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工夫することで共生はできる!

何とかかんとか開幕した北京パラリンピック、早速ですが日本勢には嬉しいニュースがつづきました。アルペンスキーでは村岡桃佳さんが連日の金、さらに森井大輝さんが2個の銅メダルを獲得。日本のエースと、長く日本を牽引する第一人者が、見事にチカラを発揮してくれました。メダルは個数を争うためのものではありませんが、ランキングでは開催国中国、特別な想いで臨むウクライナにつづいて第3位に日本がつけるという格好となり、素晴らしい滑り出しとなりました。







「今こんなときにやるのか」という声もあるのでしょうが、「今こんなときだからこそむしろ」だなと噛み締めるように競技を見守っています。こんな感じにしてしまった人たちは、パラリンピックのときのほうが戦争がやりやすいと思ったのかもしれませんが、必ずしもそうではないなと思います。現実として注目度はオリンピックのほうが高いかもしれませんが、理解と共生、平和へとつながるより強いチカラを備えるのはパラリンピックのほうだなと感じます。もしもアレが世界を東西に分断するために仕掛けた戦争なのだとすれば、侵攻のタイミングを五輪に重ねずパラリンピックに重ねたことは、侵略者の意図を挫くものだろうと思います。

スポーツにはチカラがあります。スポーツに限らず「楽しい」ことや「美しい」ことにはチカラがあります。文化芸術音楽など直接心を打つものは、国籍や思想を超えて人々をつなげるチカラがあります。素晴らしい音楽は敵性のものであろうと聞きたいし、素晴らしい芸術は誰が描いたものであろうが心をとらえてしまうし、素晴らしいプレーはどこの国の選手であろうが素晴らしいのです。すごいなぁ、美しいなぁ、感動するなぁ、という気持ちは、頭で考える「でも彼らは侵略国家の一員」という理屈よりも先に生まれます。そのチカラは特別なものだと思います。

そうした文化芸術音楽などのなかでもスポーツはより強い共生のチカラがあると思います。スポーツは「試合」をするからです。ひとりで完結するものではなく、誰かと競い合い、勝ったり負けたりすることが必要だからです。試合には対戦相手が必要ですし、そのなかでナンバーワンになりたいと思えば、「政治的に対立している侵略国家の王者」であっても無視することはできません。無視しようとしても、「でも彼に勝たなければ真のナンバーワンではないよな?」という自問自答は終わりません。心が先に相手を認めてしまうから、排除しようとしてもできなくなるのです。試合のなかで勝ったり負けたり認め合ったりすることで、互いを理解し、敬意を抱き、親しみがわけば、何かが生まれる。生まれるものには「平和」もきっと含まれる、そういう風に信じたいなと思います。

分断ではなく共生。

そういう意味でパラリンピックというのは「共生」への工夫の宝庫だなと思います。選手たちはさまざまな障がいを抱えています。千差万別十人十色でどれも同じではありません。「同じではない」けれど「試合をしたい」という矛盾した願いがそこには含まれます。通常であれば「同じではない」ものは「分けましょう」となるのが世間です。男女は分けましょう。階級は分けましょう。じゃあ「障がいも分けましょう」となる。似たようなものはまとめ、程度の差でクラスを分ける。それも工夫の一段階ではあります。

しかし、それでは不足もあります。キッチリ分けたらクラスごとの人数が足りなくなってしまったり、どこのクラスにも入れそうにない人が出てしまったり。そこで次なる工夫として「何とかして一緒にしよう」が生まれます。村岡さんが金メダルを獲得したアルペンスキーでは、障がいの程度によってタイムに係数をかける「計算タイム制」を導入しています。実際のタイムが100%で計算される障がいの軽い選手と、実際のタイムを90%とかに縮めて計算される障がいの重い選手とが、一緒に競い合えるようにするための工夫です。




思えばこれは決して目新しいことではなく、やる側と見る側の気持ち次第でほかの場面にも広げられるものです。競馬では成長度や牡馬牝馬の違いを考慮して、馬の年齢や性別で負担重量を変えています。それが当たり前になり、そのほうがフェアであるという意識が自然なレベルに浸透したことで、「こっちの馬のほうが軽いな」と思うことはあっても、「軽いほうが勝っても真のナンバーワンではない」と思うことはありません。エアグルーヴもウオッカもジェンティルドンナもアーモンドアイも「斤量が軽いから勝った偽のナンバーワン」とは言われません。

スキージャンプも風やゲート位置を考慮して、実際に飛んだ距離の長短だけでは決まらないポイントによって勝敗を決しています。大相撲では番付上位と番付下位は直接対戦する機会が基本的にありませんが、15日間の取組を臨機応変に変えていくことで同列に優勝を争うことができるようにしています。陸上での十種競技や七種競技、近代五種などはそれぞれの競技での成績をポイント化することで、複数の競技による総合力を競えるようにしています。「何とかして一緒にしよう」という気持ちがなければ工夫も生まれませんが、何とかしようとする気持ちがあれば、意外と何とかなるものだろうと思います。

昨今は「男性として生まれたが女性として生きていきたい」であるとか、「女性として生まれたが肉体的には男性の特徴を備えていた」であるとか、「義足を使っているが使っていない人とも勝負したい」といった、どうしたものかと悩むケースも増えており、ある側面ではフェアネスを損なっているのではないかと思う部分もあります。フェアネスを保つために分けること、ただ「何とかして一緒にしよう」という気持ちのもとフェアネスを保てるような工夫をして一緒にすること。パラスポーツにおいて必要に迫られて生み出される工夫を見ていくと、ほかのいろいろなことも何とかなるんじゃないかという気持ちも生まれます。

それは「正しさ」のために仕方なくやることではなく、楽しい夢のためにやれることではないかと思います。ボクシングでは「階級が重ならないコイツとコイツでどっちが強いんだろうなぁ」という見果てぬ夢を見ながらパウンド・フォー・パウンドのランキングを作成していますし、その夢を見せるように5階級・6階級と制覇していく王者は人気と尊敬を集めます。もし本当に誰とでも同列で競い合う仕組みが作れたらやっぱり見てみたくなると思います。盛り上がって大騒ぎになるでしょう。難しいでしょうが、できたら嬉しいことだろうと思います。

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そして、その工夫を積み重ねることは、一緒にはできないから国や地域として分けられたものを、もう一度ひとつの世界として一緒にする難しい作業にも、通ずるものがあるだろうと思います。分ける理由や必然性はそれぞれあるし、ただ、分かれたままで一緒でありたいという願いや夢もある。その両方を叶えるのは難しいことだなと思いますが、その難しいことをやりながら、勝ったり負けたりしているのがパラリンピックです。

生まれ持ったものや環境すべてをひっくるめて飲み込んで競い合うというのも面白いですし、変えられないもので生まれる差は工夫によって調整して一緒に競い合うというのも面白い。両方を上手く使いながら、より楽しくなるような方向へ進んでいけばいいなと思います。そういう工夫のなかで、なるべくフェアになるように競い合って、勝ったり負けたりしているアスリートたちの姿を見ていると、すべては「気持ち次第」なんだという希望が沸いてくるのです。


そのうち無差別級が一番アンフェアって言われる日も来るかもしれませんね!