2026年01月12日08:00
REALのLIVEでRE ALIVEする夢の時間!
1月11日11時11分11秒の「1並び」の瞬間を通過した皆さん、おめでとうございます。この運命的な一瞬を祝福するように嬉しい報せが届きました。2026年4月11日-12日の月例1並びの日に幕を開ける、羽生結弦氏の新プロジェクト「Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project」が発表されたのです。再始動を告げる3月の「notte stellata 2026」から1ヶ月後という凄まじいハイペースで新たな公演がよもややってくるとは素直にビックリです!
ここに至る準備を想像すると、メンテナンス期間を休養みたいにとらえていたオールドメディアには固定観念を捨て去ってほしい、そう思います。これは一回休んでノンビリした人から出てくる成果物・タイミングではありません。休養した人なら温泉まんじゅうを持ってくるようなタイミングで、まったく新しい公演がやってくるなんて。僕もオールドタイプなので、正直に言えば「notteは想定してたけど、翌月に何かやるはまったく想定してなかった」ものですから、今年イチのハッピーサプライズでした!
↓行く決意は確定!チケットの有無が未確定!
2026年4月、宮城。
— Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project (@realive_jp) January 11, 2026
羽生結弦がこれまで生み出してきたプログラムたちを、もう一度“生きた存在”として立ち上げる、この日限りのLIVE
「Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project」上演決定!https://t.co/B42Ys5UNFs
#REALIVE #羽生結弦
さて、発表された内容は各位ご覧いただくとして、まだこの手掛かりの少ない時期だからこそ楽しめそうな妄想の翼を広げていきたいと思います。この「REALIVE」はどんなもので、何を見据えていくのか。もう少し時間が経つと情報も増えて自然と輪郭が見えてくるのでしょうが、ほとんど何もない今だからこそ、搔き立てられた想像力も自由に羽ばたけるというもの。4月になって振り返ると「想像が過ぎたな」という話になるかもしれませんが、恐れず自由に想像を巡らしていきたいと思います。気持ちとしては、名探偵コナンで被害者が発見された直後に小五郎とか元太が当てずっぽうで容疑者を挙げているときくらいの気持ちです。
まず、この告知にある「羽生結弦がこれまで生み出してきたプログラムたちを、もう一度“生きた存在”として立ち上げる、この日限りのLIVE」というヒント。素直に読むと、競技会時代のプログラムで最近はあまり演じられていないもの、すなわちアイスストーリー仕様になっていないものを、改めてアイスストーリー仕様で再構築し蘇らせる、そんなことがイメージされます。与太話で僕もよく言う「アイスストーリー仕様のSEIMEIで魑魅魍魎を調伏」みたいな話なのかなと。
「an ICE STORY project」という呼び方については、「ICE STORY本編ではないよ」という表明なのかなと思いました。4thではないよ、と。ただ、プロジェクトの一環ではあるよ、と。そのあたりを加味すると、ガッチリとストーリー仕立てでひとつながりにするものではないけれど、これまでのプログラムをアイスストーリー仕様にアップデートし、それを連続で演じることで公演としてお見せします、といった妄想を第一印象ではしております(※全体的に真に受けずに妄想として聞いてくださいね)。
そこから「ということは、それらが新たな本編ではストーリーの一部として演じられる可能性もあるのかな?」と妄想の連鎖はつづいていき、「でも、それだと本編に組み込んだときに初見の驚きが減っちゃいますね」となり、「もしかしたら本編は新作が多くなるイメージで見えてきているのか?」となり、「本編はストーリーに沿った新作が中心となりそうで、過去のプログラムに再び命を吹き込む機会が見出しづらく、別軸で企画することにしたとか?」あたりまで妄想は連鎖していきました。まったく見当はずれの勇み足かもしれませんが、約束されていない「4th」がどこかで蠢いている気が急にしてきて、気持ちとしてはとても前向きです。
そして、公式サイトにある羽生氏やMIKIKO先生のコメントや、この公演名「REALIVE」を見ると、単なるリバイバルとか復刻ではないのだろうと想像します。羽生氏の「また、皆さんの新しい呼吸と、思い出や想いと、プログラムたちが一緒に生きてくれるように。」というコメントからは、この公演で示すものはオリンピックや世界選手権の反芻すらも超えていくものになりそうな予感がしますし、MIKIKO先生の「この先、表現者としてどのような境地へ向かっていくのか。その可能性を想像する時間として、本公演を受け取っていただければ幸いです。」というコメントからは、これが新しい概念への序章のように思われてきます。「プロローグ」が「アイスストーリー」というまったく新しい概念につながる序章であったように、僕がイメージできていない未知の概念があって、作り手はそこを目指しているかのような。
そのヒントや兆しは、もしかしたら先頃「1並び」の元日に公開された「『鶏と蛇と豚 / 椎名林檎』from 『RE_PRAY』」にあったりするのかなと、そんな想像も浮かんできます。あの映像を見たときに思ったのは、これは「演技映像」ではなく「映像作品」だなということでした。そのひとつ前に投稿された「『Mass Destruction -Reload-』from 『Echoes of Life』」と連続で視聴したときに、マスディスはまだ一般的なフィギュアスケートとしての演技が見えるような編集ですが、鶏蛇様はフィギュアスケートの演技として見るのは難しい局面が多いなと思うのです。全身が見える瞬間が非常に少なく、足元を映さねばフィギュアスケートではないみたいな固定観念もなさそうですし、細かいカット割りの連続で要素の成否や演者の位置取りを見ようとするのは難しい編集です。文字や特殊効果、ブラーなども大胆に被せてあって、そちらが演者よりも主になる瞬間さえあります。ただ、はちゃめちゃにカッコいい。これはもうミュージックビデオのように世界をこの1本が駆け巡る「作品」だと、さらに先の世界を見たような気がしたのです。
もしも、この状態で過去プログラムの映像作品が投稿されたら…?
これまでは、たとえば「SEIMEI」の真の姿は平昌にあるのか、あるいはバルセロナにあるのか、ほかの日にあるのか、見る人のなかでそれぞれに愛着があったりして統合されずに揺蕩っていたように思いますが、すべてが統合された真の姿としての「SEIMEI」が「SEIMEI:REALIVE」といった名前で生まれたりしないだろうかと、そんなことも夢想するのです。権利の垣根を超えて、誰でもが何度でもその真の姿を反芻することができる映像作品としてこれまでのプログラムたちが新たな命を得たなら、それはとてもありがたく魅力的なことだなと思います。そのとき、素晴らしい思い出は変わらずそこに残したままで、「作品」としての生命はREALIVE版に移っていくのではないか、と。
思えば、アスリートのパフォーマンスというのは基本的に「素のまま撮って出し」です。バスケのように豪華な演出で盛り上げつつ光ったり音が鳴ったりする競技もありますが、試合中までそうできるわけではありません。最高峰のアスリート能力を発揮するには、視界良好で、静寂無音で、機能実用にすべてを振り向けた用具・環境が求められるし、そうでなければときに危険も伴います。そうした環境ならではの明るい照明であったり、大観衆の喧騒であったり、機能美にあふれた装備品や競技場は舞台装置としては素敵なものですが、ときには見てみたいですよね、純粋に作品として仕上げられた状態でのパフォーマンスも。
ストリートスポーツの世界では「ビデオパート」などと呼んで、自身のパフォーマンスを編集・演出した映像を「作品」として発表する文化があり、それが競技会と同様にそのアスリートの力量・技量を示す重要な活動になっていると聞き及んでいますが、ストリートスポーツ以外でも、そういう世界観はあってもいいと思うのです。プロアスリートが自身のアスリート能力を、試合・競技会や公演で発揮した「撮って出しの中継映像」で目撃されるだけでなく、作り込んだ「作品」として公表し、その「作品」が繰り返し繰り返し見られながら、素晴らしい肉体の躍動に皆が見惚れるような世界観が。
音楽で言うミュージックビデオのような形で、アスリートとしてのパフォーマンスが作品になったら、また新しい世界の広がりもあるのではないかと思います。すでにそうしたことを羽生氏はプロとしてやってきているわけですが、それがフィギュアスケートに限らず、新しいアスリートのありようになっていく世界線さえあるかもしれないなと思ったり。だって、よくよく考えれば、これだけ動画投稿やら収益化やら加工やらが行なわれている世界で、世界最高峰のアスリート能力を表現できる人たちが、単なる「中継の素材」で留まっているのはヘンですものね。彼らの発揮するパフォーマンスは、その辺の兄ちゃんの「やってみた」とは比較にならないほどの才能と努力の上に築かれている摩天楼なのですから、「素材」ではなく「作品」となるだろうものです。
もし、そんな「作品」としてこれまでのプログラムの映像を作るのであれば、それはできるだけ早いほうがいいのでしょう。いくら今が一番上手い、と言っても羽生氏とて不老不死ではないのですから、先送りせずやれる日にやるのが吉。もしかしたらそれはすでに作られているのか、あるいは「REALIVE」を通じて作るのか…そんなことまで妄想し出したら、頭のなかに「本日演じたREALIVE版の各作品映像をおさめたBlu-ray・DVD『REALIVE』のご予約はこのあと…」というナレーションが流れ出してきましたが、そこまで妄想を広げるとさすがに先走り過ぎかもしれないので、この辺でちょっと自分をなだめようと思います。落ち着け、まだ早い、何も始まっていない、妄想の前にnotteのチケットを速やかに当てろ、ハイシドウドウ、ハイドウドウ。
↓「演技映像」というよりはもはや「映像作品」と呼びたくなる「鶏と蛇と豚」!
↓というか、最初からミュージックビデオという映像作品として生まれた「BOW AND ARROW」!
さて、そんな妄想を巡らすなかで、だんだん固定観念が反転していくような気分にさえなってきました。たとえば、仮に羽生氏から「何かやりますよー、リクエストあるー?」と聞かれたとした場合、最近だと「まだ見たことないんで『BOW AND ARROW』で!」って答えた気がするのですが、その体験って音楽を体験するときの順番になるんですよね。CDとかミュージックビデオで視聴した作品を、ライブバージョンで聴くみたいな話で。
競技会や公演というライブパフォーマンスで演じたものが「真の姿」で、それを映像として副次的に追体験するのではなく、映像作品として公表したものが「真の姿」で、そのライブパフォーマンスを公演で追体験するとなったら、それはもう音楽の順番だなと。「BOW AND ARROW」の真の姿は映像作品「BOW AND ARROW」のほうにあり、仮にライブで演じられたとして、それはその日限りの一期一会であるという感覚、それはスポーツの存在する場所が反転するような世界観だなと思うのです。対戦必須の競技もありますので、すべての競技がそうできるわけではないけれど、スポーツというエンターテインメントの真の姿や真の所在地が、何だか少し動いてしまいそうな、まだ見ぬ概念がそこにあるような気配がフッとよぎるのです。フッと。微かに。
ということで、好き勝手に言いたい放題してきましたが、当面はこんな感じでいろいろ妄想していけたらいいなと思います。「そんな話では全然ない…ヘンなミスリードしないで…」という見当はずれの妄想をしていた場合、時間が経つほどにデマ話っぽくなってしまうので、謎に包まれた初報の間に駆け足で妄想を楽しんでおこうと思います。「何が起きるかわからない」という未知こそが面白さだと僕は思っていますので、まさに今、実に面白い。別の妄想が浮かぶかはわかりませんが、また違う話を言い出したら、真に受けない程度に聞いていただけるとありがたいなと思います。
REALな世界で、演じられるLIVEを通じて、再び(RE)、ALIVEに至るプログラムたち。
とりあえず、宿は取りましたので、チケット争奪戦での剛運発揮と(※これすごい厳しくなりそう…)、元気と時間の確保にしっかりとつとめていきたいと思います。
とりあえず、宿は取りましたので、チケット争奪戦での剛運発揮と(※これすごい厳しくなりそう…)、元気と時間の確保にしっかりとつとめていきたいと思います。
2026年も充実の年になりそうです!
↓妄想に引きずられて、公演ロゴがディスク3枚組の箱に見えてきました!
『Yuzuru Hanyu “REALIVE” an ICE STORY project』
— 羽生結弦official_Staff 公式 (@YUZURUofficial_) January 11, 2026
2026.4.11-12
宮城 セキスイハイムスーパーアリーナhttps://t.co/1iFUpAvEum pic.twitter.com/srZQiOSO2d
いやまぁ、3枚はさすがに使わないですかね!
じゃ、「過去と現在と未来」説でいきます!
で、妄想し尽くしたうえで本番はそれを遥かに超えていくのが通例です!





