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「RE_PRAY」を見てきました!

いやー……昨晩僕は何を見たのでしょうか。「GIFT」の衝撃からわずか半年余りで、「GIFT」の咀嚼もまだ十分できた実感がないなかで、それ以上の何かを見せつけられてしまいました。「キミの好きなものだよ」と微笑みながら、消防車の放水機で「羽生結弦」という激流を身体に流し込まれている感覚です。まさに「アイスストーリー」。ストーリーのなかで翻弄され、押し流され、どこか知らない場所に着いていたような感覚。ただひとつ言えるのはこのコンテンツが「どこにもない何か」であること。未知の体験に飲み込まれた一夜でした。

↓まだ夢を見ているような気がします…!
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何から手をつければいいのかという感じですが、まずは本公演の全体像を理解していくための下準備をしようと思います。この「RE_PRAY」は羽生結弦氏が「自分の経験のなかで大きな要素であるゲームの世界からの倫理観や価値観」を含めて作ったものだといいます。「たった一回しかない命、繰り返しできるゲーム、相反している二つの中で、それぞれでしか見つけられない大切なこと」があるのだと。その意味で、今作で描かれるゲームの世界を知ることは理解への土台となるでしょう。

※今回の記事では「RE_PRAY」そのものおよび、ゲーム「ファイナルファンタジーIX」「UNDERTALE」のネタバレを含みますので、ネタバレは避けたいという方は、のちほど自分自身の準備ができてから、興味がわいたときに見ていただければと思います。
※11月5日公演での解釈のヒントを受けて内容を更新しました。「この物語は羽生結弦の物語ではない」「ゲームの世界の出来事」「プレイヤーが神様」あたりから第1部終盤の展開が別の理解になりました。

まず、今回のセットリストを見ていきます。公演全体は第1部と第2部に分かれており、それぞれ冒頭はゲーム「ファイナルファンタジーX」の楽曲である「いつか終わる夢」を用いた演目から始まります。そして、「ゲームの世界」からの曲として本公演の核となっていると思われるのが「Megalovania」と「破滅への使者」です。(※なお、アンコール部分は完全にアイスストーリーを終えてからのブロックですので、ここは観客向けの「お楽しみタイム」と理解していいでしょう)

【RE_PRAYセットリスト】

<本編>
1:いつか終わる夢-original-
2:鶏と蛇と豚
3:Hope&Legacy
4:Megalovania
5:破滅への使者

6:いつか終わる夢;RE
7:天と地のレクイエム
8:あの夏へ
9:春よ来い

<アンコール>
10:Let Me Entertain You
11:SEIMEI
12:Introduction and Rondo Capriccioso(序奏とロンド・カプリチオーソ)

まず「Megalovania」ですが、コチラは2015年に配信されたインディーゲーム「UNDERTALE」からの楽曲。「UNDERTALE」は世界的なヒットとなり、のちにPS4やニンテンドースイッチでもプレイできるようになりました。内容としてはファミコンライクのレトログラフィックで描かれるRPGなのですが(※MOTHERの影響を感じさせる)、特徴的なのは「モンスターと戦ってもいいし、戦わなくてもいい」こと。戦闘中にモンスターを逃がすこともできますし、逆に、ナビゲートキャラのようなモンスターも含めてあらゆるモンスターを倒すこともできます。

このゲームの主人公は、モンスターが住む地下世界に落下した人間です。「UNDERTALE」の世界では人間とモンスターが対立しており、かつて戦争がありました。強い「ソウル」「タマシイ」を持つ人間はとても強く、そのチカラによってモンスターを打ち破り、地底深くに閉じ込め、地上に出て来ないようバリアを張って封じています。地下世界に落下した主人公は、モンスター世界で冒険しながら地上への帰還を目指すというお話です。……と書くと、定番のRPGっぽく感じますが、まったくそんなことはありません。

この作品ではゲームとプレイヤーのかかわり方についてメタ的な視点から意外性のある仕掛けをいくつも繰り出してきます。そのひとつが、この「Megalovania」の流れるボス戦(サンズ戦)が発生するGルート(虐殺ルート)の存在です。このGルートは、主人公が「倒せる限りのモンスターを倒しつづけ」「LVを一定以上に上げた」ときに発生します。そのとき、通常であれば戦うことのない審判役のモンスター「サンズ」がラスボスとなって立ちはだかるのです。

そこでサンズが告げるのは、プレイヤーがゲームを通じて蓄積した「EXP」は経験値の意味ではなく「Execution Points(殺害ポイント)」であり、ステータスである「LV」「LOVE」は強さのレベルとか愛の意味ではなく「Level of Violence(暴力レベル)」であるということ。プレイヤーが経験を積み、レベルが上がって強くなったと思う行為は、モンスターにとっては破壊的な魔王のようなものの誕生を意味することであると、プレイヤーに突きつけるわけです。

サンズはプレイヤー=人間が「セーブ機能」を使って何度でもゲームをやり直すことができ、それゆえに決してモンスターたちが勝利できないことを知っています。そして、そのチカラのことを「ケツイ」と呼びます。ケツイがある限り、人間は勝ちつづける、決して負けることはないと。それでも人間によってすべてのモンスターが倒されることは看過できないとサンズは立ちはだかり、ときに「人間にターンをまわさないよう何も行動しない」といったメタ的な攻撃も繰り出しながら、人間の「ケツイ」に対抗します。

「RE_PRAY」のなかで描かれるゲーム画面的演出や、神殿のような場所で羽生氏が落ちてくる岩を回避するシーンは、この「UNDERTALE」を強く意識していると思われます。画面の構成は「UNDERTALE」の神殿のようですし、描かれるハートマークはそのものと言ってもいいほどよく似ています。そんな戦闘のなかでサンズがプレイヤーに向けて語る「お前みたいなやつを『ケツイがかたい』って言うんだろ」「頑張ったところでいいことなんてないのにな」「『できる』ってだけでやろうとするんだ。やらずにはいられないんだ」といったセリフは、「RE_PRAY」全体の理解にあたっても補助線となる要素であるだろうと思います。

↓あらゆるモンスターを虐殺してきたプレイヤーを止めるために、あらゆる手を繰り出すサンズ!


主人公=ハートマークは柱などを回避しながら戦います!

そして、また勝利してしまうのですが…!

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そして「破滅への使者」ですが、コチラはゲーム「ファイナルファンタジーIX」のトランス・クジャ戦で流れる楽曲です。「ファイナルファンタジーIX」の世界ではテラとガイア、ふたつの星が対立しています。ざっくり言うと、テラがガイアを星ごと融合して乗っ取ろうとしたのですが、ガイアの星の生命力が強かったことで目論見は上手くいかず、ふたつの星が対立しながら「表世界ガイア」と「裏世界テラ」としてともに存在しているという世界です。

本作の主人公であるジタンは、テラ側が送り込んだ人造人間です。テラは高い技術で人造人間を生み出してガイアに送り込み、人々を戦乱などで殺しては、死んだ人間の魂を吸収することでガイアの星が持つ生命力を弱め、弱ったところを乗っ取ろうと画策しています。本来なら自我を持たないはずの人造人間ですが、ガイアに戦乱をもたらす斥候として送り込むために、魂を持つ特別な存在として生み出されたのが主人公ジタンなのです。

しかし、そのような特別な存在であるジタンを疎ましく思っていたのが、兄と言える存在「クジャ」でした。クジャもまた人造人間ですが、偶然「強い自我」を持って生まれました。クジャもテラに戦乱をもたらす斥候として送り込まれるわけですが、自分以上の存在として生み出されたジタンに嫉妬し(あるいは憎悪し)、まだ赤ん坊であったジタンを捨ててしまいます(※その結果、ジタンは主人公たる存在に育った)。

「破滅への使者」は、そのクジャがテラに囚われていた魂たちのチカラを得て、トランス(成長)することでパワーアップした「トランス・クジャ」との戦いで流れる楽曲です。クジャは自分自身が魂を持たず、やがて滅びる運命であることを知っており、生きる者たちへの強い憎悪と「死への恐怖」を抱いています。そのためトランス・クジャ戦では、主人公たちが勝利したとしても、すべてを道連れにしようとクジャは究極魔法アルテマを発動します(※そのときのクジャの強い憎悪と恐怖によってラスボスである「永遠の闇」が出現する)。

↓トランス・クジャの姿はRE_PRAYにも影響を与えていると思われます!


トランス・クジャとの戦いのあとに出現する「永遠の闇」は、生きるということについて問い掛けてきます。「生きるということは残酷な行為……」「互いを排除し、自らの生のために生命を奪い合う」「そして、生きることは、不安、苦悩、いつかは死ぬという恐怖を、常に抱えていること……」といった言葉は、やはりRE_PRAYにも影響を与えていることでしょう。そして、「永遠の闇」との戦いに勝利したあと、大爆発のなかからジタンたちを脱出させてくれたクジャの行動と、失うものがなくなって「生きるということの意味が少しわかった」と語るクジャの言葉も。

↓「永遠の闇」との対話への答えなども、もしかしたら含まれているかも…?




さて、補助線がだいぶ長くなりましたが、そのような予備知識を持ったうえで、いよいよ「RE_PRAY」を見ていこうと思います。大型ビジョンに映し出されたテレビモニターと、タイトルロゴ。冒頭の映像では羽生氏がコントローラーを操作する様子が映し出され、本作がゲームに強く影響を受けていることを滲ませます。羽生氏がプレイするのは「20XX/11/04」のプレイデータ。するとリンクに羽生氏が現れ、半透明の幕によって囲われたなかで、その幕に羽根や格子を映し出して舞い踊ります。これはゲームのなかのキャラクターを示すかのような演出でした。5日公演の羽生氏の言葉を踏まえれば、以降リンクにいるのは「常にゲームキャラクターの化身」なのでしょう。

最初の演目は「いつか終わる夢」。ファイナルファンタジーXの楽曲を用いた演目で、ゲーム世界に基づいた公演であることを感じさせつつ、本来の演出通りにネガティブな言葉などもリンクに投影し、最後は手をリンクについて終えるバージョンで演じます。演技終わりにリンクサイドのカメラに顔を寄せてドアップで映る場面は、「ゲームの世界からキャラクターがコチラ側を覗き込んでいる」かのようでした。

幕間に流れ、以降本公演の中心的な演出となるゲーム画面は、「UNDERTALE」を意識したものでしょう。「UNDERTALE」のゲーム性と同様に、落下する岩を回避するゲームのようです。「息をする、できない、やめる」の選択から「流れる命を手にする?」「喰らう」そして「生きる」へとつながる選択は、ほかの生命を奪って生き永らえる人間のことを指すようでもあります。奪って生きる、それは「UNDERTALE」や「ファイナルファンタジーIX」を含めたあまたのゲームで行なわれつづけている行為です。意図的に「あくどい」表情を見せているプレイヤー羽生氏は、プレイヤーが持つ無意識の悪意も示しているでしょうか。たとえば正義のためにすべてのモンスターを虐殺するような。「これはゲームなんだから」と破壊的になれるような。

つづく「鶏と蛇と豚」では般若心境から始まる楽曲のイメージを公演に取り込みつつ、赤いレーザー光で示された直線通路のような狭い空間内でキャラクターは主に演じていきます。囚われた魂、定められた道のり、あるいはなかなか逃れられない激流を示すものか。その世界のなかで、戦うキャラクターは勝利を得て、強さを得て、演技後の「私がルールだ」というセリフの状態にまで至る……そんな印象を受ける場面でした。

つづく幕間ではドット絵キャラクターが、敵と戦う場面を描きます。敵を倒し、「LvUP!」し、倒した敵から素材とコインを得て、欲しいものが手に入るようになり、「自由を手に入れた」と思うドット絵キャラクター。さらに強い敵を倒すために、敵を倒し、倒した敵から素材を集め、ドット絵キャラクターは勝利を重ねていきます。しかし、そうした日々は何かを失いつづける日々でもある模様。ドット絵キャラクターの前にはスイッチが現れ、「5つ失う道」を選ぶか「1つ失う道」を選ぶかの選択が突きつけられます。

そのとき、「スイッチを押しますか?」の声とともに、観衆に光が当てられ、テレビ放送ではスタンドが映されました。これはつまり「戦いつづける日々は常に何かを奪い・失う日々でもある、それでもプレイヤーはキャラクターに戦えと言うのですか?」という問いかけでしょう。「あなたの選択によって、ひとつは消されてしまった」のセリフは、トロッコ問題のような気持ちを観衆に突きつけるもの。自分がキャラクターにやらせていること、そういう選択を強いていることにドキッとしましたし、グサッときました。翌日5日の公演では、この部分の選択結果が変わり、演目も変更になったようなので、「こうした選択を常に繰り返している、繰り返させている」という構造をリアルに体験させる点でもインパクトのある演出でした。

そのような難しい選択の繰り返しのなかで、キャラクターは強くなっていきます。「Hope&Legacy」は栄光のプログラムのひとつであり、映し出される月と太陽はみんなに輝きを届ける存在です。失いながらも、強くなり、栄光を手にしていくポジティブな情景です。戦いの決意を固め、この世界で生きていくことを決めるキャラクターと、何度でもコンティニューをするプレイヤー。したくないわけでもなく、使命感でもなく、とにかくキャラクターは挑みつづけます。プレイヤーの命じるままに。

そして恐るべき問いを投げかけます。モニターに映る「お前、ここに来るまでに一度も死んでないよな?」の文字。そして暗闇で響く「それとも、何度死んできた?」の声。しばしこのセリフの違和感の正体がわからなかったのですが、これはもしかして「キャラクターの声」なのではないでしょうか。プレイヤーがすべての語りをしているのではなく、同じ人物がプレイヤーとキャラクターの両方を演じることで、叙述的なトリックを仕掛けているとしたら。戦いを選択をしつづけるプレイヤーと、一方的に操作されるキャラクターとがいるはずの世界で、もしもキャラクターが「自我」を得て、何も失うことのない高みから支配するルーラーに反目することがあったなら。

その結果たどりついたのがGルートです。戦いつづけ、倒しつづける道のりの先にあるGルートです。新しい衣装でリンクに入ったキャラクターは、リンクを蹴りつけて音を立て、誰かを蹴り飛ばすように跳び、氷をあえて傷つけるようにして止まります。流れ出す「Megalovania」は戦いの果てにたどり着く場所。シットツイズルは切り裂く水面蹴りのようです。ときに静止する音楽と演出は「まだ、やめないのか?」とプレイヤーに呼び掛けるものでしょうか。会場内のモニターに映し出された小さなキャラクターは、「戦いつづけるプレイヤー」の前にサンズのように立ちはだかるキャラクターの自我でしょうか。やめることはできる、しかし、やめない。プレイヤーはなおも過酷な選択を強います。

新しいプログラムを生み出し、さらなる強敵に立ち向かいつづけるゲームキャラクター。幕間には「乗り越えてきたんじゃない。他人も、身体も、精神も、自我も、命も、道徳も、倫理も、理性も、想いも、夢も、希望も、憎しみも、嫉妬も、決意も、すべて壊して、踏みつけて歩いてきた世界だ」「ただ考え、見ていただけ?」「選んだのだろう?続けるという選択を」「この世界を見たいという心のままに」「同時に、進めるよう、応援していたのだろう」「一緒に戦っていたのだろう」「“レベルアップ”(経験)してきたのだろう」というセリフが流れます。

このセリフはラスボスからキャラクターに向けられた声だと思っていましたが、実はこれは「キャラクターからプレイヤーに向けられた声」なのではないでしょうか。ゲームのキャラクターからプレイヤーに向けて、あなたのしてきた選択の重みを突きつけるようなセリフだとしたら。そして、あのラスボスのように見える胸にハートマークを持つ者はプレイヤーの象徴だとしたら。リンクに映る目はプレイヤーの視線をキャラクターが感じていることの示唆だとしたら。「UNDERTALE」における「LV」の文脈も踏まえて、Gルートへとキャラクターを進ませたプレイヤー自身の責任を追及するような場面だとしたら。プレイヤーもまたキャラクターと一緒に戦って、一緒に「Level of Violence」と「Execution Points」を積み上げてきたのだと。

やがて、まったく新たな衣装を選んだゲームキャラクターは、最後の戦いへと向かいます。そして観衆に「壊すべき壁はありますか?」「選択しよう」と呼び掛けます。選択の場面で流れる音楽は、「UNDERTALE」における主要ルートのラスボスであるアズゴアとの戦いで流れる曲です。その曲のなか、キャラクターは6分間のタイム計時とともに練習に臨みます。これは、いわゆる競技会仕様の演目をやるということか。しかも新プログラムで。リンクサイドには確かにプーさんもいます。ドリンクもあります。ただ、アイスストーリーに完全に組み込まれたなかで、6分間練習が行なわれるという未知なる光景です。4回転を含めたジャンプを跳ぶハードなウォームアップをつづけるキャラクター。流れる楽曲はやがて、「ファイナルファンタジーIX」の「独りじゃない」に変わりました。これはFFIXで主人公ジタンがひとりで敵将との戦いに臨もうとするときに流れ、仲間たちの声と助力を得る曲です。「独りじゃない」としたら、このキャラクターの戦いには誰がいるのか。それはプレイヤーです。

このアイスストーリーを「プレイヤーとキャラクターの物語」であるとしたとき、この6分間練習の終わりで流れた「おれの決意が、やっとだせる」というセリフに改めて背筋が寒くなる気がしました。このセリフは、一体誰のセリフなのでしょう。先ほどの幕間で流れた「お前、ここに来るまでに一度も死んでないよな?」のようにキャラクターの声だと考えたなら。この第1部の流れは「生命を喰らって自我を得たキャラクターが、プレイヤーの過酷な選択を追及し、やがて神様であるプレイヤーに反抗する物語」とも読めるのではないか。

流れるのは「ファイナルファンタジーIX」の「破滅への使者」。とすれば、羽生氏の真っ赤な衣装はトランス・クジャをイメージしたものか。強い自我を持って生まれ、人々の魂を吸収することで成長した人造人間クジャは、「プレイヤーに反目するキャラクター」かのよう。GOE満点としか言えない4回転サルコウ、トリプルアクセルからのコンビネーション、軽やかなトリプルループ、4回転トゥループ、おそらくコンボであっただろう4回転トゥループ(転倒)、トリプルアクセルからトリプルサルコウ連発につなぐ「3A-1Eu-3S-1Eu-3S」のコンボ、競技会ルールとは異なる部分もありますが、まさに「戦い」のためのプログラムでクジャは舞います。

やがてこのGルートを「CLEAR」したキャラクターですが、アイスストーリーはそれで終わりではありません。クリア後にセーブをしたとき、そのデータは壊れてしまっていたのです。何故壊れたのか、それは「キャラクターが壊した」のではないか。「コワセ」というあの声、あれはキャラクターによって、ゲーム世界を壊そうとする画策だったのではないか。データを壊すことによって、神に逆らおうとする予想外のエンディングだったのではないか。この解釈にたどりついたとき、改めて震える想いがしました。そして公演はここで30分間の休憩に入りますが、休憩などしている場合ではありませんでした!

↓幕間のイメージとして、公演前のリンクの画像を置いておきます!
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早速第2部の話を…と行きたいところですが、だいぶ長くなってしまったので、一度ここで区切ろうと思います。第2部で描かれる「RE_PLAY」の選択と、「同じセーブデータから別の道のりを選ぶ」という展開は、ゲームならではの「別ルート」「マルチエンディング」とでもいうか、「ループもの」とでもいうような内容。それを自分なりに整理したときに、「RE_PRAY」であることの理解もボンヤリと形になるかなと思いますが、それは一度休んでから取り組みたいと思います(※下準備にパワーを割き過ぎ問題)。チケットのある方は5日の公演をお楽しみいただきつつ、気が向いたらつづきを見てやっていただければと思います。まぁ、5日の公演でガラッと構成とか内容が変わっていたら、ピンボケになるかもしれませんが、「GIFT」のときのようにじっくりと時間をかけて、少しずつ理解を深めていければと思います。

わからないから楽しい、

未知だから夢中になる、

そんな気持ちでワクワクしながら咀嚼する時間です!


最終的には「生きるとは?」という問いに向き合うことになると思いました!