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11枚の白い扉について考えていました!

少し時間が空いてしまいましたが、先日の「Echoes of Life」広島公演への参加を経て、また少し公演について考えておりました。当初から気になっていつつも、何となく「扉がたくさんあるなぁ」で一旦置いたままにしていたルームに存在する11枚の白い扉について、改めて公演映像を見返しながら解像度を上げようと取り組んだのです。自分なりにはいい感じに解釈できた気がしておりますが、作り手の考えは作り手のみが知るものでありますので、諸説のひとつとして話半分で見ていただければ幸いです。

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映像中の「ルーム」に登場するほか、本編最終盤の「全ての人の魂の詩」ではリンクにズラリと並び、そのほか公演の各所で舞台装置として登場する白い扉は全部で11枚あります。デザインは1枚ずつ異なり、演目が進むごとに順番に開いていくようです。開く順番は、ルームで並んだ状態で言うと、左側大外→右側大外→左側外から2枚目…といった形で、左右交互に外から順に開いていきます。ナイフとフォークの使う順みたいな感じですね。

各扉はそれぞれ演目とリンクしており、最初に扉が開くのは2演目めの「産声〜めぐり」を演じる手前です。開いた扉を通ってNovaはルームから出てリンクに現れ、リンク上に舞台装置として登場した扉をくぐってNovaはまた映像世界に戻ります。この扉をくぐる際の向きは公演内で常に統一されており、ルームからくぐるときは内開きのようにドア板が手前側に来ている状態でくぐり、リンクからくぐるときは逆にドア板が奥側に行っている状態でくぐります。このことから、このドアは「ルーム」と「リンク」をつなぐ装置なのであろうと推測できます。

ルームを出るのは「言葉を音として表現する」ためですので、ルームで思考し、扉をくぐってリンクでその思考で得た言葉を「音」として表現し、またルームに戻って思考をつづけるといったことなのではなかろうかと思います。なので、あの白い扉はルームと映像中のディストピア世界とをつなぐ出入口という位置付けなわけではないのだろうと思います。実際あの白い扉は映像中のディストピア世界には一度も現れません。ルームへの入口となるのは光の線で描かれる通路であり、それは問いが浮かべばどこにでも現れますし、案内人?のチカラで出現させてNovaをルームに引きずり込むことも可能です。そして、そのようにルームへと移動した際に、ルーム内の白い扉が新たに開くことはありません。つまりあの白い扉は、ルーム内の別室(=リンク)への道なのではないでしょうか。

そういう意味では、現実世界にいると思っている観衆は実はルームのどこかにいる魂なのかもしれません。「Utai IV -Reawakening」の手前ではスクリーンに案内人が映し出され、リンクに椅子が置かれている場面がありますが、あれこそが「この会場はルームのなかですよ」という作り手からのメッセージなのかなと思います。観衆であるあなたもまた、このルームに入ることができるし、このルームのなかにいるのですと。誰の心のなかにもルームはあるのですと。「RE_PRAY」では観衆をゲームの世界に巻き込んだ羽生氏ですが、今回はルームという哲学の小部屋のなかに観衆を巻き込んでいるのでしょう。

そのように観衆がルームのなかに巻き込まれた場面で案内人が椅子に向かって語っていた言葉、そのときNovaに浮かんでいた問いというのは「この世界での私の役割とは?」というものでした。この物語は終幕においてNovaが「命の役割」を見出すことで終わるように、数多くの問いのなかでもストーリー上の核となるのが「命の役割」という問いであり、それは観衆に対しても「この機会に考えてみるのはどうでしょうか」と投げかけられている問いでもあるのかなと思います。

「命の役割」の問いは2枚目の扉(ルーム内の並びでは一番右)とリンクしており、公演第1部ではこの扉をくぐって「UTAI IV -Reawakening」が演じられます。演技後にリンクから扉をくぐって再びルームへ戻り、さらにディストピア世界に戻ったNovaはそこから戦いに身を投じていきます。この世界に残る憎悪と戦い、自身の正義を貫こうとし、自分とは何か、運命とは何か、やがて自分の過去と向き合いながら強さとは何かを思考していきます。その間に「Mass Destruction -Reload-」とリンクした3枚目の扉、「ピアノコレクション」とリンクした4枚目の扉、「バラード第1番」とリンクした5枚目の扉、そして「Goliath(2024Remix)」とリンクした6枚目の扉が開いていきます。

この間はリンク上にも映像にも扉は現れませんが、ステージ下にある舞台裏に入るための扉がルームとリンクをつなぐ機能を代替しているのだろうと思います(現実的に毎回扉を上げ下げするのも時間がかかって大変でしょうし、2回くらいやってみせればあとは何となくわかるだろ的な…)。そんなこともあって、衣装替えがあるわけではない「ピアノコレクション」と「バラード第1番」との間にも、「扉を開けるため」にあえて一度ステージ下の扉から舞台裏に戻る場面があるのかなと思ったりするのです(もちろん休憩もするんでしょうが)。

↓公演をご覧になった方はご存知でしょうが、リンク上には10枚の扉があり、場面によって下りてきます!
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↓扉の模様はすべて異なっており、たとえばこの四角がふたつ縦に並んだ扉は「Goliath」とリンクした6枚目の扉です!
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そして再び明確に扉が現れるのは公演第2部の冒頭です。リンクには2枚目の扉とNovaが現れ、しばし第1部での問いを繰り返しながら、やがてショートサイドでの早着替えを経て「アクアの旅路(Piano Solo Ver.)」が演じられます。この場面で特徴的なのは、Novaはこのとき扉を目視こそするものの「くぐらない」のです。あるときは扉の手前で反転し、あるときは手を伸ばしながらもくぐらずに引き返して、とにかくNovaはこの扉をくぐりません。舞台装置として見るならば、「くぐりもしない扉を一度下ろして、また上げる」というおかしなことをやっているのです。これが無意味な行為であるはずがない。

ここに僕は「RE_PRAY」での公演第1部と第2部とで選択ルートが変わったのと同じように、Novaが別の選択をしたという変化の示唆を感じます。第1部では「命の役割」に対して、本来VGH-257に与えられていた大量殺戮兵器としての役割というものがクローズアップされ、それに向き合うことになりました。しかし、その思考を変え、自分には戦い以外の役割があるかもしれない、あるはずだ、あってもいいのだという別の視点をNovaは持ったのではないでしょうか。戦いではなく命を大切にする方向での役割が。「アクアの旅路」の冒頭、「今なら、できる」のセリフのあとで扉はリンクから消えていきますが、それは「(思考を重ねた)今なら(再生という別の役割が)できる」ということなのかなと思います。「命の役割」という問いに対して、第1部とは異なる思考で異なる答えを見出し、異なる扉(7枚目の扉/ステージ下の扉が代替している)からルームに戻っていった(だから2枚目の扉はくぐらずに消えた)…そんな流れなのではないかなと思います。羽生氏が命のモチーフとしてしばしば用いる「水」をテーマとした「アクアの旅路」がここに配置されていることにも、そうした意味合いを感じます。

映像中で再び白い扉が現れるのは、塔のなかで「命の終わり」や「死」を意識し、案内人?にルームへと引き戻されたときのことです。このとき全体像は映っていませんが、左→右で外から順に扉を開いていったとき8枚目に当たる扉(右から4番目)はまだ閉じられています。「産声〜めぐり」から始まり「アクアの旅路」までちょうど7演目ですので、演目と開いた扉の枚数はしっかり符合しています。8枚目の扉を開けてリンクに現れたNovaは「Eclipse/blue」を演じ、第1部の「ピアノコレクション」と同じような哲学的思考を重ね、「記録が記すのは『過去』 臨むべきものは『未来』 生きている者の特権 なら、上手に使おうか」という考えに至ります。

この言葉の意味をどう取るかについて、初演後は「一生懸命頑張った過去が支えになって、いい未来に向かっていける」といったイメージでとらえていたのですが、公演の視聴を重ねるなかで「Eclipse/blue」と次の演目である「GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice-」で共通する時計のモチーフが読み解く手掛かりになるのかなと思いました。「Eclipse/blue」の最後で、リンクに現れた時計の上で反時計回りにスピンしたNovaは、リンク上に残ったままスクリーンの映像を見やります。そこには赤い月のような輝く球体と、それを挟むように回転する街並みのようなものが映っています。その街並みでは同じ形のように見える塔や建物が、ちょうど反転した世界のように球体を挟んで上下逆位置でまわっています。「Eclipse/blue」後もNovaがリンクに残りつづける(ルームに戻らない)こと、時計の上で反時計回りにスピンすること、回転する反転世界、そして「GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice-」。この一連の流れが示すものは世界の改変なのではないでしょうか。

「GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice-」の出典である「STEINS;GATE」はまさしく過去に干渉して世界を改変する物語ですし、この2演目で共通する時計上での反時計回りの動きは時間の逆行を示すものと受け取れます。それこそが先ほどの言葉の意味なのかなと。過去は記録でしかなく、生きている者が臨むべきは未来なのです。「過去」は「今」からどう見えているかの記録に過ぎないものならば、「変えてしまえばいいのでは?」「上手に生きたらいいのでは?」「運命が頑なに姿を変えないなら私が変わって世界を変えればいいのでは?」というのが今を生きる者の特権ということだったりするのかなと。痛ましい過去であったとしても、振り返ったときにそれが光芒となるように、今を生きる者が「そう見ればいい」「そう生きればいい」。自らが世界を破壊した過去と見るか、誰かを愛し愛された過去と見るか、それは今を生きる者の見方次第だったりするように。

そんなことを示すのが、この「GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice-」であえてリンク上に現れた白い扉(9枚目)と、そのくぐり方なのかなと思います。この9枚目をくぐるときNovaは「後ろ向きにくぐり」、そしてちょうど本来ドア板があるあたりで右手で突くような動きをするのです。「扉を開けて出てきたときの動き」が時間逆行で表現されているのか、あるいは改変前の世界を断ち切って「扉を閉める動き」なのか、いずれにせよ世界に何らかの改変が起きたことが示唆されている…僕はそのように思うのです。「Eclipse/blue」を演じたNovaは、同じ衣装で「GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice-」を演じた並行世界へと移動したのだと。だからこそ、先ほど出てきたステージ下の扉をくぐってルームに戻るのではなく、別の扉から戻っていることを明示したのではないかと思うのです。

その後、映像中のディストピア世界では青い蝶が飛び、花が咲き、緑の芝生が繁り始めています。歩みを進めていたNovaは鏡面のような地面に反射するNovaといつの間にか入れ替わって教会のような建物へと向かっていきます。Novaが手を差し伸べた花がいくつもの姿に変化するように、スタート地点から枝分かれする電線のように、反転するNovaのように、世界にはいくつもの可能性があるのでしょう。いつか命には終わりが来るとしても、その終わりの瞬間まで、無限の可能性のなかで未来に向かっていくこと、問いつづけ生きつづけること、それを命の答え・命の役割としていく…そんな物語が描かれたのかなと思いました。

そして、最後の11枚目の扉をくぐって再びリンクに現れたNovaはこれまでの演目(問い)を反芻するように、「全ての人の魂の詩」の演目でリンク上に現れた10枚の白い扉をくぐっていきます。そのくぐる手前の動作は、扉とリンクした各演目の特徴的な動きの一部となっており(5枚目の扉の前の首をグルリと回すバラ1の動きなどが分かりやすい)、演目の順に対応する扉をくぐっていきます。その後、ステージ下の扉(=11枚目の扉に相当する)とオレンジ色のトンネルを通ってNovaはまたどこかへと向かっていったのではないでしょうか。もしかしたらあのトンネルのような空間は「ルーム」と「リンク」の間なのかもしれません。第2部冒頭で第1部のことを振り返っているときや、「Danny Boy」を演じているときのスクリーンにも別の色のトンネルが映し出されていましたので。

↓最後の11枚目の扉のデザインがポストカードに採用されているのも、きっと最後の扉だからなんでしょうね!
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↓ポストカードで開けている扉も11枚目ですし、オレンジの円のなかにいるNovaはエンディング後に「トンネルの先で振り返ったNova」なのかなと思いました!
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↓動画のほうが見やすく映っているのでコチラもご参照ください!




とまぁそんなことを3日間ほど考えていたのですが、ひとつ疑問が残っています。この白い扉を見つめるなかで気になったのが、ルームにある扉とリンクに現れる扉が何故か反転していることです。ルームの映像では扉に向かって「右側にドアノブがあり、左に引いて開く」形です。しかし、リンクに現れる扉を同じ向きから見ると「左側にドアノブがあり、右に引いて開く」形になっているのです。「大道具さんが間違えちゃった、てへぺろ」とか「実はこのドア、押しても引いてもどっちにでも開くタイプなんです」という可能性もゼロではありませんが、ここにも何らかの意図があるのかもしれないなと思うのです。

ひとつ考えられるのは、このドアによって「公演会場は反転した並行世界」であると示しているのかなということ。公演会場もルームとつながった別室なのだとしたとき、そのルームからつながるディストピア世界と観衆がつながってしまったら、何となく落ち着かないですよね。そこで、ルームとリンクは不思議なチカラでつながっているけれど、「このリンク及び会場は反転した並行世界であり、ディストピア世界とは別の世界です」ということにしてくれたのかななどと思いました。ちょうどNovaが鏡面のような地面で反転するときと同じく、鏡面のようなリンクで反転した並行世界を観衆は見ている、みたいな話で。現実の世界にも恐ろしい戦争はありますし、ディストピアになる可能性もあるわけですが、そうとは限らない別の並行世界なのであれば、また未来は変わっていくかもしれないですからね。

まぁそれだとNovaの衣装も反転するんじゃないのかとか扉の上下も反転すべきだろ的なツッコミどころもあって実際よくわからないのと、これはネタバレ云々とか関係なく何らか明確な答えがもらえそうな気がする疑問なので、もし今後の質問タイムなどでチャンスがあれば「何で扉の開きが逆なんですか?」は聞いてみたいなと思いましたよね。こういういろいろ考えたことが誰かのヒントだったり、きっかけになればいいなと思いますので、ぜひ皆さまも「Echoes of Life」の世界を楽しんでいただければと思います!


考察した結果、ポストカードにゾクッとしたのは個人的にも収穫でした!