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それが正義だし、わたしだし、命!(まとめたぁ!)

昨日は楽しみにしておりましたテレビ朝日さんでの「『Echoes of Life』羽生結弦が紡ぐ究極のストーリー」を見ておりました。公演そのものは現地・映像含めて幾度も拝見してきたところではありますが、やはり地上波で広く偶然の出会いがある機会というのは興奮もひとしおです。初見の方が「羽生結弦氏の今」に触れることで、タイムリープでもしたかのようにその進化に驚いている様には、嬉しくもあり羨ましくもあるような気持ちです。「出会えた」ことの幸福、「未見のものがたくさんある」というお楽しみ、どうぞ思い切って噛み締めてほしいなと思います。

断言しますが、この地上波ダイジェスト放送で見たものを遥かに超える楽しさや喜びや感動が本編フル映像にはありますし、映像を遥かに超える圧倒的な体験が現地会場にはあります。照明、音響、演出、映像、プロジェクションマッピング、そして演技のすべてを全身で浴びる体験はほかにたとえようもないものです。毎回必ず現地を体験できるわけでもなく、それぞれの状況に合わせてルートは選択していただければとは思いますが、没入すればするほどに常に期待を超えるものが得られるだろうと思います。何回見ても、何度も見るほどに、また近くで触れたくなる…人生に残る極上の映画や珠玉の音楽のような何かとして、羽生氏のアイスストーリーを自分の人生に取り込んでほしいなと思います。空前絶後、唯一無二、世界最高峰、そんな体験をきっと得られるだろうと思いますので。

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番組の全体構成としては、公演テーマやストーリー自体についてはダイジェスト映像とナレーションによる解説で紹介し、演技部分についてはしっかりと映像で見せていくという形。その合間には羽生氏と松岡修造さんとの対談形式で、今回の公演のテーマや制作意図を紐解いていくパートが入るというものでした。公演に密着した映像もふんだんに使われており、舞台裏で疲労困憊する姿やメイキングの様子、スタッフ一同で羽生氏の誕生日を祝う様子などもおさめられていました。

全体で2時間半から3時間に及ぶ公演を1時間25分の尺に凝縮していますので、全容が放映されないプログラムがあったり、アンコール部分はわずかに触れる程度に留まる格好にはなりましたが、それでも十二分に「Echoes of Life」のエッセンスに触れることができる内容だったと思います。むしろ、ナレーションや本人による解説があるぶん、初見で公演をフルに見るよりも咀嚼しやすかったかもしれません。いやー、毎度のことですが、僕自身も公演初見の際は「僕は何を見たんだ…」と圧倒されて記憶を失うところからがスタートですので、これから本格的に「Echoes of Life」やアイスストーリーに触れていく勢にとっては、いいスタートダッシュとなったのではないかと思います。

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その咀嚼しやすさは自分にとっても大変有益なものでした。新たな情報として得られた松岡修造さんとの対談での羽生氏自身による解説は、漠然とした理解をさらに深め、漠然とした「何かすごかった」の感覚について理由を紐解くようなものでした。特に今までの鑑賞のなかではあまり深く考えてこなかった「正義」の概念については、さまざまな気づきが得られました。

「正義」という言葉から滲む国同士のぶつかり合いのような大きな意味合いは念頭に置きつつも、羽生氏はもっと個人の内側にあるものにも「正義」という言葉をあてはめているようでした。そして、「個人同士の、たとえばただの打ち合わせであったとしても会議であったとしても、それぞれの正義がぶつかり合うし」「それを飲み込んでしまったら、自分の正義は、飲み込まされてしまったほうだったら悪になってしまうのかもしれないし」「見方によって正義も、裏の悪も簡単に揺らいではしまうけれども」「哲学の根本も、基礎のところって結局対話なんですよね」と、その正義と悪のぶつかり合いを「対話」と重ねていました。

アイスストーリーのなかでは、再生されてしまった「世界の憎悪」との戦いで正義を貫くという展開だったので、もっとハッキリとした善悪二元論みたいなイメージを持ちがちでしたが、お互いの正義をぶつけ合うことで、お互いの正義が変化し、だんだん固まっていくというプロセスこそが「哲学」であると、前向きな戦いとしてとらえているのかなと思い直しました。そうした「哲学」に際して、羽生氏は「相手の意見を受け入れるばっかりだと実はそんなにうまくいかなくて」「それに対して、受け入れて、いやでもこうこうこう思っているからこういう風にできるよ、この理論は正しいでしょって言っていくことで、だんだんその理論が固まっていく」「逆に反論されたときに、すごく柔らかい心を持っていないと、ただひびが割れて終わっちゃう」と語りましたが、これは公演の最後にたどり着いた「芯の柔らかい役割を命に持たせること」「一番柔らかいところを守れるように」という考えにも結び付いていくのだなと思いました。

問いつづけ、考えつづけ、自分の正義をしっかり持とうと努めることは大切だけれど、逆に問われつづけ、考えつづけるなかで、自分の正義と対立する「悪」かもしれないものも受け止め、柔らかく変わっていけることを大切にしているのだなと、思考がクリアになりました。その構造こそが哲学であり、問いに向き合っていくことは生きるなかで進化や前進をつづけていくために欠かせないことなのだなと。公演を観ると、どうしても「羽生氏の答えは?」「Novaはどうなった?」という点にフォーカスし、それを受け止めたら一件落着みたいになってしまいがちですが、それは始まりであって、それを受けてまた自分自身の柔らかい心で哲学をしていってほしいという想いも、「Echoes of Life」には込められているのかなと思いました。そうやって響き合うからこそ「エコーズ」なのかなと。勝って終わり、負けて終わりではなく、互いに響き合っていくのだと。

もしかしたら羽生氏自身に、そうした問いを重ねるなかで進化してきたという実感があるのかもしれまないなと思いました。競技時代においては勝利こそ正義といった意識があるいはあったかもしれないし、だからこそときには「報われなかった」という感覚も抱いたのかもしれませんが、その報われない姿からも感動や勇気や元気が広まっていくという体験を経て、勝利以外にもちゃんと価値があるという考えに至ったのかもしれないなと、そんなことを想像しました。昨今のアイスストーリーの公演でも、人間のやることなので全公演がノーミスというわけではなかったりもしますが、それはそれでそのときだけの何かが表現できていることをちゃんと誇ってくれているのかなぁと、観客席から僕は感じていました。そして嬉しく思っていました。だってねぇ、報われない日にもコチラは勇気が湧いたり元気が出たりするんですから、価値がないはずはないんですよ。絶対に。そういう柔らかさ、柔軟さみたいなものはいいなと思います。

↓正義はいくつあってもよくて、変わってもよくて、柔らかく考えつづけていけばいいのかなと思いました!


その「正義」というか、こうあるべき、こうしたい、こうでないといけないといった想いに基づいてアイスストーリーを構成していくと、「2時間半から3時間をひとりで滑り切る」とか「15分以上にわたって5曲分を滑りつづける」とか「4回転ジャンプも含む五輪の構成のバラ1を入れる」とか「ダンスを基礎から練習してアップグレードする」とか「スケート靴では難しい動きもできるように持てる技術を駆使して取り組む」といった、自分を追い込んで追い込んで追い込んでいくスタイルも生まれるのだろうなと思います。

羽生氏自身が端的に語った言葉を挙げれば「そこに本気の熱量があって、すべてを懸けている姿がそこに映るからこそ、感動する」「想像を超えた部分に夢を見つづけるんだと思うし、そこを突っ走ることが僕の正義」ということを自分自身の表現に課しているから、命を削るかのような取り組みにもなるのでしょう。逆説的に言えば、興行エンタメとして見た場合には十分お値段以上の内容であったとしても、「それは羽生結弦がすべてを懸けたものか?」「想像を超えたものか?」と自問してなお胸を張れるものでないと表現として不十分という想いがあるのだろうと思います。羽生結弦の表現=羽生結弦を超えること、くらいの感じで。

だからこそ同じことの繰り返しに甘んじることはできないし、どんどんどんどん自分への要求が厳しくなっていくのでしょう。番組を見ながらハッとしたのは、「Eclipse/Blue」の演目で自身の書いた詩に合わせて演じる場面がありましたが、そこには音楽ではなく「言葉に合わせて演じるプログラム」という新たなテーマ性があり、日本語の抑揚であったり日本語の音を活かした唯一無二を、新たな角度から追求する演目だったのだという理解です。音ハメは羽生氏の代名詞ですが、その領域をさらに拡大していくような感覚を覚えましたし、日本人である羽生氏が日本で生み出して日本で演じる意義を強く覚えた瞬間でした。「毎回圧倒される」「何度も見たくなる」ことを漠然と感じてはいましたが、それは毎回新たな挑戦や進化があるから、という明確な答えがあったのだと実感しました。ならば、松岡修造さんに自分自身を超えたかと問われたときに即答で「毎回超えてます」が出るのも当然かなと思います。自分を超えることが羽生結弦の表現の骨格なのであれば、そりゃ答えは当然「毎回超えてます」になるでしょうからね。

↓「超えたから出てきた」ものに対して「超えましたか?」と聞くみたいなやり取りだった、と!



最後のまとめで語った「逃げたら本当にそこに生きる意味がわかんなくなっちゃうんですよ、僕の場合は」「それが僕の正義なんですよね」「正義だし、私だし、命なんですよ」「まとめたぁ!」という言葉は、もしかしたら本人の会心のドヤァほどには伝わりやすくはないかもしれませんが、本当にキレイなまとめだったと思います。リスクや負担やプレッシャーは大きいし、命を削るような取り組みだけれど、妥協せず、逃げずに、自分を超えていくという「正義」にたどりついた羽生結弦というアスリート&アーティストがいて、仮に自分が「羽生結弦」や「五輪連覇の金メダリスト」でなかったとしてもきっと何かしら自分を超えていく挑戦をしていたはずだと思える「わたし」がいて、「わたし」が望む「正義」を貫いていくことが「命=生きる」であると、そんなことを言いたいのかなと思いました。極論すれば、自分を超える挑戦をしていなければ生きていると言えないんだ、みたいなことを。

僕やあなたやほかの誰かにも、社会のなかでの立ち位置とか家族や環境とは関係のない「わたし」としての本当の気持ちがあるはずです。そして、さまざまな人と出会い、ときにぶつかり合うなかで柔らかく形を変えてきた「正義」があるはずです。「わたし」の「正義」があるのに、それをやらずしてその命は何をするものでしょう。生きるってそういうことなんじゃないでしょうか。ということは、命を削ってでも何かをやりたいと思って生きている人がいたら、それに対して「命を削らないで」と言うのは「生きないで」と言っているみたいな野暮になるということなのかもしれないなと思いました。これはなかなか厳しい話ですが、できることは自分自身もまた「生きる」をやり抜いていくことなのかなと思います。もらった勇気や元気以上にパワフルに命を燃やせたら、少しは削ってくれた命に報いることができるのかなと……。「生きてますか?」「生きてます!」と胸を張って答えられるような、そんな日常を頑張っていけたらいいなと思いました。

まぁ、何だか哲学的な重たい話みたいになってしまいましたが、それが心の底のほうに染みわたってくるのがアイスストーリーなので、これから見ていこうと思った方もまずは気軽に見ていただけるといいなと思います。最終的には「命」とか「生きる」とかを考える時間につながっていきますけれど、それは公演後の帰り道に星空でも見ながらそうなるという話であって、実際会場で僕が何してるかと言うと「すげぇぇぇ!」「かっけぇぇぇ!」「泣ける…!」「Fuuuuuuuuu!」などとハシャいでいるだけで、首傾げながら「命とは…」とか思案していたりはしませんし。楽しいトークとコール&レスポンスとかして盛り上がるアンコール部分が「公演第3部」と言ってもいいボリュームで40分くらいあったりして、ライブみたいに盛り上がって楽しめますので、ぜひぜひ新しく興味を持たれた方ともご一緒に楽しめるといいなと思います。「アイスショーでライブみたいにコーレスしながらFuuuuuu!とか言ってるってどういうことだ?」と思われるかもしれませんが、実際そうなんだからしょうがない。謎を感じたら確かめるのが人生を楽しく過ごすコツです。限りある命、思い立ったが吉日ですので、地上波初見の皆さまもぜひぜひアイスストーリーに飛び込んでみてください!

↓初演当日からインタビューで語っていたことも、時間を経てさらに深く感じられるような気持ちです!



↓今後の公演のチケットは完売済ですが、リセール販売を1月27日まで受付中です!

なお、本公演の総指揮は「本当のホントのギリギリまで席を捻出しようとする」タイプです!

追加はもうないかもしれませんが、状況は注視することをオススメします!



命に感謝しながら、楽しさも喜びも勇気も元気もありがたくいただきます!