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言葉にするその日へと近づいている今!

7日の競泳ジャパンオープンにて、単に「競泳」という枠にとどまらない注目のレースが行なわれました。女子50メートル自由形、そこにはちょうど2年前に白血病を患ったことが発覚した池江璃花子さんの姿がありました。昨年8月にレースに復帰、今年1月の北島康介杯では女子100メートル自由形で4位に入るなど着実に前進してきたなかでの「ジャパン」を冠する大舞台。

そこで見せた池江さんの泳ぎは目覚ましいものでした。すでに池江さんは4月に予定されている日本選手権への参加標準記録も突破するなど「全国レベル」のところまで競技力を上げてきていましたが、今大会では予選を25秒06の復帰後自己最速記録で全体1位通過とすると、決勝ではさらにタイムを上げて24秒91での2位表彰台。まだひとつの目安となる「24秒46」には及ばないものの、それを「目指している」と言っても差支えのないタイムをたたき出しました。





「定位置」である4レーンに池江さんがおさまったとき、ゴーグルを手で押さえたとき、こちらの気持ちとしては勝手に感極まったものがわき上がってくるようでした。迎えたスタート、反応自体もやや鈍く、体重不足により飛び込み後の進みも弱く、浮き上がった時点では3番手から4番手といったところの池江さん。それでもそこから伸ばしていくと、最後はトップ争いを繰り広げての2着入線。上位3人が24秒台を記録するレベルの高い競り合いのなかで、1着の大本里佳さんには0秒16及びませんでしたが、真っ向戦っての2番でした。

試合でどうしても表彰台に及ばない、4番という結果に留まっていたことを池江さん本人は気にしていたようで、予選後にはようやくそれを打破できたと涙する場面もありました。それはもはや、世間が思い描く「病との戦いに臨む悲劇の人」の姿ではなく、「ライバルとの戦いに燃えるアスリート」としての姿でした。「楽しみたい」と弱気を滲ませるのではなく、「勝ちたい」と声を荒ぶらせるかのような。力強い目も、厚みを取戻しつつある身体も、勝負にこだわる言葉も、2番という結果に隠せない悔しさも、すべてがアスリートでした。

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2年前の2月8日、東京の「ヒロイン」となることが確信されていた池江さんが、白血病という大きな病を患ったことを告げられたあの日。あの日から先のすべてはまるで予想外のものでした。池江さんが東京からパリへと目標をシフトするような未来も、東京五輪・パラリンピックがコロナ禍によって1年延期されるという未来も、一度たりとも想像したことのないものでした。

ただ、その両方が重なったことで、目の前には不思議な光景が広がっています。白血病を乗り越えて新たな競技人生を歩む池江さんと、コロナ禍と向き合いながら開催への道のりを模索する東京とが、足並みを揃えて並走するようにして前へと進んでいます。早く言葉にしたい、そういう気持ちが高まってきています。ノドまで出かかるような思いです。目安となる記録を見ながらはたしてそこに及ぶのかと想像を巡らしたり、自由形での強みもある池江さんならば団体種目でという道もあるぞと仕組みを紐解いたり、言葉にする準備をしながらスタート台で構えているような気持ちです。先走る気持ちを懸命に抑えてブザーを待っているという感覚です。

池江さんは葛藤のなかで前へと進んできています。折々に聞く言葉には「揺れ動く」さまがよく表れていました。退院後の第一声では「パリ五輪が目標」とし、ある程度「諦める」側に揺れていました。テレビでのインタビューでは東京五輪への重圧を強く感じており、病気になったことで「もう五輪について考えなくてもいいんだ」という安堵があったことも語っていました。

それでもクラブでの練習開始後は「みんなと同じ練習がしたい」「負けたくない」と負けず嫌いをにじませました。国立競技場で1年後の希望を描くセレモニーに登場した際は、「一般人でもあり、アスリートでもある」という揺れを見せつつ、自ら推敲を重ねた本番コメントは「競泳選手・池江璃花子」と締めくくりました。復帰後初のレースについては「楽しみたい」とコメントしつつ、のちにそのときのことを振り返ったコメントでは「あれは正直な気持ちではなかった。そう言わざるを得なかった。不安だった。怖かった」と心境を吐露してもいました。

それは自分がどうありたいのか、どうあるべきなのかを手探りしている姿のように見えました。「無理だろう」「一度すべてがなくなった」と思う気持ちもどこかにあり、「そんなはずはない」「もっとできる」という気持ちもどこかにあり、それを言葉でねじ伏せているように見えました。怖いから楽しむと言い、戻りたいから戻れないと言う、何かを捻じ曲げているような姿に。

しかし、2021年を迎え、そうした揺れがようやくひとつに集束しているように感じます。コメントで「(今の自分は)ただの池江璃花子」と称するような、シンプルで単純なところに。競泳を好きで得意な「ただの池江璃花子」がいて、今このぐらいのタイムで泳げて、この先のスケージュルがこうなっています、さぁどうしようか?という、「今」をスタートラインとして前へと向かうようなシンプルなところに。過去をスタートラインとして失ったものを見る視界ではなく、今をスタートラインとして目の前だけを見る視界に。

だからこそ、言葉は慎重ににじり寄っているのだろうと思うのです。一度は「パリが目標」と完全に切り離した東京への想いについても、「五輪を目指してやっているとは言い切れない」「そこまで東京五輪を意識しているわけではない」という表現になってきています。まだ揺れている。いや、揺れ始めた。揺れているからこそ否定している。目指しているから目指していないと言い、意識しているから意識していないと言う、「ただの池江璃花子」に戻るまでの揺れ動きのように、その想いを自分に問いかけているように僕には見えるのです。

スタートラインに立ち、前が見えている。

遠くにそれは見えている。

目指していいのか、目指せるのか。

その気持ちが固まったとき、それは言葉となって出てくるのでしょう。

「次は1番(を目指す)」「王座を奪還するのが目標」と語ってジャパンオープンを締めくくった池江さんが、ひとつずつ自分を試していった次の次の次の次のどこかで、その言葉がきっと出てくる。結果がどうなるかではなく、そうやって目指していく姿を見ることができたなら、この1年というのも何もかもが悪いことばかりではなかったと、たくさんの人が思えるようになる気がします。

だって、かつての光景をスタートラインとするのではなく、今をスタートラインとして前だけを見れば、この時代もそんなに悪くないぞと思えてくるでしょう。過去と比べるのを止めれば、今この瞬間も、昨日より今日、今日より明日に向かって世界はどんどん素晴らしくなっているはずです。2年前の今日が、1年前の今日、そして今日より遥かに辛い日であった人の視界で世界を見れば、今日が「自己ベスト」の日になる。自己ベストを更新していけば、今はまだ遠くにある希望も言葉にできるようになる。そう思うのです。やりたいことや、会いたい人や、いろいろなことを。前を向いていきたいものですね!




池江さんは「できる」と確信するまで「できる」と言わないタイプと見ました!