては水やタオルを置いたり飲んだり使ったりしたらダメとは書いていないのですから、やっていいんでしょう。少なくともそれを悪として断罪することはできません(※どっちかと言えば他人のタオルを勝手に使ったり動かしたりびちゃびちゃにするほうが窃盗・器物損壊的な「悪」では?)。
このようにグレーゾーンをハッキングしてくる相手に対してルールで対抗しようとすれば、無限にルールを書き加えていく運営(※野球とかF1とか)をせざるを得なくなります。それはそれでアリだとは思いますが、大変な手間と労力がかかります。「タオルがダメなら松ヤニで…」「今日はベタベタした手袋をつけてきました…」「ヘアセットのために練り込んでおいたワセリンがPK蹴る前に偶然ボールについてしまったぁ!」などをひとつずつ潰すために野球のルールブックみたいなものを作らねばならなくなるでしょう。そして、大概の場合においてルールを作るより新たなハッキングを思いつくほうが先なので、イタチごっこという名の「永久のやったもん勝ち」がつづきます。
「ルールにないんだからいいだろう」
「ルールにないことで裁かれるのはおかしい」
「だってそれがルールなんだから」
「ルールはルール」
「文句があるなら先にルールを変えろ」
それを止めるには「ルール厨」から脱却し、あるべき理想を第一に、ルールは絶対的存在ではなく理想実現の手段とみなす必要があるだろうと思います。現実の世界には明文化されない「モラル」や「マナー」や「道徳」があり、社会が求める「理想」や「価値観」があり、それによって解釈が変遷する極めて曖昧で一番強いルールの「憲法」があります。それらは明文化されていなかったり、ハッキリと書いていなかったりすることで、逆にハッキングすることもできないのです。書いていることだけがすべてではない、その曖昧さや煮え切らなさが、ルールを武器とする悪に効率よく対抗する術なのです。
スポーツの世界でそれを担うべき存在があるとすれば主審なのだろうと思います。サッカーの規則においても主審は「各試合は、その試合に関して競技規則を施行する一切の権限を持つ主審によってコントロールされる」とあり、「決定は、主審が競技規則および『サッカー競技の精神』に従って、その能力の最大を尽くして下し、適切な処置をとるために競技規則の枠組の範囲で与えられた裁量権を有する主審の見解に基づくものである」とあります。その位置づけもあくまでルールの枠組内ではありますが、主審には大きな裁量が与えられており、それは「サッカー競技の精神」というルールを超えた大きな理想に従うものなのです。
↓審判委員会の水掛けPKに対する反応も、まさしくそういうことでしたね!
【JFA】町田FW藤尾翔太の水かけPK論争、審判委員会「主審の裁量に委ねる」規則に記載なし https://t.co/2xvepOUCQR
— ニッカンサッカー (@nikkan_soccer) September 11, 2024
「担当した主審の裁量に委ねる」と!
それこそルールのハッキングに対抗する術だと思います!
このようなことを考えていくと、審判員という「人間」に対する敬意というのが、結局は一番大切なのかなと思うのです。ルールはもちろん大切です。ときに間違いを犯す人間よりもAIのほうが優れていると感じる瞬間もあります。しかし、決まりも前例もない新たな出来事に対して判断ができるのはその社会を構成する人間だけであり、それを機械に委ねるのはさすがに違うと思います。判例が積み重なってみんなの意見が大体揃うまでに多少のブレはあるかもしれませんが、そのブレも含めた人間の曖昧な「判断」こそが大事であろうと。
町田側はルール厨の正しい姿勢として奥義「文句があるなら先にルールを変えろ」を自ら繰り出し、相手が自分たちのタオルを水浸しにしてきた件について「要望書」と「伺い書」を提出して、あの事象がいいのか悪いのかハッキリさせようとしています。短期的には町田側のタオルを置く行為も一緒に制限されそうな悪手にも思えますが、ハッキリすれば次にどうやってハッキングすればいいのかも明らかになります。ブラックの境目さえわかれば新たなグレーはいくらでも見つけられるのです。
その先回りをしたいのなら、明文化されない曖昧な存在を上に置き、それに対して皆が敬意を持つことが必要なのではないかと僕は思います。つまりは、主審に敬意を持ち、主審の判断に敬意を持ち、ときに揺れ動くその判断を尊重していくことが。その日の気分や考えによって対応はバラついたりするかもしれませんが、そのバラつきも含めて尊重していくことが、未知のハッキングに備える術なのかなと思うのです。ルールを武器とする相手に対してルールは無力なのですから。
まぁ、ときには主審もルール厨だったりして「PKの前に水掛けるわ」「うーん、水掛けちゃダメって話はルールにないからヨシ!」「ちょっと待って、タオルあるから拭くわ」「うーん、タオルで拭いちゃダメって話はルールにないからヨシ!」「もう一回水掛けるわ」「ヨシ!」「タオルで拭きます」「ヨシ!」「先にタオルに水掛けるわ」「ヨシ!」「新しいタオル持って来させるわ」「ヨシ!」「新しいタオルにも水掛けます」「ヨシ!」「さらに新しいタオル持ってきます」「ヨシ!」「ゴールキーパーの手袋にも水掛けます」「ヨシ!」「手袋交換します」「ヨシ!」「スパイクをビチャビチャにしてから蹴ります」「ヨシ!」……みたいな無限ループも起きるかもしれませんが、それはそれで人間の判断ということで尊重していきたいなと思います。ちょっとブレててたまにヌルッと通っちゃうくらいのほうが、いいんだか悪いんだかハッキリしなくて、新たなハッキングが生まれるスピードも遅くなるかもしれませんしね。
↓曖昧な人間の判断なら「ルールも前例も理由もないけど、それ何となくダメでしょ」って言えるはず!
主審がビシッと言って、それをみんなが受け入れる!
たまにアリになったり、たまにナシになったりするのも、それはそれでしょうがないということで!
町田が優勝したらSNSが荒れそうなのでちょっと見てみたくなりました!