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「今」を懸命に「生きる」ことをつづけていく!

またしても行ってまいりました、羽生結弦氏アイスストーリー3rd「Echoes of Life」へ。さいたまスーパーアリーナでの3公演に3参加するという充実の時間を過ごし、身体には元気や勇気が漲ってまいりました。そして「今」を一生懸命に「生きる」という固い決意が。

↓平日にもかかわらずさいたまスーパーアリーナは超満員です!

ここまで現地の雰囲気のまとめやらグッズ開封の儀やらストーリー熟考やらでなかなか「エンターテインメント」の部分に触れてこられずにおりました。自分の性分なのか「まずはストーリー」という想いも強く、今回は哲学ショーであることも含めて、ちょっと感想も難しくなり過ぎてしまったかもしれませんが、実際に参加した「Echoes of Life」は(3日間行ってるんだから今さら言うまでもないことではありますが)空前絶後・唯一無二の素晴らしい総合エンターテインメントでした。めちゃめちゃ楽しい時間でした。

世界最高のフィギュアスケーターである羽生氏の演技と、MIKIKO先生をはじめとする世界最高峰の演出・音響・映像・照明・美術チームとが織り成す夢空間は、世界のどこに打って出たとしても熱狂と興奮を生み出せるものだと確信します。アスリート的な肉体の躍動と、プロジェクションマッピングを中心とした映像・音響演出がここまで高い次元で融合したコンテンツを僕はほかに知りませんし、想像もできていません。「アニメのオープニング映像」みたいな豪華演出満載のキラッキラの夢が、今目の前にいる人間によって演じられるんですよ?信じがたいことですが、アニメのオープニング映像みたいな何度でも見たくなる夢の豪華映像が、今その場で人間によって演じられるのです。これを見るためだけに日本に来たっていい、それぐらいの巨大な夢を僕はこのアイスストーリーに感じています。世界のみなさん、日本に生まれたってだけで何回もコレを日帰りで見ることができてしまって、ほんとゴメンなさいね!

しかも、その内容というのがまた深く、そして純粋です。「命」「生きる」といった羽生氏のライフテーマを内包しつつ、羽生氏自らが書き下ろした純度100%のストーリーが展開されることの贅沢さたるや。面白い物語は世界にさまざまありますが、このエンターテインメントはすべて羽生氏の内なる世界が具現化されたものであるという点で、そのどれよりも混じり気のない、透き通るほどの純度を誇ります。「出演・声の出演・脚本・監督・プロデュース」すべてを羽生氏が自ら手掛けることで成し遂げられる揺るぎない世界は、さながら一本の木から掘り出された彫刻のように、あるいは巨大な宝石の結晶のように、この世界に精緻で純粋な美しさをもたらすのです。

そして、その完成度というのは回を経るごとに高まっており、今回の「Echoes of Life」はこれまで以上に「アイスストーリー」になっています。プロになって直後のプロローグ公演やここまで作り上げてきたアイスストーリーもそのときどきで素晴らしい完成度でしたが、さらに一段高まったことを実感します。特筆すべきはそのシームレスさ。これまでの各公演において、エンターテインメントとして「思い出のプログラム」を演じることは重要な要素でしたが、その思い出が美しく鮮明であるがゆえに、ストーリーのなかに入っていてもふと「思い出」が甦る瞬間がありました。しかし、今回の「Echoes of Life」はストーリーのほぼ全編が新プログラム(公開済の演目も「思い出」を携えていないものを起用)での構成であり、演技がストーリーに溶け込んでいます。継ぎ目も分割もなく、すべてがひとつながりのアイスストーリーです。「ハマる」演目を戸棚から出してつなげたのではなく、このストーリーのために「すべてを生み出した」と言ってもいい。世界最高峰のチーム、100%の純度、さらに高まった完成度、なるほど初演の衝撃で「何も言えねぇ」となるのも致し方ないというもの。

↓現場で撮った写真が、CG満載の映画みたいに見える!


11日の公演もそれはもう素晴らしいものでした。ライブエンターテインメントをどの日がいいのか比べることに意味はないかもしれませんが、この3公演で映像作品を作るならこの日の映像が一番たくさん使われるであろうと思うくらいに、素晴らしい出来栄えでした。特に第1部の実演上の大きな難所である「バラード第1番」は出色の演技でした。ここに至るまでに1時間弱にわたって第1部を熱演しており、そもそも体力的に厳しい箇所に置いてあるこのプログラム。しかも直前には多くのジャンプやスピンを含みながらほぼぶっ通しで約10分間滑りつづけるピアノコレクションを演じています。そのなかには無音・無映像の静寂のなかで跳び、4回転トゥループを「必ず決める」ことを要請される場面もあるのです。自分で作ったストーリー・演出であるとは言え、「ここで絶対4T決めてください」「決めないと超絶締まりが悪いです」「無音・無映像の静寂で跳びまして、ジャンプが決まったらピアノがジャーンいきますんでヨロシク!」とやる総合監督は鬼だなと思います。キビシー!(←決めたけど)。

そこからわずかな映像演出を経てすぐさま競技会相当のプログラムを演じるという、なかなかの無茶を強いられる「バラード第1番」。この演目を、このストーリーにシームレスに溶け込ませるアイディアと手法は本当にお見事でした。これまでも物語上の一場面として「6分間練習」を組み込んできた羽生氏ですが、今回は映像演出をメインに「物語上で思索する」時間のウロウロする動きを6分間練習に充て、ウォームアップの時間であることさえ見えなくさせました。そして、平昌五輪の強烈な「思い出」を携えたプログラムに対して、その「思い出」があるがゆえの役割、「運命」を表現させるという役割を与えることで、思い出とストーリーとを融合させてみせました。「羽生結弦という稀代のスケーターが」「五輪連覇を成すのか、それとも怪我に敗れるのか」「その分岐点で連覇の世界線へと進んだ」あの運命的な瞬間を、そのまま「運命とは何か」を思索するストーリーの一部としたのです。運命を表現するのならば、世界の多くの人が連覇を確信して見守った「SEIMEI」ではなく、成るか成らざるかの分岐点に顕現した「バラ1」こそがふさわしい。あの日、「これが羽生結弦だ」と運命を感じた、その気持ちそのままに。

公演2日目にはジャンプの乱れなど、自身の演技にかなり悔しさを滲ませていた羽生氏ですが、この日のバラ1は「自他ともに認める」演技だったのではないかと思います。4回転サルコウ、トリプルアクセル、4回転トゥループから3回転トゥループのコンビネーション、いずれのジャンプも美しく、素晴らしい出来栄えでした。この日がCS生中継のある日ではないことが、本当にもったいないというか、早く世界のみんなに見てもらいたいような素晴らしい演技でした。こうやってときに追い込まれたり、ときに成し遂げたりする、未確定の未来を見守ることができるのは、物語ではあるけれどもスポーツでもあるというアイスストーリーの魅力だなと思います。ド緊張で見守り、演技後にガッツポーズできるエンターテインメント、たまらないですよね。

その後、公演は第2部を経て熱狂と感動のなかでエンディングを迎えるわけですが、アンコールの部分でこの「Echoes of Life」に込めた想いのようなものを感じることができました。アンコールそのものは、これまでの2公演同様に「Let Me Entertain You」「阿修羅ちゃん(※2日目はMEGALOVANIA)」「SEIMEI」というみんな大好きで盛り上がる演目がつづく形です。ストーリー本編がテーマ的にも演目的にも静謐なものだったので、「楽しく弾けるタイム」を意図しているのでしょう。大変楽しく、めちゃめちゃ盛り上がりました。

で、「LMEY」では観衆を巻き込んで簡単な振り付けをするというくだりがありました。左右に手を振ることを4回、右手を肩まで引き絞って、最後に前に突き出す、まぁそんなに難しい振りではありません。かなりの方が映像やこれまでの公演で予習してはいるようでしたが、やはり今日が初見という方もいますので、羽生氏はマイクを取って振り付けの事前練習を行なうわけです。サビの「Let Me Entertain You〜♪」に合わせて振り付けをするのですから、歌いながら見本を見せたほうが絶対に分かりやすいのですが、ここで羽生氏は粘りよるわけです。「歌いたくないから歌わないね」「絶対ヤダ!」と。初日の公演では「たったー、たんたたんたー」とか「れっみー、えんたていんゆー」などと口ずさみながら指導していたのですが、それが「歌った」扱いでSNS等でツッコまれていたことで、態度を硬化させちゃった感じである模様です。歌は固辞するという羽生氏の謎の防衛ライン(!)で、おなじみの「歌う歌わない問答」がこの日も始まりました。

その際に、観衆は当然のことですが「歌って〜!」の大拍手を送るわけです。イチ・ニーのカウントで練習すると要求を跳ねのける羽生氏ですが、大観衆はなお「エエエエ〜」と言うわけです。ブーイングとかではなく、他愛ないイチャイチャのやり取りなのですが、まぁ歌う・歌わないで言えば「歌ってほしい」という反応であることは明らかでした。羽生氏も観念したのか「そんなに!?」と言いながら、この日もワンフレーズ「れっみー、えんたていんゆー」を歌ってくれたわけですが、僕は羽生氏の粘りが思いがけずアッサリ引き下がったことと、「LMEY」のあとに「一番揃ってた」というお褒めの言葉をいただいたこと、何やかんやでラストの周回での「私は最強」もプーさんと一緒に歌ったこと、そしてその後の一連のメッセージに、これこそが「Echoes of Life」の精神なんだなと思いました。

一連のアンコールを終えたあと羽生氏は、疲労困憊の身体を奮い立たせ、感情を昂らせながら「命」「生きる」あるいは「運命」について語り出しました。うろ覚えなので不正確かもしれませんが、大筋の内容で言うと「これからも長生きしてください」「応援してくれている人のなかには空から見守ってくださっている方もいると思う」「テレビや映画館、スマホで見守ってくれている人もいると思う」「どんな人にもそれぞれ人生があってそれぞれハイライトがあるから」「人生を大事にしてください」「健康な人は健康を維持して」「病気の人は病気と闘って」「この世界を生きてください」といった話でした。楽しいアンコールから少し軌道を変えて、命についての真剣な話でした。「notte stellata」の最後の挨拶を思い出すような、真剣で、切実な願いでした。

これが「Echoes of Life」の精神なのだと思います。

このストーリーのなかで語られた「今」という概念。過去は「今」があるから観測されるものであり、「未来」は肉体が存在を確信しているだけでまだ存在しないものであり、「今」はたくさんの世界線に分岐していくとても柔らかいものです。ゾクリとするほどの偶然の連続が、実際には「今」という刹那の連続でしかないものに、あたかも「運命」があるかのような「過去」「今」「未来」のつながりを感じさせるのです。その認識は「今を大切に生きる」という羽生氏が日々繰り返している命についての想いにつながるものだと思うのです。

天災はいつやってくるかわかりません。幸せに満ちた元日に大変な地震が起きたように、いつもと同じ平穏な日に突如として人生が変わる震災が起きたように。戦火は今も世界のあちらこちらで上がっており、日本の近くにもミサイルと思しき飛翔体がしばしば飛来しています。一寸先は闇です。今日と同じ明日がやってきて、今日と同じ仕事に出掛ける日々がつづくような「気がしている」だけで、それは本当に不確かで、あやふやで、約束されていないものです。とても柔らかい「今」が、望まぬ形に変化しないでいてくれたという偶然によって、平凡な世界線が選ばれつづけているだけなのです。今日はとても楽しい公演を観ていた人が、明日も元気とは限らないのです。

だからこそ「今」を一生懸命に生きるしかないのです。そして、「今」を一生懸命に生きていれば、懸命に歩んできた道のりが、「今」に刻み付けた一瞬の光たちが、振り返ったときに見えるその光芒が、あたかも「運命」のように未来の方向を指し示し、次の歩みを導くのです。運命は未来で待っているものではなく、過去に刻み付けた光芒の軌跡の先にあるのです。こうなりたいと思って一生懸命に生きた「今」の連なりが、あたかも軌跡のようになって、未来の方向を指し示して、そこにたどり着くことを「運命」かのように思わせるのです。「昨日も今日も会社に行ったから」「明日も会社に行くんだろうなぁ」と思っているように。

今を一生懸命に生きる、できることはそれしかないのです。

先ほどの歌う歌わない問答もそうです。

意地を張って「歌いません!」と言ってもよかったのです。

観衆もイチャイチャで「エエエエ」と言っているだけなのですからスルーでも全然よかったのです。

でも、確かに存在するのは「今」だけなのです。

もし明日がどうしようもなく悲しい日だったら。

あのとき「エエエエ」と言われるほどに望まれることがあって、それをしたら少しだけでも喜んでもらえたのに、それをせずにどうしようもなく悲しい明日を迎えてしまったら。振り返ったときに見える光芒に何を思うものでしょうか。「エエエエ」と望まれたことに応えて、今までで一番揃った素敵な振り付けを一緒にできて、倒れ込むほどに出し尽くしたときの光芒と、どちらをより愛せるでしょうか。

そんな気持ちがよぎったのかなと思うのです。

そういうことを思考しつづけた結晶が「Echoes of Life」なのではないかと思うのです。

自分の残した命の響きや、誰かの残した命の響きは、それが過去となっても波紋となり光芒となりこだまとなって今に届き、未来を指し示す…そんな精神の一端として「そんなに言うならしゃーない、歌うか」と折れた、そんなことだったのではないかなと思うのです。ほかのシチュエーションでたとえるなら「あの日、出掛けていくあの人にちゃんと声を掛ければよかった」的な心残りを避けるような気持ちで。

まぁこの偶然の連続はどうにでも変化する柔らかいものですので、次も同じ展開が起きるとは限りませんが、今までがそうであったように、振り返ったときの光芒がそうであるように、大筋において「望むならば叶えよう」の軌跡はずっと描かれつづけているように思いますので、どこかの世界線では「『私は最強』は歌いながら周回しますね」「その代わりみんなも歌うこと」「基本的にはプーさんによる歌唱となります」みたいな謎の妥協ライン出現もあり得るんじゃないかなと思いました。要望ではないので、応えてくれなくていいのですが、そういう「運命」を予感した一日でした。とりあえず僕個人の活動として「私は最強〜♪」のところは声出ししてみようかなと思っております。最後を「ユヅルは最強〜♪」にするのは微妙かもしれませんが、そういう気持ちを込めておこうと思います。その残響がまた未来を指し示す軌跡を描くと信じて…!

↓本当に素晴らしい公演で、またひとつ次元が上がった気がします!



とまぁ、そんなことで大変楽しい3日間を過ごさせていただきました。この楽しい時間もまたゾクリとするほどの偶然で得られたものでありますが、この光芒を頼りに、次なる未来へ向かっていけたらいいなと思います。「さいたま3公演当たった剛運があれば、何やかんやで広島も千葉も当たるんじゃない?」と光芒は申しておりますので、それを信じて、健康、お金、時間、すべてを整えていきたいなと思います。そして、遠征先のホテルに入るときには「私はルームの案内人でございます」「私はあなたの問いに対して当館の設備を案内させていただく者でございます」「こちらが冷蔵庫です」「こちらがVODです」「製氷機は5階、大浴場は地下1階でございます」とかやって遊ぼうと思います!


いろいろ使い勝手がよさそうなので「ルーム」のアクスタも作ってください!