東京ドームで裁きが下された!
日本ボクシング界因縁の相手に、日本ボクシング史上最高の選手が裁きを下しました。5月6日、ゴールデンウィークのラストを飾るように東京ドームで行なわれた井上尚弥さんとルイス・ネリによる世界スーパーバンタム級4団体王座統一戦。これまで幾度も日本のボクシングファンの逆鱗を刺激してきたネリを、井上さんが6ラウンド1分22秒でリングに沈め、テクニカルノックアウト勝ちをおさめてくれました。ようやく、この相手に、目にもの見せてやりました!
↓ありがとう井上さん!やっと溜飲が下がりました!
誰もが互いをリスペクトし合える理想の世界。みんなそうありたい、とは思っていてもごくまれにそうもいかない輩というのがいます。そのひとりが今回の対戦相手であるルイス・ネリという選手。2017年8月、当時WBC世界バンタム級王者として12連続防衛中であった「神の左」こと山中慎介さんに挑戦したネリは、強打の連打で4回TKO勝ちをおさめました。日本屈指の王者がタオルを投げ入れられる凄惨な敗北でした。まぁ、それだけであれば「あなたお強い」で終わる、ボクシングの日常風景です。
しかし、どうもキナ臭いものがこの試合にはありました。試合に先立って実施されたドーピング検査で、ネリは禁止薬物「ジルパテロール」への陽性反応を示していたことが発覚。ネリ側は、薬物は家畜を太らせるために使われるものであり、肉を食べたことで反応が出たのであるという主張で疑惑を否定しましたが、食肉からの摂取で薬物が検出されるには牛1頭分を食べる必要があるとも言われるものでした。結局「故意の確証がない」として統括団体からの処分は下らなかったものの、疑念は強く残りました。
その疑念が強く残ったなかでの2018年3月、山中さんとネリは再戦します。山中さんにとって誇りとボクシング生命を懸けての試合でした。するとこの際、あろうことかネリは前日計量で2.3キロの体重超過を示し、時間を置いての再計量でも1.3キロの体重超過となったことから試合前に王座を剥奪されたのです。計量室に響く山中さんの「ふざけるな!」という怒声。減量の影響も、まともに戦う気もないネリを前に、山中さんの張りつめた気持ちは切れてしまったのかもしれません。試合当日の再々計量でリミットを下回ったことから試合自体は行なわれましたが、山中さんは精彩を欠き、2回1分3秒でネリがTKO勝ちをおさめます。不完全燃焼…いや、燃えることすらできずに終わった試合でした。山中さんはこの試合を最後に引退。日本ボクシングコミッションはネリを招聘禁止選手とし、この理不尽でアンフェアな屈辱を雪ぐ機会は失われたのです。
あれから6年、日本ボクシングファンの胸に燻る憤りを掬い取ってくれたのが井上さんでした。ネリがWBCでの指名挑戦者となったことはその通りですが、ボクシングにおいて規定通りに試合が組まれないことなどは日常茶飯事です。怪我、病気、階級変更…戦わない理由はいくらでも探すことができます。そうして機を見送るうちに相手が怪我や敗戦によって消えていくことも多いもの。しかし、井上さんは「やる」と言ってくれた。今はベルトもさしたる評価も持たないネリを相手に、世界トップの選手が「やる」と言ってくれた。メリットのない戦いを「やる」と。それはこの因縁、この憤りに思いを馳せればこそ。要するに、日本ボクシングファンの代わりにネリをぶっ飛ばしてくれると、そういうことだと皆が理解したのです。そのためならば招聘禁止の処分も解こうじゃないかと日本ボクシング界を動かしながら、ついに迎えたこの「裁きの日」。これで燃えないわけがありません。東京ドームが埋まるのも納得です!
↓殊勝な態度でやって来たネリは、前日計量で500グラムアンダーの仕上がり!
やればできるじゃないか!よくやった!
これでフェアにぶっ飛ばせるな!
34年前、あのマイク・タイソンさんがジェームス・ダグラスさんを相手にKO負けした衝撃の試合以来となる、東京ドームでのボクシング開催。実際のところ後方の座席からはまともにボクシング観戦はできないでしょう。人と人が動いているのはわかるでしょうが、拳の速く細やかな応酬が見えるはずがありません。しかし、それでもいいと集った4万大観衆。井上さんの試合が見たい、その場にいたい、そんな思いがついに東京ドームのサイズにまで膨らみました。まさにタイソン級のモンスターと言ってもいいでしょう。
迎えたメインイベント。ネリはメキシコの国旗を背負い、まるで勝者のように両手を掲げながら入場してきました。解説席に座る山中慎介さんはわずかに声を震わせています。「できれば見たくない」と語る因縁の相手の試合。それでもここに来てくれたのは、解説者としての責任感か、あるいは日本のファンの「山中さんに見てほしいんです」という思いが届いたからか。集まるべき人が集まった、そんな気持ちになります。
つづいては王者・井上尚弥さんの入場。ステージには布袋寅泰さんが現れ「バトル・オブ・モンスター」の演奏で井上さんを呼び込んでくれます。炎噴き上がる花道、鋭い表情のチャンピオン、井上さんの後ろにつづく4種のベルトと布袋、入場シーンを撮影しようとスマホを掲げた大観衆。この燃え上がる興奮の前では、試合運営スタッフのひとりとしてロバート山本さんがいることなど気にしてはいられません。そんなことよりも試合、試合、試合に全集中です!
↓頼むぞ井上さん!山中さんの代わりにぶっ飛ばしてやってください!
そして始まった試合。第1ラウンドは互いに「見」となる試合もよくありますが、この試合に限ってはそうではなさそう。井上さんは序盤から大きな右フックを飛ばし、攻勢を見せます。ネリも積極的に前に出てきます。互いに攻め合うなか、いきなり衝撃の展開が。第1ラウンド残り1分21秒でネリが放った左フックが井上さんの顔面をとらえ、井上さんがダウンしたのです。これが井上さんにとって公式戦初のダウン。東京ドームが騒然とします。
ただ、井上さんは倒れてすぐに生きた目でレフェリーとコンタクトしており、闘志も意識もしっかり保たれている様子。カウントが進むまでは腰を下ろして息を整える冷静さもあります。派手に倒れたことでインパクトは大きいダウンですが、無理に逆らわずに威力を受け流したという見立てもできるもの。ダメージは深刻ではなさそうです。残り時間でネリは猛然とラッシュに出ますが、井上さんはしっかりと防御で凌ぎ、コーナーに追い込まれたところではネリのパンチをかわして右ボディ、右アッパー、右ストレートと逆に有効打を返していきました。セコンドからの「冷静になれ!」のアドバイスは不要だったかもしれないくらいに、井上さんは冷静でした。
↓相手のパンチと同じスピードで頭を振ればそのパンチは当たっていないのと同じ…的な倒れ方!
フォゥ!と一声気合をつけて踏み出す第2ラウンド。前のラウンド終盤の攻防で「追撃できなかった」とネリ自身も感じていたのか、ラウンド頭からラッシュをかけてくることはありません。逆に井上さんが左のジャブを積極的に出し、攻めていく構え。陣営からも「勝負でいいよ!」の声が掛かります。井上さんのジャブがネリをとらえ始めると、上にいった意識の隙を突くように井上さんのボディもネリをとらえ始めます。そして第2ラウンド残り56秒、ネリの左フックが大振りになったところに井上さんがカウンターを当てると、ネリは尻もちをついてダウン!すぐさまダウンを取り返し、場内もザワつきから大歓声へと一転します。
↓よーし、あっという間に取り返した!相手のパンチを完全に見切ったうえでのカウンター!
第3ラウンド、試合中ずっとネリが仕掛けてくる「井上さんの左拳を上に払いのける」ような動きに対してのリアクションなのか、ネリの右拳を上からハエ叩きのように打ちつける井上さん。それも余裕の表れだったでしょうか。すでに相手のパンチは見えているようで、井上さんはネリの繰り出すパンチをことごとくかわしていきます。井上さんのパンチが一方的に当たることで、ネリは序盤の攻勢が消え、体重を後ろに掛けた守りの姿勢に。試合の主導権は完全に井上さんのものです。
↓身体がのけ反るほどの強烈な連打!
第4ラウンド、ネリが再び攻勢の意志を見せますが、井上さんのパンチの壁に阻まれ思うように手が出ません。そんなネリの強気なような臆病なような中途半端さを見てか、残り1分41秒で井上さんは左頬にグローブを当てて「打ってこいよ」と挑発し、棒立ちの素振りを見せたではありませんか。その挑発にネリがトコトコ歩み寄ってくると、井上さんは横向きの態勢からやおらパンチを飛ばしました。かつて輪島功一さんが得意とした「あっち向いてホイ」のようなエンターテインメント精神あふれる攻撃。その後もノーガードで挑発したり、踊るようなステップを踏んでみたり、相手の左フックをすかしておどけてみたり、井上さんは完全に相手を飲み込んでいきます。東京ドームも大盛り上がりです!
↓ネリが手を出しても当たらないし、手を出せばその隙を突かれる八方塞がり!
第5ラウンド、ダメージが蓄積してきたか、井上さんの右ストレートを受けてたたらを踏むようなところも見せるネリ。井上さんのジャブを止める手立てがなく、中間距離以上ではもはや何もできない格好です。ネリの鼻柱は真っ赤に腫れ上がりました。仕方なくネリは頭から突っ込んで距離を潰そうとしますが、それに対してはレフェリーからのバッティングへの注意と大観衆からのブーイングが浴びせられます。完全なる手詰まり状態。そして迎えた残り36秒、ロープを背負った井上さんが小さく放った左フックがネリの顔面をとらえると、ネリは真っ直ぐ落ちて正座しました。二度目のダウン!立ち上がろうとするときには踏ん張りが効かずよろめいており、これはもう時間の問題といった感触も。
↓意識の外から飛んで来る神の左が突き刺さった!
気の早いボクシングファンがダブルピースで盛り上がるなか迎えた運命の第6ラウンド、もはやネリはパンチすら出ず、井上さんが動きを止めて「打ってこい」と挑発しても反応しません。井上さんのストレートのような威力の左ジャブがネリのボクシングを完全に破壊しました。ついに井上さんは「わざと何発かパンチを受けて、効かないねとアピール」するような場面まで作り、観衆を楽しませ始めます。そして迎えた残り1分43秒、ロープを背負ったネリが放った左ボディを右ヒジでブロックした井上さんは、今ブロックしたばかりの右手を素早くリロードし、ネリの顔面を強打!ロープまで吹っ飛んだネリは、一番下のロープとその上のロープの間に絡め取られるように倒れました。クチからマウスピースを吐き出し、目には闘志も生気もありません。レフェリーが手を交差してテクニカルノックアウトを宣言して井上さんが勝利!これが世界の井上尚弥です!
↓これはもう立てない!圧倒的な勝利!ありがとう!ありがとう!ありがとう!
最高の試合、最高のボクシングで東京ドームを満たしてくれた井上さん。ネリ陣営とも握手を交わすと、用意したチャンピオンTシャツに着替え、再び4本のベルトを身にまといました。勝利後のインタビューでは、「1ラウンドのサプライズ、たまにはいかがでしょうか!」とダウンさえも盛り上がりのスパイスに変えてしまいます。そして、観衆が「裁いた」と沸き立つ状況のなかで、繰り返し「ネリを倒した」ことへのコメントを求められると、井上さんは対戦相手のネリにも穏やかな感謝を示したのです。あのアンフェアに対して、フェアでクリーンな勝利をお返しするという最高の決着をつけてくれた井上さん。これぞ王者の姿。日本ボクシング界の憤りもようやく浄化された気がしました。井上さん、本当にありがとうございました!
↓勝ち誇りも嫌味もない、王者の美しいインタビューでした!
井上さんがサプライズと語ったダウン、僕も驚きましたし、会場もザワつきましたし、一瞬ヒヤリとしました。ビデオで振り返ればさほどピンチではありませんでしたが、思わぬ事態に浮足立ったのは確かです。井上さんの美しい戦績にダウンがついたことに少し惜しい気持ちもあります。ただ、この因縁を考えたとき、あれはあれで悪くないダウンだったのかなと思います。
井上さんが圧倒することは予想内で、実際そういう結果にはなりましたが、あのダウンでネリもまた相応にチカラのある選手だと再確認しました。6年前と7年前に「アンフェアに奪われた」という思いがあるからこそ強い憤りが燻っていた胸も、「井上尚弥からダウンを取るくらい強い選手でもあったのだ」という納得が得られたことで、少し風通しがよくなった気がします。裁かれただけで許されたわけではありませんから、この先ネリと遭遇する機会を望みはしませんが、握手で別れるくらいはしてもいいのかなと思いました。「仏の左」こと山中慎介さんもネリの謝罪を受け入れていますし、僕の気持ちもこれで決着ということにできればと思います。今後もフェアに頑張ってください!
↓山中さんが優しい人でよかったですね!
次に戦う機会は、もしもネリが4団体統一したら考えることにしましょう!
よかったわあ