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「RE_PRAY」の咀嚼をつづけます!

羽生結弦氏の新作アイスストーリー「RE_PRAY」の咀嚼をつづけます。前編ではストーリー理解の土台となるゲームの解説にチカラを割き過ぎ、よもやの第1部でチカラ尽きてしまいました。「見て感想を言うだけ」の側がチカラ尽きるなんてあってはならないことですが、それだけのものを浴びせられたということでしょう。しかも、チケットを取れずにまだ見られていない2日目公演では、演目の変更など「ルート分岐」まであった模様。まだまだ全体像すら見えてこない「RE_PRAY」の広大な世界。じっくりと、乾物のように、噛んで噛んで噛んで楽しみたいと思います。

↓11月4日初日公演の感想前半についてはコチラでご覧ください!



休憩を経て始まった第2部を見ていきます。そこには本公演の謎解きのような展開がありました。第1部と同じようにゲームに挑戦する人物は、先ほどデータが壊れていてセーブに失敗した際のデータを読み込み、今度は「RE_PLAY」を選択しました。文字通りのリプレイです。第1部とは少し異なり、実際の幕のなかではなく、光の演出による四角い囲いのなかに現れた羽生氏。第1部と同じような羽根を舞わせる幕開けの舞のあと、画面には「いつか終わる夢;RE」という表示が。まさかの2回目?、と思いきや構成が変更された別バージョンです。ネガティブな言葉を表示する演出もなく、曲調自体も一層穏やかなものに。演技終わりも天に手をかざす形になり、「終わる夢」とは言いつつも素敵な希望を感じさせる演目となりました。「さっきと同じデータ、しかし、今度は選択が違う道のり」ということでしょうか。ゲーム的な「別ルート選択」を第2部で提示しようという試みのようです。言うなれば「ループもの」のような展開を。

そして、このルートではキャラクターは流れる生命を「喰らう」のではなく、逆に「まわりの命たちの輝き」に飲まれることを選びます。そして、水底へと沈んでいきます。その暗闇がどこなのかさえも「わからない」、「何もなくて何もできない」「選べない」「命の水が枯れた」と語りつつ、神様に向けて「私はゲームの住人ですか?」と問い掛けます。誰かに動かされ、操作されることを旨とするゲームキャラクターではなく、魂と自我をもった存在となったようです。メタ的に言えば「自分がゲームキャラクターだと気づいているゲームキャラクター」という感じでしょうか。そして、何故自分が生まれたのか、何ができるのか、自分は何年生まれで今はそもそも何年なのか、どうしてこんなに設定がないのか、とゲームキャラクターの視点で神様へ問い掛けます。やがて、今問い掛けている言葉さえも神様の作ったシナリオだと言い放ち、「私はからっぽのうつわ」なのだと言います。

そこで演じられるのが「天と地のレクイエム」。上方には鎮魂のランタンが投影されるなかで、東日本大震災の鎮魂曲であるこのプログラムを演じる「別ルート」。第1部のGルートでは、喰らい、倒し、奪ってきた生命に対して今度は心を向ける、まったく異なる展開です。やがて、キャラクターは暗闇のなかを歩き出します。何も見えず、わからず、進むことも怖い道のり。ビジョンとリンクにキャラクターの歩く姿のシルエットが投影され、「何かしたら、何かは、壊れてしまう」と迷い、ためらいます。第1部が選択と喪失の連続だったこととは対照的な姿。何かを選べば何かが壊れてしまいそうで、選ぶものがない、選択肢はない、と恐れ戸惑うかのようでもあります。

しかし、その状態こそが「自由」であるのだと第2部では言うのです。第1部では勝利を手にすることで欲しいものを得られる自由を手にしたけれど、何も選べないこともまた「自由」なのであると。「『自由』を与えられた」「ルールが消えた世界」「これが『自由』だ」という言葉たち。選べる選択肢がないことは先が見えない暗闇ではあるけれど、選択肢に縛られない未来を探すことができる自由でもある、といったところでしょうか。「空っぽのうつわ」である自分は不確かな存在だけれど、逆にそれは「何を入れてもいい」ということでもあるのと同じように。ゲームのルールのなかでの選択によって仮初めの自由行動をした気になるのではなく、その世界ごと逸脱していくかのような変化が起きています。その自由に気づいたとき、キャラクターは神様(=プレイヤー)の観測からさえも逃れ、暗闇のなかを自由に動くことができるようになり、水が枯れた世界に再び水が落ち、「生きている」ことを感じられるのであると。何もないから、何でも描ける、かのような。すべてを手放すことで、すべてを手にするための空白が生まれる、かのような。



その「生きている」「進める」という実感とともにリンクには青いレーザーで道が映し出されます。第1部では「鶏と蛇と豚」にて赤いレーザーで同じような道が描かれましたが、そのときと異なるのはレーザーはリンク上を走るだけではなく、じょじょに上方に向かって動き、壁面に向けて上り坂の道を描くように伸びていったこと。そしてその道は一筋ではなく、もっと幅広く、広がっていたこと。その水が照らす方へ向かって滑り出す「あの夏へ」は、映画「千と千尋の神隠し」からの楽曲です。映画のなかで、幼い頃に琥珀川に落ちた千尋は、そのときに龍神ハクと出会っています。「一見すると水に落ちて命を失いそうになった」とき「実は水の神様に抱かれて大切な出会いを果たして」いたのです。

この第2部でのキャラクターも、命の水に包まれ暗闇に落ちていくなかで、自由を見出し、水が示す道に気づきます。第1部の「破滅への使者」で描かれるクジャは、自分の命が終わるときに「生きることの意味」を知るわけですが、そのような展開を感じられるのではないかと思います。もっと具体的なイメージで言えば、ある人にとっては「天と地のレクイエム」の出来事をキッカケにして進む道と選択が変わっていったようなことが、第2部の展開によって示されているのかなと思います。

その後の幕間の映像では、それまでゲームをプレイしていた人物が「祈る」という選択肢を選び、コントローラーを置きます。水に打たれながら「祈る、祈り続ける、希望を、夢を」とする選択。ゲームの世界の枠を示すような格子のなかで、神様に祈り、第1部と第2部の冒頭であったような舞を演じるキャラクター。やがてキャラクターは一片の羽根を拾い上げると、格子のようにしてキャラクターを覆っていた暗幕が除かれ、どこまでも美しい青空と光の世界に至ります。そして、「守りたい、希望の、夢の、命の、続きを」と結びます。

第3のルートとも言えるような美しい世界にたどり着いたキャラクターが演じるのは「春よ、来い」。リンクに咲く満開の花は、リンクだけではなくスタンドにも広がり、世界を花で満たしていきます。そんな世界が来てほしいという「祈り」の曲を演じたキャラクターは、せり上がりの台に乗って「祈りつづける、いつか終わるとしても、夢のつづきを大切にする」「光の糸がそばにある限り」、「何を考えても、何が苦しくても、本当にやめることを選ばない限り、つづいていく」「光とともに明日はやってくる」「道は分かれつづける」、「決意を持って生きていく」「道に迷ったときは、立ち止まってもいい、突き進んでもいい」といった語りを行ない、やがて光のなかに消えると、ビジョンでは「RE_PLAY」の文字が「RE_PRAY」に変化しました。

アイスリンク仙台での演技映像とともにスタッフロールが流れるエンディング。バックに流れるのは「エストポリス伝記II」からの楽曲メドレーです。冒頭世界地図をバックに流れるのは「予言者」、スタッフロールとともに勇ましく滑り出すところからが「地上を救う者」、「鶏と蛇と豚」の衣装に変わったところからが「バトル1」、「Megalovania」の衣装からは「バトル2」、そして「破滅への使者」に変わって再び「地上を救う者」。まるで虚空島戦役を一息になぞるかのように、自身の原点と語る作品への愛を詰め込んできました。

「エストポリス伝記II」で描かれるのは、神秘の剣デュアルブレードが主人公マキシムの精神波動に共鳴したことから始まる、神々と人間との戦いです。神を倒すチカラを持つデュアルブレードと共鳴する人間が現れたということは、人間が神と戦うことができるという意味であり、もしその戦いに人間が勝利すればもはや「人間に神の手助けは必要ない」ということ。神々から自由になる、ということです。人間がそれほどの存在なのか、神々が人間を審判しようとする物語のラストで、デュアルブレードとともに神々の企みを退けたマキシムは、仲間であり愛する人であるセレナとともに、光の球となって世界の平和を見届けました。自分の命を使い、自分の命を捨てて、誰かの命を守り、誰かの未来を祈った。「RE_PRAY」のエンディングでプログラムたちが光の球となって、次のプログラムを見守っていくのと同じように。この「RE_PRAY」でもゲームのなかで描かれる死生観のようなもの、ひいては「生きる」ということを描いているのだろうと思います。その「生きた」軌跡は「祈り」となって次の世代を守り、決して消えないのであるという救いとともに……。

↓落下する虚空島を止めるために、主人公が最後のチカラで制御装置を破壊する…そんな決意の戦いの曲!




ゲーム的な文法でもある「FIN」の表示で迎えた終幕。ストーリーを描き切った羽生氏は、アンコールでのトークでこのアイスストーリーに込めた想いを少しだけ語ってくれました。「今日、明日というものを生きていくにあたっての選択肢の連続というものを、本当に人生というものを止めない限りは明日はつづいていく」という言葉。それは「UNDERTALE」における人間が何度もコンティニューして立ち向かう「ケツイ」という無敵のチカラのようなものでしょう。この公演で描かれたように人生にはさまざまな道があり、さまざまな可能性があり、さまざまな選択肢があり、自由があるのだから、「つづけていこう」と促すものなのかなと思います。

第1部は、戦いつづけ、奪いつづけ、失いつづける「PLAY」を選んで、勝利と栄光を手にしたGルート(Genocide Route/虐殺ルート)。第2部、「RE_PLAY」で選び直し、何も奪わず、命に包まれることで、自由と解放を手にしたPルート(Pacifist Route/平和主義ルート)。そして、第2部を経てたどり着いた、ゲームの枠外へはみ出すようにして「祈りつづける」ことを選ぶ「RE_PRAY」のルート。何度も人生と向き合い、何度もやり直し、そのたびに違う選択をしながら、新しい「プレイ」を重ねていくというこの物語は、人生のさまざまな可能性を提示し、肯定するものだろうと思いました。

どの選択肢が正しいとは言わないし、言えないけれど、世界にはたくさんの可能性があり、もしかしたら「それがすべて」と思える世界の外にも新しい道があるかもしれないということ、それを感じさせるようなストーリーだなと思いました。人生は一度きりではありますが、その時間のなかにおいて何度でもコンティニューをすることができますし、何度でもリプレイをして選択を変えることができます。羽生氏も競技者からプロという新しい選択をすることで、別の可能性と、別の世界を切り開いている最中です。誰の人生においても、そういう展開はあり得るはずです。

そして、たとえその「PLAY」や「RE_PLAY」が終わったとしても、「祈る=PRAY」という形でこの物語を紡いでいくことは可能なのです。ゲームのなかではたびたび死者が登場します。死者の想いが新たな展開を紡ぎます。現実には死者の魂を見たり感じたりすることはできないかもしれませんが、そこに「祈り」が残っていることは感じられます。それは決して非科学的なことではなく、誰かの祈りによって残された文献や学問や記録がのちの世の助けになることは現実にあります。魂は存在しないかもしれないけれど、祈りは確かにこの世界に残っているのです。生命が消えた先の世界でも「祈り」は残っているのです、確かに、現実に。

東日本大震災のよう出来事を経てそれぞれが考える「生命」というもの、

自分の命をどう使うかの選択を重ねながら「生きる」ということ、

その生命が終わりを迎えるときの恐れさえも超える「祈る」ということ、

生きることを肯定し、その終わりを恐れず、生きつづけていく「決意」に満ちたストーリーでした。

「生きていこう」
「命には自由があり可能性がある」
「何度でも選択し直そう」
「そうやって生きつづけていこう」
「そしていつか命が終わる日が来たら」
「未来を祈ろう」
「祈ることで生きつづけよう」

そんな気分にさせられるストーリーでした。明日も頑張っていこうかなと思いました。応援されているような気持ちになりました。生きて、やりたいこと、まだまだありますしね。

↓そりゃあみんな感謝と感動で帰りに大看板撮ってしまいますよね!
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スポーツとゲームというのはとてもよく似ていると思います。どちらも人生を凝縮して疑似体験するかのようなエンターテインメントです。自分を投影し、感情移入し、その勝利(生)や敗北(死)と向き合っていきます。そのなかで何度も、死ぬことを恐れたり、生に執着したりして、より幸せなエンディングを目指してリプレイを重ねていきます。だからこそ、その過程で見せる人間の頑張りや奇跡のような出来事は、見る人の心に元気や勇気を湧き上がらせるのだと思います。人生にだって、こんなことはあるはずだと。

ときには、どうやっても悲劇につながりそうな絶望的な道のりもあるかもしれませんが、スポーツやゲームはそんな場面にすら可能性を提示してくれます。命を捨てた主人公が救った未来の様子を神の視点から見届けたり、すべてを失ったことで生きることの意味を知った敵に救われたり、相手に勝利させないためには「何もしない」という選択もあるのだと気づかされたり、報われなかった演技がより深い感動を生み出したり……。

その可能性の最たるものとして、「祈る」という道はあるのかなと思います。どんなに辛い敗北のあとでも次の勝利を「祈る」ことでスポーツはつづきます。どんなに無残な結末が描かれたゲームのエンディングでも、その先に「描かれなかった幸せなつづきが存在する」ことを「祈る」ことはできます。「祈る」ことは強く、「祈り」を止めることは誰にもできず、命が尽きても「祈り」は消えない。ゲームにおいても、プレイヤー側がメタ的に繰り出す最強のコマンドこそが「祈り」なのかもしれません。何を描かれようとも、「そうじゃないことを祈る!」とプレイヤーが決めたら、ゲームの外側にどんな「つづき」を思い描くことだってできますからね。自由度云々すらも超越しますからね。「祈り」は。

明日はきっとよくなると、祈ろうと思います。

祈りながら「つづける」を選ぼうと思います。

生きている限りは、生きていこうかなと。

そんな気持ちで、今日も、明日も、頑張れる気がしました!

↓「RE_PRAY」の余韻を感じられるような、現地の模様を動画でまとめておきました!


「RE_PRAY」のリプレイは長く楽しめそうですね!

何度でも咀嚼し、新しい気づきを重ねていこうと思います!

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タイトルを回収して終わるあたりが、名作ゲームみたいだなと思いました!