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ファイターズのFはFrontier spiritのF!

20年近い時間が流れてようやく合点がいった思いです。北海道日本ハムファイターズというチームが何をやってきたかということについて、僕はずっと誤解をしていました。彼らは勇敢なバクチ打ちで、ハイリスクハイリターンのキワモノ案件に手を出しているフロント主導のヤバめの連中だ…どこかでそんなイメージを持っていました。それは大筋で合っているようにも思いますが、根本で間違っていたとも思います。

そのことに目を開かせてくれたのが、29日に正式発表された新庄剛志さん監督就任の報せでした。にわかには信じがたい情報と、本当に新庄で大丈夫か?という懸念。どれだけフロントがコントロールしようが、制御不能の紙飛行機みたいなのがピューッとあらぬ方向へ飛んでいく未来しか見えませんでした。さすがにおイタが過ぎますよと。

しかし、そこまでいってようやく気づいたのです。

この選択は悪ふざけにしては度を超しているぞ、と。

ふざけているわけじゃないのか、と。

もしかして「本気」なのか、と。




日ハムという集団が「本気」の集まりだったのだとしたら……そう思い至って、ようやく合点がいき、壮大なカンチガイに気づきました。ダルビッシュを獲り、ハンカチ王子を獲り、大谷に二刀流をやらせたことも。札幌ドームに移転し、「北海道」を名乗り、今また新球場の建設に着手したことも。栗山英樹さんを監督に起用し、新庄監督を実現させたことも。「本気」ならば納得がいきます。

夢。

夢しかない。

かつて後楽園・東京ドームを本拠地とした日本ハムファイターズが、札幌ドームへの移転を軸に「北海道日本ハムファイターズ」となったのが2003年の8月。その年のオフにニューヨーク・メッツ所属ながらマイナー暮らしとなっていた新庄剛志さん(SHINJO)を獲得します。そこからすべてが本気の夢だったのか。今さらながらに思います。

北海道に行ったのは東京での客の取り合いに限界があったから。新庄は客寄せパンダ。まぁ、そういう見立てはある部分では当たっており、完全なハズレではないかもしれません。しかし、そういう打算ではなく最初からすべてがロマンだったとしたら。まだプロ野球に染まっていない北の大地に開拓者として乗り込み、時代のモードであった「地域密着」を掲げ、巨大な夢のチカラを備えた選手を集めていく。そういう本気の志だったとしたら。

打算や計算ではなく、小さな成功狙いでもなく、一番大きな成功だけを想像力を限界まで広げてイメージして、そこに全力で懸ける行動力こそが北海道日本ハムファイターズというチームの核だったとしたら。すなわち「夢」最優先の集団だったとしたら。20年近くが経って「なるほど」と思うのです。「夢」最優先であるならばSHINJOは絶対に獲りたいよなと。「夢」軸だけで言えば、あれほどの選手は長嶋茂雄さん以来でしょうから。



かねがね日ハムが公言する「一番の選手を指名する」というのも、「夢」最優先であるならば合点がいきます。キワモノや厄介者を指名して他球団を出し抜いているのではなく、現実路線で小さくまとまっていく他球団のなかでロマンと可能性で指名した結果が、たまたまあぁなったのだと。そういう「夢」最優先の集団が「二刀流をやってメジャーで一番になりたい」と主張する高校生を見て思ったことは、「上手くダマそう」ではなく、本心からの「彼の夢を絶対に叶えてやりたい」だったんだと。

当時から日ハムはそう言っていましたが、僕は本気にしていませんでした。だって、大人ですから。「夢」最優先でやっている大人なんているはずがないとどこかで思っていましたから。あのとき大谷翔平さんに渡したプレゼン資料のタイトルは「大谷翔平君 夢への道しるべ」。隠すことなくそこに書いてあるじゃないですか。我々は「夢」を追いかけているんだよ、と。心変わりさせるためではなく、叶えるためにそれを作ったんだと。歪んだ心では真に受けることができなかっただけで。




当時、あのプレゼンをビジネス界隈の人が絶賛していましたが、それは「有望案件をプレゼンで獲得した」というビジネス視点での絶賛だったのでしょう。もちろんそういう部分もあるでしょうが、本当の根っこにあるのは「コイツの夢を叶えてやりてぇ」であって、そのために伝えたいことをまとめたのがあのプレゼン資料であるならば、きっとビジネス界隈の人は褒めてはいけないものだったのでしょう。自社の成功よりも大谷翔平さんの成功を目的に作られた、極論すれば「他社さんでやってもいいんで、絶対こうした方がいいです!」という慈善事業みたいなプレゼンだったのですから。

先頃退任した栗山監督、これも僕はずっと首を傾げてきました。北海道日本ハムファイターズ最大の謎だと思ってきました。どうして、選手としてさしたる実績もなく、指導者としてはまったく何の実績もなく、ファイターズとは縁もゆかりもない、報道ステーションと熱闘甲子園でキャスターをやっていただけの人物を監督になど据えたのかと。

知識として聞きかじりはしました。北海道の栗山町に縁があり、そこに「栗の樹ファーム」なる野球場を作ったのだと。そこで少年野球の大会をやったりしていたのだと。その活動のために北海道に生活の拠点を移し、やがて日ハムとつながっていくのだと。それを聞いてもずっとチンプンカンプンでした。「で?」と。それが何故監督起用になるのかと。関係ないじゃんと。

しかし、今ようやく理解しました。

夢だった。

栗山さんがやったことはフィールド・オブ・ドリームスそのものでした。「俺には夢がある」と言って球場を作り、その球場で子どもたちの夢を育てていました。好きな言葉は「夢は正夢」。全部が本気だった。この人は、この世知辛い現代にあってわずかに生き残った「夢」軸の人だった。現実よりも夢を見て、夢に迫ろうともがくことが信条の人だった。

能力や実績がある監督はたくさんいるでしょう。しかし、結果を問われる仕事であるがゆえに「夢」は真っ先に捨てられていきます。その究極の姿が落合博満さんでしょう。あれは「夢」軸とは対極にあるひとつの頂点です。だから勝った。だからつまらなかった。その正反対の場所にいたのが栗山監督だったのです。もしも「夢」最優先で監督を選ぼうとすれば、そんな人材はいないのです。現実ばかり見ているつまらん連中のなかで、栗山監督が見る夢こそが北海道日本ハムファイターズが求めるものだったのでしょう。

球団の傀儡などではなかった。フロントがコントロールできる程度のお飾りなどではなかった。現実しか見られない勝負の世界で、夢を見たまま生き残ってきた希少種だった。希少な白毛の馬のように、それを求める人にとっては探そうにも見つけられない唯一無二の人材だった。10年経って、栗山監督が退任して、今頃になってようやく謎が解けました。ともに夢を見るために、あのチームとあの監督は互いを求め合ったのだと。



もっと大きな夢を見たい――。

北海道日本ハムファイターズがさらなる想像力の翼を広げたとき、そこには必然として新球場構想が生まれたのでしょう。札幌ドームとの金の取り合いというビジネス面はあるとして、最後のひと押しはきっと「夢」だったのだと思います。金のためではなく、夢のために。北海道北広島市という取り立てて何もない場所には、今はまだ金はありませんが、そのぶん夢を建てる巨大なスペースがあります。

新球場だけではなく、駅を作り、街並みを作り、「ボールタウン」を作る余地がある。札幌ドームの周辺ではもはやできないことを、あの場所ならできる可能性がある。地域に密着するのではなく、地域そのものを作ってしまう可能性が。そんなシムシティみたいなことが本当にできるのか。それはわかりませんが、そういう「夢」を持って頑張っているほうが楽しいでしょう。ほどほどの成功を目指すより、未来に興味がわくでしょう。

羨ましいな、と率直に思います。

新球場を建てて、新庄の野球を見る。こんな夢を見られるなんて、楽しそうだなと思います。夢が現実に屈することがないよう、頑張ってくれよと思います。球団は腹をくくって新庄監督を支えてやれよと思います。他球団に染まった「敵」の立場ではありますが、この「夢」軸のチームを応援したいなと思います。「ウチ以外全部ハムに負けろ」くらいの気持ちで。誰も見たことのない夢物語を見せてくれることを期待して、頑張れ北海道日本ハムファイターズ!





子どもたちに夢を与える仕事なら、まず自分たちが大きな夢を見ないと!