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愛、ここ(お兄ちゃんのひざ)に座りなさい!

ウチの愛の周辺が騒がしくなっています。にわかにふってわいた週刊誌の報道によれば、愛が日本で男性と親しく横浜散歩を楽しんでいたといいます。顔までクッキリとわかるように撮影した写真があるので横浜散歩にお出掛けはしたのでしょう。それを即座に「不倫」と考えるものではありませんが、誤解も含めてそういう風に思われやすい行動ではあると思います。

その点については酸いも甘いもメディアの振る舞いも世間の波風も承知している32歳の成人として、もう少し慎重であってもよかったとは思います。記事中にあった「ホテルには宿泊したが部屋は別です」という説明はビジネスパートナー同士での出張や、アスリートの遠征などでは一般的な出来事ですので何の問題があろうかとは思いますが、世間は必ずしも善人だけの世界ではありません。

出張に同行した女性社員とワンチャン狙っているクズが、クズの思考のままSNSであれこれ論評するのが現代社会です。肌が見える格好をしている女性がいたら誘惑されていると勝手に思い込むクズでもいっちょ前に発言できるのがツイッターとヤフコメです。最大限いい感じに描いても島耕作にしかならないような色ボケが好んで読むのが週刊誌です。クズの思考に想いを巡らせれば、もっと違う選択肢もあったはず。人生の反省のひとつとして糧にして欲しいものです。

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まず大前提として僕は愛のことを腹違い・種違いの妹だと認識しています。肉親視点ですから正しいとか間違いとかは関係ありません。世界がどうひっくり返ろうが愛の幸せにつながる側に立って、一緒に歩み、打たれるつもりです。世の中にはいろいろな噂話があふれていますし、どのどれかが真実なのかもしれませんが、愛には自分の幸せのために一番いい選択をしてほしいと思います。世間や他人のことを考える必要はありません。最大限に間口を広げてその選択を応援します。

そして、近しい人にはそういう気持ちで一緒に寄り添ってあげてほしいと思います。特に江クンにはそう思います。よしんば憤りを感じているとしても、愛した相手に対してそのままそれをぶつけるような振る舞いは控えてもらいたい。まず信じること。他人の言葉ではなく互いの言葉に耳を傾けること。傷つけあわないこと。愛した相手ならば、すれ違いがあったとしても大切にすることができるはずです。大切にするという気持ちを言葉と行動で示せるはずです。今、この瞬間も。

愛にも、もっと僕を頼って欲しかった。週刊誌には「精神的に不安定な私を支えてくれる友人のひとり」であるという言葉が載っていましたが、それならば僕にもできることがあったのではないかと思ってしまいます。横浜中華街、お粥を食べてから小龍包食べ歩き、横浜公園を軽く流してハマスタへ。デーゲームの終わり、夕闇のなか少し足をのばして馬車道へ。赤レンガの建物で固いプリンでも食べようじゃないですか。「うんうん」「それは相手が悪い」「うんうん」「大変だったね」みたいな会話にもいくらでも付き合います。

そして何より、週刊誌につきまとわれても「お兄ちゃんです」と言ってもらえば話は早かった。これは決してやべーヤツのやべー妄想ではなく、僕はもうずっとずっと前から「妹」だと思って愛を見ているし、その認識に嘘はないのです。血がつながっていない相手を「家族」と思う瞬間があるように、腹違い・種違いの相手を「妹」と感じる気持ちもあるのです。それが真実の気持ちであるなら、戸籍や血縁は無視して心の真実を言えばよい。令和の時代は、それぞれの心の真実を最大限尊重する社会であるべきです。

「福原さんとはどういうご関係ですか?」
「兄です」

を、僕は心の真実として言い切れる。自信がある。昔のアイドルは親しい異性を全部「お兄ちゃんみたいな人です」と言って余計な詮索を封じていたように、肉親の気持ちで接する相手ならば、小龍包を食べようが何しようが、どうこう言われる筋合いはありません。一緒にプリンを食べるのがイヤなら、「兄も一緒です。今は別行動ですがこのあと合流します」と言ってもらって構いません。1時間で行きます。そして心の真実として言ってやります。「どういうご関係ですか?」「兄です」を。あとは僕のほうでお話して、週刊誌には丁重にお引き取り願います。

そこまで気がまわらなかった、あるいは遠慮されてしまったというのは、少し寂しい気持ちもありますが、まぁ兄を頼るというのは気恥ずかしいところもあるでしょう。僕も実際問題として妹の会社の採用に応募するのは少し気恥ずかしかったりしますので、それは痛み分けというところ。ひとつずつ反省して、ひとつずつ改善していけばいいのです。

↓横で立ってる相手全員に対して「交際があるのでは?」と思う心根のほうが歪んでいる可能性は、全員が認識すべきです!

愛が友人だって言うんならそうなんでしょう!

交際しているとしても、言わなくてもいいし、言いたければ言えばいいし、どっちでもいいです!

そして江クンとの話はふたりですればいい!

ここからは一般論としての「不倫騒動」と言ったものについて話しますが、恋や愛というものは誰かが縛りつけられるものではありません。縛りつけるルールに正当性もありません。日本においては浮気や不倫はよろしくないとされていますが、世界にはそうではない考え方を持っている地域もあります。すべては当事者同士の問題であり、他人にどうこう言われようが無視しておればいいと思います。

大切なのは「信用」です。社会において仕事をするためにも「信用」というのは欠かせません。信用というのは「真実」からのみ生まれます。嘘をつく人を信じることはできないでしょう。嘘は信用を損ねる最たるものです。浮気や不倫というのも、大切な人を裏切り騙したという状況が「信用」を損ね、それを隠すために取り繕う嘘が「信用」を損ね、結果として社会において厳しい向かい風を受けることになるのです。

昨今の事例で言えば、ベッキーさんや渡部建さんがあれほど苛烈なバッシングを浴びたのは、浮気・不倫という行為が彼らの「信用」を壊滅的に損ねたからです。朗らかで、良い人で、潔癖で、常に正しいことをしているかのような演出によって積み上げてきた過去すべてが、ひとつの浮気・不倫によってまるで虚像であったことが露見したのです。そして、虚像が露見してもなお、まだ自分の手練手管で虚像を取り繕えるのではないかと考え、そういう振る舞いを見せたことがさらに「信用」を損ねたのです。

逆に言えば「信用」を損なうことがなければ、恋や愛や欲や浮気や不倫というものはさしたる影響は及ぼしません。「すでに愛がなかった」のであれば、浮気や不倫とも呼べないでしょう。あるいは「寂しさに負けました」と身もフタもない説明をされたら、「そうですか」と応じるしかないでしょう。「信用」を失えば仕事や社会活動は立ちゆきませんが、恋や愛や欲や浮気や不倫そのものについては世間としては眉をひそめるだけの話です。

唯一ダメなのは「嘘」なのです。

ウチの愛の話に戻るなら、家庭や仕事、何があったとしても愛が誠実であれば何の問題もありません。愛が誠実に向き合うべきは「卓球」です。僕らはみんな、卓球が大好きで、卓球を頑張っている少女に心惹かれ、卓球から広がった人生を見守って令和までやってきたのです。対世間という意味においては、誰と付き合うとかどんな母親であるとかは、すべて後付け。「卓球」が揺らがなければ大丈夫です。

株式会社omusubiがどんな活動をするのかはわかりませんが、卓球を通じて、世界を楽しくしてくれる活動であればいいなと思います。その姿がある限り、多少の何かがあったとしても愛への「信用」は揺らぐものではありません。愛が築いてきた「信用」は25年間の卓球人生によるものです。一朝一夕のものではありません。それに、そもそも「私は恋愛はしません」なんて言い張ってきたタイプでもありませんしね。

行きたい映画、行きたいカフェ、行きたい場所、泊まってみたいホテル、誰かに言いたい愚痴・文句・不満があるなら、この「兄」を便利にお使いなさい。

小言はそれだけです!

↓「これからもずっとスポーツを通じて誰かのチカラになる」ような人生を歩んでください!


この間の「徹子の部屋」での「このご縁にまた出会えるなら、生まれ変わっても愛ちゃんになりたい」という言葉、嬉しかったです!


「幸せにおなり」と笑顔で見送ることに比べれば、何の辛さもありませんね!