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記者を何年やろうが資格は生じないと思います!

昨日は注目していたフジテレビの社長会見が大変閉鎖的で後ろ向きなものだったことで、憤りを募らせておりました。個人的に何か被害に遭ったとか関係があるといったわけではありませんが、通常マスメディアが「報道」の御旗のもとにやっていることを翻れば、まったくもってダブルスタンダードで筋が通らないものだったと思います。

もちろんコチラも聖人などではありません。生きていれば脛に多少の傷はあります。だから、メディア企業の全員が品行方正で誰かの自宅やどこかの遺族に勝手に突撃したりはしないであるとか、銀行員は他人の貸金庫の中身に絶対に手をつけないであるとか、学校の先生は校舎の工事にまつわるキックバックなど絶対に要求しないであるとか、極めて厳格な清廉さを全員に求めることは不可能であるのは百も承知です。それでも、「普段自分たちがやっていることくらい省みて行動しなさい」とは思いました。

誠心誠意説明を尽くしたいと心から思えば、自分たちの番組を全部潰して何時間でも地上波で生中継をできる立場なのですから、スペースや時間の限界などあり得るはずがない。言えないことがたくさんあるのはわかりますが、ならば「言えない」と誠心誠意繰り返しなさいよと。メディアは徒党を組んで「さっき答えました」の質問を何度も何度も何度も繰り返して相手が焦れてキレて失言するのを待つことを常習的にやっているわけでしょう。警察でも検察でもないのに。そのメディアの代表なのですから、27時間くらい質問を鬼レンチャンで受けつづけて「コッチも寝てないんですよ!」とか「言えねーつってんだろ!」とか「チッ、うっせーな」とか漏らすのを待たれてしかるべきでしょうが。失言を待たれても巧みに堪えなさいよと。自宅に突撃されても甘んじて受けなさいよと。因果応報の報いとしてそれぐらいはやって当然です。フジテレビだけの話ではありませんが。

僕自身はメディアに対してかなり好意的なスタンスであり、情報伝達のインフラとして映像や画像や試合結果を世界中から届けてくれる仕組みに大変感謝しておりますが、その仕組みが生み出す利権を悪用して好き勝手なことをやっているという話なのであれば、情報など届けていただかなくて結構です。知りたい試合の結果があれば現地にいる誰かのつぶやきでも見ます。旧ジャニーズ事務所の事例と照らすならば「解体的出直し」でチャンネル番号は11とかをあてがい、名前も富士なんて偉そうなものではなくガチャピンTVとかにしていただくくらいでもいいだろうと思います。ガチャピンTVはちょっと見たくなるかもですね。朝から晩まで全部ガチャピンのチャンネルがあったら、ちょっと見ちゃうかもですね。ムックTVだと特に見る気にならないのは不思議ですが。

↓阪神・淡路大震災の慰霊の日に会見を行なったのはタダの偶然なんですかね!



そんな憤りが沸騰しました所以は、さらに前日にさかのぼります。16日、2025年の野球殿堂入りを通知する式典が行なわれ、イチローさんら4名が新たに殿堂入りを果たしたのです。もちろん入る・入らないの部分では異論などあるはずもありませんが、注目されていた「イチローさんの満票での選出なるか」については惜しくもなりませんでした。有効投票数349票のうち、92.6%にあたる323票の獲得。資格を得た初年度(※プレーヤー表彰は引退から5年経過で対象となる)に殿堂入りするのは史上7例目ということでもあり、突出して、当然のごとく選出されたことは間違いありません。ただ、やはりと言うか、案の定と言うか、「イチローさんでもか」とは思いました。

もちろん、意見は多様であるべきであり、何らかの理屈でイチローさんに投票しないというのは大いにあり得るべきことです。7人まで名前を書ける投票でイチローさんの名前が入らないというのは理解に苦しみますが、世のなかには僕が理解できないだけのまっとうな人はたくさんいます。何か理屈はあるのでしょう。イチローさんは日本での実働年数が9年で、真に活躍した言えるのは7年に過ぎず、たとえその7年に7年連続で首位打者を獲っていようが、日本での通算安打は1278本しかないわけで、「MLBは日本プロ野球より格下!そこでの成績は無意味!草野球で何本打とうが関係ないのと同じ!」みたいなことを言う人もいるだろうと思います。そういう多様さも受け入れるために300人からが投票して75%以上得票すれば殿堂入りと定めているわけで、全員が空気を読んで入れろなどとはまったく思いません。「生きている間は何かやらかすかも」「死んだら新しい問題は起こさない」「だから私は死んでる人にだけ投票してる」「墓と一緒で全員死んでから入ればいいんだよ」「早く死なないかな〜」みたいな異常者がいても、まぁそれはそれかなと思います。

ただ、毎年のようにこの手の投票でイラッと来ることの根っこを探っていくと「記者」だなと思うのです。広岡達朗さんあたりが独自の持論で「私もイチローには投票しない」などと言うのであれば「広岡さんだしな…」「もう誰が何言っても変わらないと思うし…」「こういう人もいる…」と納得できるのに、「広岡さんみたいな人が26人いたんだなー」でスッと終われないのは「記者」だからだと思うわけです。いわゆる殿堂入りを決める「プレーヤー表彰」の表彰委員(投票する人)は、野球報道に関して15年以上の経験を持つ者とされています(※総じて「記者」と呼ぶことにします)。今年投票した349人のうち僕ら「ファン」が有資格者として認められるような委員は何人いるでしょうか。その大前提の部分が、広岡さんにはあるけれど、「記者」にはナイと僕は思っております。

↓なお広岡さんはプレーヤー表彰のほうには投票資格がありません!



15年以上野球報道に関わったら何だと言うのでしょう。年数なんて時間さえかければ誰でも稼げるものです。僕だって今の会社に15年以上は勤めていますが、何の仕事もできませんよ。何のプロフェッショナルでもありませんよ。15年報道に携わったからと言って、それが全部デマを垂れ流すマイナスの時間だったという可能性だってあるでしょう。年数重ねさえすればもらえるものなんて節分の豆くらいです。40年記者をやろうが50年記者をやろうが、それのみでは僕は何の資格も生じないと思っております。

そもそも報道なんてのは「事実を伝える」だけの行為で運送とか流通に相当するものです。事実という荷物を運んでくる以上の価値は約束されていないのです。宅配便で届いたリンゴについて論じるとき、リンゴを作ったリンゴ農家さんの話は価値があるでしょうし、リンゴ料理を作った料理人の方の声も価値があるでしょう。しかし、宅配便のお兄さんの話を聞いてどうするのでしょうか。「重かったです」「箱がキレイですね」「中身はよく見てないです」とか聞いて「ふんふん」とうなずくのでしょうか。「記者」とは事実を運んだだけではないプラスアルファがあって、はじめてスタートラインに立てる立場だと思うのです。

深い見識と洞察力から名選手の技巧の秘密を解き明かす解説委員とかであれば、まだいい。誰も気づかぬ奇跡の記録を発掘してくる資料室の主とかであれば、まだいい。密かに行なわれていた八百長を執念の調査で暴いたとかであれば、まだいい。どんな過酷な環境のなかでもその瞬間を克明に記録してみせる写真家とかであれば、まだいい。広い知識と溢れる愛をベースに皆が思い出す名実況をしたアナウンサーとかであれば、うーん、いらないと思うけど百歩譲ってまだいい。しかし、ただその場に足繫く通って自分が担当する球団の狭い範囲で日々のよもやま話を聞き書きしているだけの15年なら、そこに何の資格も発生していない、僕はそう思います。手間な仕事だなとは思いますし、ときにそういう人の存在をありがたくも思いますが、それが何かを決めていい資格に直結するとは微塵も思いません。M-1グランプリの審査員に「年間2000本のお笑いライブに通い、一日にお笑いラジオを40時間聴いている!」なんて素人が混ざっていたら「で?」となるのと同じです。

携わった時間や量ではなく、どんなアウトプットをして、それがどのような価値を世のなかにもたらしたか、それによって「資格」は生まれるのです。「事実を伝える」仕事をちゃんとやってきたのは当然(※それができてない記者も多そう)として、その先の価値を生み出してこそその1票にも納得感が生まれるのです。その大前提の部分を未確認のまま「まぁ委員に選ばれるくらいの人なんだから全員ちゃんとしてるんだろう」「やった仕事を聞けば記事や本に見覚えがある人なんだろう」「選出理由を書かせれば相応の納得感も出せる人なんだろう」と無条件のビリーブでやってきましたが、そこが揺らいでいる、揺らぎ切っている、ひねくれたやべーヤツがメディアのなかで年だけ無駄に重ねてウヨウヨしているんじゃねーの?と見られているのが今なんだろうと思うわけです。

「記者」を名乗らずとも、この世にはたくさんの詳しい人や野球の発展に尽力した人がいて、なるほどーと思うようなことを言っているなかで、「記者」のアウトプットはちゃんと世のなかの審査を受けてきたのかな?と思います。スポーツ新聞に記事が載っていることとか、むしろ資格要件としてはマイナスなんじゃないの?くらいに思います。アウトプットが世のなかの審査を受け、「この人の意見ならば拝聴しよう」と思える有資格者を集めれば、「記者」でなくとも300人くらい集まるんじゃないですか。むしろ「記者」で300人集めるのが難しいんじゃないでしょうか。

M-1の審査員をやって物議を醸した山田邦子さんだって、何度も何回もテレビで見て、面白い番組や楽しい笑いを提供してくれた素晴らしいアウトプットの持ち主でしたからね。それでも物議を醸すというなかで、世のなかの審査を経たかどうかもわからない謎の記者が「は?」と思うような投票をしていたら、そりゃイラッとするのも当然です。やまだかつてないWinkの歌は覚えているけれど、トーチュウとか夕刊フジに載ってた記事など1行も覚えてないですからね!あ、トーチュウとか夕刊フジの記者にはそもそも投票権なかったですかね!あ、トーチュウと夕刊フジどっちも廃刊するからどの道もう関係なかったですかね!

↓満票である必要はないけれど「イチローさんに26人も入れずにいられる」集団は一度解体したほうがいいかもですね!


大体「記者枠」なんて300分の30とかでいいんですよ!

系列の関連媒体まとめて1票!それで充分!

フジテレビとサンスポとニッポン放送とかまとめて1票で十分!

そんなことより事実を正確に伝えてください!

話はそれができるようになってからです!



何票入ろうが何パーセントの得票だろうが、イチローさんや殿堂入りするような人の業績に何の影響もあるはずがありませんが、投票している側が「そういう集団」なんだということを思うと、これはやはり一度令和の世のなかの審査にしっかりと身をさらして、解体的出直しを図ったほうが将来のためだろうなと思いました。何を言おうが、どんな理屈をこねようが、一応お話しだけは聞きますし、ひとつの見解として尊重はしますが、「集団の7.4%からそういう言葉やそういう理屈が出てくるようであればやはり解体的出直しだな」としか思わないと思いますので。おっしゃりたい持論がある方はどうぞSNS等でぶち上げていただければと思います。世のなかが納得するような持論であれば、この話題も落ち着くと思いますので!

↓このレベルのへそまがりの許容量って数票くらいまでだと思うんですよね!

「世のなかいろんな人がいるからねー」の「いろんな人」にしちゃ多過ぎる!

その26人集めてイチローさんから「何で?」って質問してみてほしいですね!

何をどう答えて、どう世のなかを納得させるのか、「記者」の本分を見せてもらいましょう!


バットで世界を黙らせた人を審査するなら、せめてペンで世間を黙らせよう!