08:00
史上最高のパラリンピックでした!

パリパラリンピックが閉会を迎え、熱いパリの夏が終わりました。一連のパリでの大会は本当に素晴らしいものでした。「五輪に関するものすべてをこき下ろす」ために記事を書く一部の手合いは、ホスピタリティの不足であるとか食堂のメニューへの難癖であるとか「このあと非難殺到」の記事をまき散らしていましたが、大会を通じて送られた大観衆の大歓声…「夢の舞台」を生み出した人々の情熱よりも大事なおもてなしなどありません。どんな記事でも覆せないライブ映像の向こうの光景がすべての答えです。選手も観衆も本当に輝いていました。

そこに夢があり、それにふさわしい舞台があるのであれば、食堂のメシなどさしたる問題ではないのです。大事なのは「試合」です。その一番大事な価値において、パリはとてもとても素晴らしい大会でした。その点は東京五輪に燃え、東京の一員と思って10年余りを過ごした僕ですら認めざるを得ません。できるならば「東京五輪・パラリンピックこそが史上最高の大会だった」と言いたいのに、そう言い切ることができないほどに、パリは素晴らしい大会をやり遂げたと思います。

特に印象的だったのは選手たちからの本当に嬉しそうな言葉たちです。五輪期間中に「これが本物のオリンピックだ」という言葉を何度聞いたでしょう。スタンドを見上げ、歓声に包まれ、その熱狂に身を委ねながら本当に嬉しそうにしていた選手たち。とりわけ自国開催の東京大会を過ごした選手たちがそうであったことは、どんな評論よりも雄弁だったと思います。彼らが思い描く「夢の舞台」は東京ではなくパリにあったのです。素晴らしい結果を手にした東京よりも、パリこそが本当の五輪だったのです。胸に突き刺さる痛みが重く、申し訳なく、その後悔をパリへの感謝に変えて見守ることしかできませんでした。






そして、それ以上に胸に深い痛みとパリへの感謝を残したのがパリパラリンピックでした。五輪の熱狂から半月ほどの中断期間を経て始まったパラリンピックにおいて、パリはまったく同じように燃えていました。大会初日、これまで幾多のパラリンピックで王者となってきたレジェンド・国枝慎吾さんが言っていました。これまで史上最高のパラリンピックはロンドン大会だと思っていたが今大会こそが史上最高の大会だ、と。ロンドンでも東京でもなくパリだ、と。勝利と栄光の思い出で彩られた自身の出場大会よりもこのパリが素晴らしい、そう断言していました。しかも、まだ競技開始初日の段階で、です。初日のスタンドを埋めた大観衆と大熱狂が、もはや是非もなく「パリが史上最高だ」と国枝さんに言わせたのです。

国枝さんの言葉は、それまで東京大会を無観客にしてしまったことへの痛みに悶えていた我が身を貫通して、遥か彼方まで突き抜けていった気がしました。五輪に関しては僕自身も「コロナ禍さえなければ東京こそが史上最高だったはずだ」と思っていますが、パラリンピックに関しては本当にここまでできただろうかと立ち止まらざるを得ないのが正直なところです。今目の前にあるパリでは、見る競技見る競技が満場の観衆に迎えられ、五輪と変わらない大歓声があがりつづけています。最大8万人収容のスタッド・ド・フランスの上層階まで観衆で埋まるようなことが本当に東京でできたのでしょうか。自国の有力な金メダル候補の決勝戦ですら十分な体制で報じられることもないこの日本で。

そして、その熱狂を心に燃やしながらも、ゴールボールやブラインドサッカーのような聴覚が極めて重要な競技の観戦においては、見事な静寂を生み出すようなことができたのでしょうか。ブラインドサッカー男子の決勝戦、自国代表の金メダル獲得を見守るパリの観衆が生み出した「音のないウェーブ」に僕は圧倒されました。楽しむことも、尊重することも、どちらも手放さない叡智を感じました。今となっては答えは出ませんが、「よくて引き分け」かなぁと思うのです。実際に僕が手にすることができた幻の東京五輪チケットの枚数(2枚)と東京パラリンピックチケットの枚数(10枚以上たくさん)を比較すると、そう思ってしまうのです。まぁ、五輪を経てからグッと盛り上がるという、いつもの日本的出遅れパターンはあったかもしれませんが。

その素晴らしい舞台に対して、競泳男子400メートル自由形S11(視覚障害)のクラスで富田宇宙さんが東京大会につづくメダルを獲得した際の試合後インタビューでは「目が見えなくなって、障がい者になって苦労もたくさんしたが、障がいがあったからこそ、こういった場に立つ機会をもらえた。自分が障がいを負ったことや、これまで歩んできたいろいろな苦労も含めてありがとうと言いたい」という言葉を残していました。選手にそう思ってもらえるだけの舞台をちゃんと東京は作れただろうか。答えは出ませんし、それを確認する機会も向こう50年はないでしょうが、もしかしたら「確認できなくて助かった」のかもしれないなと思います。「無観客になってしまった」痛みだけでなく、「無観客になって助かった」部分があったのかもしれないなと。このパリと比較されるのがちょっと怖くなるくらいパリはすごかった。閉会式の組織委員会の挨拶が「アスリートの歓声が凄すぎて先に進められない」なんてことが自然に起きるだなんて、最高の賛辞としか言いようがありませんでした。本当にお見事でした!




大会期間中に、自身も重度の障がいを抱える芥川賞作家の市川沙央さんがパラリンピックについて語る記事を見かけました。全体像は各位でご確認いただければと思いますが、そこでは「『実力』を規制するスポーツの『ルール』は人間のモラルの証明」だと喝破していました。自然界の獣たちの弱肉強食&無差別級の世界とは異なり、生物としての「実力」だけが問われるのではなく、弱者も保護されるよき塩梅を「ルール」という叡智によってスポーツは見出しているのであると。そして、スポーツ界にはちゃんと障がいを抱えた人が活躍できる舞台が設けられているのに、文化界はむしろそうなっていないではないかという主旨の憤りを込めていました。一見「弱肉強食そう」なスポーツ界にはパラリンピックやパラスポーツがあるのに、一見「公平で平等そう」な文化界はどうなのだ、と。

また、大会を通じてNHK中継の核(※いないと成立しないの意)となっていた俳優の風間俊介さんは、パラリンピックにおいては選手の病気の進行やルール改定によってしばしば出場クラスの変更が起きることを念頭に、パラリンピックは公平性を追求しつづけている、だからパラリンピックは永遠に未完成なのだという話をしていました。「それウォルト・ディズニーの名言…」と思わなくもありませんが、まぁ風間さんのなかからディズニーっぽい言い回しが出てくるのは自然なことです。言い回しはさておきスピリットの部分において、まったく風間さんの言う通りだと思いました。

多様性の表現でよく引かれる金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい。」の詩は、部分的にはその通りなのでしょうが、その言葉に甘え、その言葉に満足し、そこで止まってしまっていてはいけないんだなということを改めて気づかされるような思いがしました。みんな違っていていいんだけれど、そんな違うみんなが、それぞれ輝けたり、それぞれ活躍できたり、そのために払う労力や犠牲に極端な差がないようにすることは「できないかな?」と考えつづけることが必要なのです。そこに人間の生物としての最大の長所である「叡智」が活かされないといけないのだと思いました。永遠の未完成を追求しつづけること、そこにこそ人間が人間である意味があるのだろうと思います。パラリンピックは肉体の部分ではオリンピックに及ばない点があるかもしれませんが、叡智という部分ではむしろ先行する、そんな大会なのだと改めて認識し直すことができたような気がします。難しく言うとアレですが、「何とかして面白くしてやろう」というパラリンピック・パラスポーツの工夫と発想は本当にすごい、そう思います。



その意味では、いつか五輪とパラリンピックがひとつになればいい…という考え方も違うのだろうなと思いました。せっかくちゃんと分けて、それぞれが主役になるターンを作ったのですから、そのほうがいいのです。そうやって分けたままで、「あれは確かにすごいが」「これはこれで面白い」となるような工夫を凝らしていってこそ未来が広がるのだと。もしも「個」として両方を統べるような選手が生まれたら、2回主役になってもらえばいいだけですし。またひとつ考えが深まる時間になって、個人的にも本当に実り多い大会でした。

オリンピックも見ますし、ワールドカップも見ますし、いろんなものを見る僕ですが、別にいいカッコしようとかいうことではなく、ただただ素直にパラリンピックも面白いと思います。そもそも、人間が人生を懸けて競い合うものが面白くないはずがないのです。男子でも女子でも高校生でも中学生でも障がいを抱えた人でも、いい塩梅に公平になるような叡智を尽くして競い合わせたら面白いのです。その点が、少しずつでも広がっていくように祈りたいと思います。いいカッコしようなんて話ではなく、僕が見たいものがイイ感じにライブで見られて、みんなが盛り上がって、僕が楽しくなる未来のために!

↓ありがとうパリ!パリみたいなパラリンピックなら、毎日激熱で二度楽しいですね!




東京もみんながパリぐらい楽しみにしていれば有観客でやったんでしょうがね!