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ロンドンパラリンピック開幕です!

煌びやかに輝くスタジアム。照らし出されたスタンドはライトを反射し、光の帯を映し出します。フィールドで揺れる傘は白く光を放ち、ズラリと並ぶとイギリス国旗を象ります。ドーンと大きな音を上げる花火。会場で鳴り響いたリアーナの歌声。ダンサーたちは激しく強く踊りつづけます。それはまさに世界最大級のお祭りの様相。そこには華やかさと楽しさしかありません。

僕は、正直なところ障がい者理解があるタイプではありません。身近にはそうした知人はおらず、僕自身もいわゆる障がいに分類されるような状況は抱えていません。その意味では、選手たちの抱える苦悩や困難を推し量ることはできません。ただ、知りようのない苦悩や困難の存在を吹き飛ばすほどに、パラリンピックの会場に現れた選手たちは、誇らしげで楽しげでした。それはオリンピアンと何ら変わることなく、むしろオリンピアン以上に生き生きとしているようにさえ見えました。

とかく障がいというと「不幸」という視点で語られがち。普通とは違う、普通より満たされない何かを抱え、不幸せな人生を送っているという固定的な見方で語られがちです。しかし、スポーツに関してだけ言うならば「障がい」は素養の違いにすぎません。身長が低いバレー選手が苦労し、体格に恵まれないラグビー選手が苦労し、腕の短いボクシング選手が苦労する。それらと同じように、手足がない・動かない、目が見えないという状況があれば、それができる選手に比べて苦労するというだけのこと。それは当たり前であり、ごく自然な話です。

柔道やボクシング・レスリングで階級分けがあるのは、「体重差の有無が、同列で競技するにあたって極めて有利不利がありすぎる」からでしょう。身長や腕の長さで階級分けされることはありませんが、本当ならそれだって階級分けしてもいいくらいです。いわんや、手足の動きや、視力の有無などにおいては階級分けがあっておかしくないもの。逆に、世界にひとりだけ背中に翼の生えた選手がいたなら。それは階級分けされるでしょう。そんな選手が棒高跳びや走り高跳びに登場したら勝てっこありませんからね。

人がそれぞれさまざまであるように、抱えた状況もそれぞれさまざま。オリンピックとパラリンピックも、そうした「さまざま」なことに対して階級分けされただけの存在と考えたいところ。五体満足でも政情や宗教的な理由、経済状況によってスポーツができない人もいます。逆に、肉体的に不便を抱えていても、生きる目標を見出し、キラキラと輝くような舞台に颯爽登場する人もいます。それを平均化したり、「普通」という枠を設けたりすることには無理があります。誰が普通で、誰が普通でないかなど決められないのですから。

五体不満足でもキレイな嫁さんをもらい、さまざまな舞台で活躍する人もいる。手足はそれなりに動くが、学生時代に人とまともにコミュニケーションする術を学ばなかったことで、いい年してもアパートの隅で膝を抱え、テレビと会話しているオッサンもいる。五輪で3個金メダルをとっても、意中の男性を射止めることができず、強引にハグを迫るだけの女性もいる。大林素子もいる。幸せや不幸せは、ひとつの原因だけで決まるものではないはずです。

五輪の陸上にはオスカー・ピストリウスという両足義足の選手が出場し、400メートルで準決勝進出を果たしました。パラリンピックではいくつもの金メダルを獲得したピストリウスですがオリンピックへの出場はこれが初めて。その活躍は大いに賞賛されました。もちろんピストリウスはすごいです。不便を抱えながら、世界の準決勝まで進んだことは素晴らしい。ただ、本当に健常者・障がい者という枠組みを超えていくには、ピストリウスが過剰に賞賛されることもなく、逆にパラリンピックで活躍する「健常者」がいた場合に非難されることもない状況が望まれるのではないでしょうか。

パラリンピックにはかつて、知的障がいを装って出場した選手がいました。それにより、知的障がいのクラスは長く実施されなくなりました。もちろんそうしたウソ偽りは不可です。どの競技においても、体重詐称やドーピングが不可であるように。しかし、例えば車イスバスケットに両足万全な選手が出場したりすることは、本当に不可なのでしょうか。「身体に不便がある人だけの競技」では、いつまでも高い壁で区切られたままの存在。ルールやクラス分けを検討する中で、「身体に不便があってもなくても、同じ土俵で戦える競技」となったとき、それがオリンピックとパラリンピックの間のバリアフリーなのではないかと思うのです。

パラリンピックはリハビリの一環で、スポーツを通じて障がいを抱えた人が機能回復を図るためのものだと言われたらそれまでですが、パラリンピアンがオリンピアンのようにスターになったり、その競技がエンターテインメントとして広く愛されるようになる未来を模索するなら、「●●は△△だけのものだ」と世界を狭めるのは勿体無い話。

東京マラソンでも、いわゆる男子・女子の部に先駆けて車いすマラソンの部が行なわれています。東京のド真ん中を駆け抜けていくあのスピード。ちょっとしたスクーターより速いんじゃないかという激走。それを見て僕は単純に「すげー!早ぇー!」と思いました。そんな感じで、パラリンピックを見ながらみなが「すげー!早ぇー!強ぇー!面白ぇー!」と思えるようになったら、何か五輪の期間が倍に伸びたみたいで、お得な感じがしますよね。「サッカーは男のものだ、女がするもんじゃない」なんて考えを捨てて、女子サッカーもみんなで楽しめるようになったら、喜びが2倍に増えたように。

そうしたら、僕のテレビとの会話も増えて、ちょっと家の中が明るくなりそうですよね。

↓開会式はとりあえずオリンピックに匹敵するレベルで大盛り上がりだったぞ!
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120830/k10014639831000.html

ホーキング博士の登場、下肢がなくても華麗に踊るダンサーなど障がいがあってもスゴイ人はいる!

キプロスの旗手は今すぐお願いしたいような美人さん!

逆に、フランス人のヘンなメガネや、バカ騒ぎするイタリア人など、障がいは無関係にハリセンで引っ叩きたくなる輩もいる!

誰のための大会とか、何のための大会とか考えず、楽しくやったらいいじゃない!

犬も選手団として入場してたし、今から自分が大会を目指すのは難しいけど、エエ犬飼ってパラリンピックを目指させるのはアリかもしれないな!


ちなみに、今回は日本選手団もちゃんとフィールドに誘導されましたよ!