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ネタバレにご注意ください!

この週末はじっくりと読書などをしておりました。ようやく手元に届いた待望の書籍、「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” TOUR OFFICIAL PHOTO BOOK」と「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” OFFICIAL PLAYER’S GUIDE」の2冊。要するに羽生結弦氏の「RE_PRAY」を改めて深く堪能できる写真集と攻略本を読んでいたわけですが…、いやー…、これは大変なものでしたね…。

まず写真集についてですが、こちら一般の写真集サイズであるA4判よりもさらに大きい横約230弌濬通330个梁膩織汽ぅ困謀鎮羸詭世気鵝η重伉召気鵑箸い信頼と実績のフォトグラファーが追った4都市8公演の模様をまとめた集約の一冊でした。幕間の休憩時間をも表現するような折り込みの特殊ページの仕様や(使い方が贅沢の極み!)、8ページ相当の新たなインタビューも収録するなど充実の作りで、通常ならこの一冊で振り返り本は満点完結となるようなものでした。装丁の加工の美しさを含めて、僕の渾身の「シュリンクを剥がさずにフチを切り開く技」「本棚の段を一段高くする技」も振るい甲斐があったというもの。まさに公演の記憶が甦る素晴らしいメモリアルアルバムでした。

しかし、真打は最後にやってきました。「Yuzuru Hanyu ICE STORY 2nd “RE_PRAY” OFFICIAL PLAYER’S GUIDE」、略してプレイヤーズガイド。いわゆる「攻略本」はこの公演の秘密をさらけ出すように、解き明かすように、猛烈な情報量と濃密さでプレイヤーに突きつけられました。かねてよりこの本を読んで初めてわかることがたくさんあるだろうとは思っていましたが、改めて率直に言えば「この本を読むまで何もわかっていなかった」という絶望感すら覚えるような内容でした。何度も公演を鑑賞し、何度も映像で振り返り、それなりに解釈する努力もしたつもりでいたものの、その多くは的外れの深読みで、頭でこねくった部分のほとんどはただの戯れ言でした。そして、読むほどにさらに謎は深まり、さらに奥行きが広がっていくような気がしました。

今日はそんなことを、反省を踏まえてまとめていこうと思います。本の内容は各位でご確認いただくのがよいですし、僕も紹介するつもりはないのですが(※又聞きだと理解を阻害しそう)、プレイヤーズガイドを踏まえて新たに思ったことを書けばどうしても「ネタバレ」的な話にはなりますので、望まない方は避けていただくのがよいでしょう。そして、このように「何もわかっていなかった」人が、「さらに奥行きを感じる」ような気持ちで綴っているものなので、真に受けないでいられる人だけが参考程度に見るのがよいだろうと思います。あくまでもこれは僕が僕のために記録する感想なので、正しくなくとも何かの気づきにつながればいい、それぐらいの気持ちで見られる人だけが先に進んでいただければと思います。

↓買わなかったプレイヤーはいないと思いますが、いい買い物をされましたね!



攻略本というよりは設定資料集サイズのA4変形判82ページからなる本書。印刷機の仕組みから言えばA判原紙に16ページ単位、あるいは8ページ単位で印刷(※つまり本のページ数は8または16の倍数になる/80ページとか256ページとか)するのが高効率なわけですが、あえて2ページ端数を増やすように部分的にページ数を変えた折を設けての「82(ハニュー)」ページでまとめたこだわりの一冊。実物を見るまでは表紙と裏表紙の内側の面を各1ページで換算しているのだろうと踏んでいましたが、この本はリアルに82ページでした。誰かが「絶対に82ページにしたいんです」と強く言わなければ絶対にこうはならない仕様に、「公式同人誌だ…!」「公式だから同人誌とは言わないが…!」「これは商売100%で作っている本ではない…!」と早くも震えが来ます。

巻頭部分に投げ込まれるようにしてRE_PRAY中に登場したドットキャラクター「8bitユヅル」のステッカーが入っているのも往年の攻略本のようでとても楽しい。ステッカーの枠すらもRE_PRAYプレイ用モニターの枠を模しており、遊び心もたっぷりです。このデザインの壁紙などあれば各位のPCも「あのテレビ」のような雰囲気になってとてもよさそうだなと思いました。裏表紙側から見たときにはタイトルが鏡文字のようになって表示されるデザインや、最初のページと最後のページそれぞれからページ隅に注目してめくっていくことで楽しめる遊びもまた楽しい仕掛けです。巻末のほうにデータ集(キャラクターリストとかモンスターリストとか)や開発者インタビューがあるのも攻略本的でとてもいいこだわりでした。雰囲気があります。

内容もまた素晴らしい。いよいよ読み始めると、まず目次には各演目の正式なタイトルや幕間の映像部分のタイトルなどが記載されていると同時に、羽生氏自らが記した「プロット」の原文を掲載しているページがあるという「本書の見方」が用意されていました。そして、このプロットの分量が膨大かつ新情報の渦で、まさに本公演の原点と言えるような内容です(※実際にそのプロットからすべてが生まれているようなので、文字通りの原点であるが)。読むごとに「そうだったのか」と気づかされる内容があり、同時に「何もわかっていなかった」とうなだれる感じも。最初にコレを読んでいれば各公演の理解はもっと変わっていたかもしれませんし、読まずにいたからこそさまざまな驚きや謎を楽しめたのかもしれないし、まぁとにかくこれを読まずば「RE_PRAY」をクリアしたとは言い切れなくなるような情報群でした。

そのときにひとつ理解したのは、この言葉たちはもちろんストーリーではあるのですが、それは小説形式のような「その言葉自体が作品」である性質のものではなさそうだということです。RE_PRAYの物語は羽生氏の心のなかにあり、それを他人に伝えるための表現の一部、一種の伝達装置としての役割がこのプロットにはあるということです。本書のインタビュー中でMIKIKO先生は羽生氏の言語化能力に驚きつつ「羽生くんの言葉を読解する脳トレ」をしたと言いますし、映像作家の小原穣さんは「お話しさせてもらうたびに100メートルくらいずつもぐって」とその言葉の深淵に迫った様子を語っていましたが、言葉の奥にある真意のようなものにどこまで迫れるのかが重要だったのです。この言葉を含めて、羽生氏が伝達のために用意したというナレーション音声や(※本番でも使用されているとのこと)、Vコン(※映像による絵コンテ)などは、すべて「心にある物語」を伝達・共有するためのものであり、その最終的としてもっとも具現化されたものが言葉も映像も音楽も照明も効果も演技も含めた「RE_PRAY」そのものであるということです。つまり、すべてを「心」で理解しなければいけなかった。

だから、「RE_PRAY」を見て素直に感じる心の動きこそが一番の要となるものであり、その一部分…たとえば言葉とか演出とか映像だけにフォーカスすることは、木を見て森を見ずになりがちな断片を追うような行為なのだなと感じました。そこは今後の羽生氏のアイスストーリーを追うなかでも心がけたい部分だなと思いますし、そうした伝達を経ながら「RE_PRAY」を具現化した各方面のプロたちには頭が下がります。そういう方たちの存在と理解力がなければ、十分な形で「RE_PRAY」が具現化されることはなかったことでしょう。表現のプロとはこういうことなのだと打ちのめされる想いです。

↓あの場面が実は、あの場面は実は、そんな気づきの連続でした!




そのなかで僕がもっとも思い至っていなかったことは、やはりストーリーの全体像でした。それこそが根幹であるものを、いらぬ解釈と深読みの連続であらぬ方向に進んでいってしまったのだと反省するばかり。心が素直に感じた「生きるとは…」という漠然としたものをもっと大事にすべきだったのに、何か違うものを無理に探してしまっていたように思います。大きな構造としてゲームをプレイする羽生氏(≒観衆)がいて、ゲームのなかのキャラクターである『○○○』(←と呼ぶらしい)がいるという構造は理解はしていたものの、それを両方とも羽生氏が演じていることやあえて不気味に表現されたりする演出に引きずられて深読み対象としてしまい、もっと素直にその構造を見ることができていなかったなと思います。

この物語は基本的に「プレイヤー」と『○○○』が向き合う構造のなかで描かれるわけですが、この両者の関係性はまさにひとつの人間であり、「自己(心の全体)」と「自我(意識)」のような関係にあるものと捉えるほうがよかったのかなと思いました。プレイヤーが向き合う「激流」とは日常であり即物的な現代社会であり「サラリーマンが満員電車に乗る」ような行為であり、そこにはたくさんの生命が流れ、その流れる命を奪いながら生きていくような状況があります。『○○○』とは、その激流のなかでどんな自分となって適応していくかという意識のありようであったりするのかなと思います。この日常にフルコミットしてその世界のルールのなかで成功をおさめていくこともひとつの形ですし、逆にその日常に抵抗して破壊するようなこともまたひとつの形なのでしょう。ただ、いずれもそれは「激流に飲まれている」ことは同じです。上手に激流を乗りこなすか、流れに逆らって立ち向かうかの違いこそあれど。

日常への向き合い方の差異はM-3『Hope&Legacy』『阿修羅ちゃん』のプロットにおいて「自我が綺麗な多面体に」(YESのルート)、「自我への攻撃 歪な多面体へ」(NOのルート)とそれぞれ説明されていました。おおよそ丸かったり、わりととんがっていたり、多少形は違うのでしょう。しかし、いずれの形をとってもそれはあくまで日常のなかでの取り組みであり、すなわち激流に飲まれている状態での戦いであることから、帰結としては同じところに到達するのでしょう。どちらのルートにおいても自我であるところの『○○○』がいつしか主体となっていき、S-3-2「審判の時」ではまるで『○○○』に支配されるようにプレイヤーはYESを連打するようになります。倫理観も生への執着も失い、ただ先へ進むことだけを考えて、「自我の多面体が、一つの面(勝ちへの執着)だけになっていく」というのです。あるべき姿ややるべきことなど肥大する自我によって、自己そのものが支配されてしまう状況がそこにはあるのでしょう。これが第1部でのプレイヤーと『○○○』の関係であり、ひいては「生き方」だったのかなと思います。

一方で、第2部ではS-6「日常への問い 生命への愛」で起こるガラスが割れるような場面について、S-8「祈る」のプロットにおいて「バラバラになっていた心(自我)」と綴り、やはり自我というワードを用いて説明されています。あの場面は誰かが死んだかのように見える少し怖いものでしたが、流れる命を手にしない(※日常そのものに疑問を持つ/激流から離れる/生命を大切にする)ことを選んだことで、激流によって注がれていた命の水が枯れ、自我はあるべき姿ややるべきことを失った空っぽのウツワだけとなって一度砕け、ルールも選択肢も何もないからこそ自由である暗闇に飲まれるなかで、いつしか落ちてきた水滴(水=命の起源)によって自我はつなぎ留められ、世界を巡る水(生命の流れ/ライフストリーム/輪廻)のなかで生かされるような感覚を得ていく様子が描かれていたのかなと感じました。

激流が日常であり即物的な現代社会であるとしたとき、そこにはたくさんの生命が流れています。自然環境から奪うこと、労働力を搾取すること、そのなかで自分の心が歪みすり減っていくこと、ゲームのように命が軽く扱われること、やがて破滅へと向かうであろう生命の消費が起きています。しかし、そうした生き方から離れたとき、そこには何もないようでいて、実は輪廻するように生命が芽生える豊かな世界が広がっており、その輪廻は誰かの祈りによって巡っているのだという、別の生き方を見つけられたりするのかなと思いました。日常をPLAYしているときには見えなかった、祈り(PRAY)によって希望や夢や命をつなげていくような世界と生き方が。そんなイメージを持って「RE_PRAY」を眺めていくと、第1部から第2部へと一筋の道がつながっていくような感覚が得られました。

言葉にするのは難しいのですが、ひとりの人が生き方を模索するなかで、自分がどうするこうするということではなく、もっと大きな命の輪廻を感じながら、その流れに加わっていくような、その輪廻がつづいていくようにと祈りを捧げるような、そんな在り様を見つけ出したという物語性を感じました。一言で言えば「生きるとは…」ということになるのですが、それを観客(≒プレイヤー)自身が我が事として考えるような公演、そういうことを考える体験をひと息にしていくようなゲームプレイ、そんなことだったのかなと思いました。生も死も繰り返し描けるゲームだからこそ、いくつもの人生を体験して(REPLAYして)、そのなかで自分自身の生き方を見つめ直す機会が得られる、そんな狙いを備えた。

だから羽生氏の人生に重ねて「あの場面は●●五輪のことだろう」とか「あの場面は震災のことだろう」とか考えるのは部分的な重なりでしかなく、誰の人生にも起こる困難や挑戦や絶望を自分なりに思い浮かべながら、鑑賞ではなく「体験」していくのがよかったのかもしれないなと思いました。これは「私の物語」なのだと思って。もし、この「RE_PRAY」をプレイするなかで、見て楽しむだけではなく、自分自身の人生や生き方が新たに見えてきたのなら、それこそがこのゲームのエンディングでありクリア画面であるのかなと。

「生きるとは…」

最初から漠然と感じていたものが、実は本質だったのかなと今さらながらに思うのです。そう思って初演後の羽生氏の言葉を読むと、最初からそんなことを言ってくれているような気もします。そのタイミングでは「この演目はUNDERTALEというゲームの曲で」「あのキャラクターはサンズといって」「これは敵の攻撃で」みたいなディティールの部分に囚われ、オマージュ探しばかりに目がいってしまっていましたが、そういうことじゃなかったのかもなぁと。プレイヤーズガイドを読んでもなお、謎は深く、奥行きは広く、考えることは果てしないのですが、ようやくスタート地点に立ったような気がします。そして「ねぇあんたわかっちゃいない」と半年前くらいの自分をバツが悪い気持ちで見るような感覚があります。

まぁそんな混乱も含めて、制作者は楽しんでいてくれていたらいいなと思います。謎はすんなり解かれるよりも、みんながあーだこーだと言いながら懊悩している時間に仕掛ける側の喜びがあると思いますので。MIKIKO先生をはじめとして、この物語をいち早く理解し、読解し、深淵を覗きながら具現化していったプロの皆さんへの敬意を改めて深めるとともに、「RE_PRAY」クリアへの光がようやく見えてきたプレイヤーズガイド読了体験でした。次回公演の際は、「攻略本見てから公演が見られる」機会があるといいなと思いました。攻略本見てからコンプするためにやるってプレイスタイル、あると思いますからね。今回で言えばフラッグを売ったあたりで攻略本も一緒にありますと、いい感じのコンププレイができたのかなと思いました。まぁ、本書の魅力のひとつとして、演出の狙いや公演期間中のアップデートについてもくわしく記されているという点がありますので、全部終わってからでないと書けない本かもしれませんが。内容の充実とネタバレ回避と制作期間とを鑑みながら次回以降のプランを検討いただけるとよいのかなと思いました。いっそ「ゲーム同発本」と「完全攻略本」の2冊体制でもいいかもですね!

↓同じ言葉を読んでも理解がより深まった気がしました!


↓手汗かくほど読み込んでしまったので、保存用が必要だったなと思いました!
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まぁ、攻略本ってそういうものですけどね!

僕もダビスタの本とかボロボロになるまで読みましたから!



なお、ブドウについては書いてありませんでしたが「生命」かなと思いました!