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事実よりも大切にしたい真実がある!

自分の推し球団のことではありませんが、突き動かされるような報せを耳にしました。東京ヤクルトスワローズ公式サイトで告げられた、「つば九郎を支えてきた社員スタッフが永眠いたしました」との訃報です。一部で先んじて報道されたこともあって、もしかしたら望んで行なった発表ではなかったかもしれませんし、何を意味するかはそれぞれ胸で受け止めればよいと思いますが、「支えてきたスタッフ」というこの表現こそが事実であること以上に大切な真実なのだろうと思います。ギリギリのセンスでブラックを追求したつば九郎の安らぎに似つかわしい、事実の縁を絶妙なバランスで進んでいくような伝え方だなと思います。

これによりつば九郎の活動はしばらくの間休止になるとのことですが、ぜひまた会える日が来るといいなと思いました。そう思っているわけではない人がたくさんいることは承知しています。現実的にそう簡単なことではないかもしれません。このように大きく報じられたことで、事実の存在感は強くなりました。あのギリギリアウトでも何故かセーフになってしまうフリップ芸の言葉選びや手書きの文字、ギリギリアウトでも何故か笑いに変わってしまう他マスコットへの絡み、立ち振る舞いのすべてにつば九郎を支えた社員スタッフさんの「個」のチカラが不可欠でした。それでも、簡単なことではないとは思いますが、また会えたらいいなと思います。




すべてのキャラクターがそうであるように、人間には命の限りがありますが、キャラクターには永遠の命があります。100年、200年、愛されつづけるキャラクターは世界中に数限りなく存在します。仮にもしも自分が何かのキャラクターを生み出し、関わることがあったなら、それがずっと生きつづけ愛されつづけてほしいと願うように思うのです。もしかしたらそのことによって、自分自身もまたこの世に存在を残しつづけられるような気がして。

そう思うと、そこにまだつば九郎というキャラクターがいて、それを支えるスタッフさんもたくさんいて、それを愛するファンもたくさんいて…という状況で「また会える日」を求めることは自然だろうと思いますし、仮にやっぱり会えない未来が最後は待っているのだとしても探しに行かずにはいられないのだろうと思います。大好きな人の姿が見えなくなったとき、探さずに終わるわけにはいかないのが人情なのですから。

それはもう一度キャラクターを深く知る機会でもあると思います。もしかしてこれまでは世界で一番そのキャラクターのことを知っていたひとりの「個」に頼る部分が大きかったかもしれませんが、同じくらいまで深くそのキャラクターを理解することができたなら、彼はまたひょっこり姿を現したりするんじゃないかと思うのです。これまでの記録をAIに読み込ませれば漫画でも小説でもそれらしいものが再生産される現代です。AIにできることなら人間にはもっと上手にできるはずです。人間がもう一度そのキャラクターを深く知り深く理解することで、キャラクターが本来持っていた永遠の命は再び輝き出す、僕はそう思います。

すべてが同じである必要はありません。人間も日々変化していくようにキャラクターだって日々変化しているはずです。「最近まるくなったよね」なんて人間にもよくある話ですが、まるくなったとしてもその人のその人らしさは変わらずに存在しています。同じにするのではなく、変わりつづけるなかで、変えてはいけないものをつかみ取ること。モノマネをするときにキャッチする表面上の特徴の奥にある、そのキャラクターを作る本質の個性をつかまえること。それを理解しようと努めることは、これまでその「定義書」みたいなものをひとりで連綿と綴ってきた人への敬意の発露にもなるでしょうし、感謝の証にもなるように思うのです。

「つば九郎って何だ?」

という問いの答えが「ギリギリのセンスで手書きのフリップを書く芸」だとは僕は思いません。その根っことなる部分…それを表現するにはつば九郎と触れ合った時間が少な過ぎるので言葉にするのは慎みますが、根っことなる本質から生まれる行動のひとつがフリップ芸だったりくるりんぱだったりする、そういう順番だと思うのです。準備万端で魂を引き継ぐことはできなかったかもしれませんが、膨大な記録はしっかりと遺されています。そのなかにつば九郎はいます。諦めずに受け継いでいくような、そんな周辺であってくれたらいいなと思いますし、まぁ少し違うなって思う瞬間があったとしても、「日々いろいろ」だと思って受け止めるような周辺であってくれたらいいなと思います。

どこか遠くに羽ばたいていきました、のほうが思い出が美しく残るかもしれません。よく似たきょうだい・いとこがやってきました、のほうが受け止めやすいかもしれません。最終的には周辺の人たちが決めることなので、外野としてはその決断を尊重するしかありませんが、それなりに長くキャラクターというものを見つめてきた感覚で言えば、諦めてほしくないなと思います。ドラえもんも、孫悟空も、ルパン三世も、ゴジラも、ウルトラマンも、もちろんミッキーマウスも、支えるスタッフは変わったとしても生きつづけています。生きつづけられます。だから、愛するがゆえに諦める、は本当に一番最後の選択なのかなと思うのです。もし、これから周辺が困難な道に踏み出そうとする未来があるのなら、心からそれを応援したいなと思うのです。事実と真実は同じではない、そう思いますので。

↓いつも楽しませてくれてありがとうございます!
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他球団のことを考えたあとは思考が自球団に戻るわけですが、我らがレオとライナにもずっと生きつづけてほしいなと思います。我が埼玉西武ライオンズの場合は、手塚治虫先生から大切なレオとライナをお預かりしているだけですので、西武が何をしようがレオとライナをどうこうすることなどできるはずもありませんが、それでもジャングルではなく野球場にいるときだけ見せる直立ユニフォーム姿のレオの存在が末永くつづいてほしいなと思います。

カッコよくて、スマートで、いつも姿勢がよくて、しっぽもピンとしていて、品行方正で、しっかり者で、早起きで、お肉が大好きで、日々トレーニングを欠かさず、妹想いで、ファンへのサービスがよくて、みんなに優しくて、バク転と野球モノマネが得意で、ネタはそんなに得意でなくて、ちょっとやそっと負けたところで百獣の王の尊厳は微塵も揺らがず、大体腰に手をあてている…まぁ誰がやってもそんなに違和感ない程度のことしかしてないっちゃしてないですが、それでもレオらしいレオでこれからもありつづけてほしいと思います。姿や動きが多少変わっても、レオらしいレオでいてくれたらいいな、そんなことを思いました。子どもの頃から見ているレオがずっとそこにいてくれると、安心しますし、嬉しくなりますので。できれば、バク転は常にできてほしいですけどね!必須ではありませんが!

↓手塚治虫先生は「レオはバク転が得意」とかは言ってないかもしれませんが一応ギネス記録も持っているので!

手塚先生が言ってないことでも、そうなったらそれはそれ!


皆に愛される限り、キャラクターが持つ永遠の命は輝きつづけると思います!