2025年03月09日08:00
急急望次回次々回又再演!
いやーーーー凄い、凄過ぎるものを見ました。この週末は羽生結弦氏が座長をつとめ、東日本大震災をはじめとするさまざまな天災や悲しみに向けて希望を届けようと祈るアイスショー「notte stellata 2025」に参加すべく宮城へお出掛けしていたのですが、大拍手大喝采大興奮の凄まじいものを見せつけられ、記憶も時間も吹き飛ばされるような体験をしました。
羽生結弦氏×野村萬斎さんのスペシャルコラボ、見た気がする、が、本当に見たのだろうか。もしかしたら夢なのかもしれない。夢だったのかもしれない。まるで異界幽界から神々が降りてきて、人々の悲しみを癒せんとうたかたの夢を見せたかのごとく、心がその場に支配され、吹き飛ばされました。これが連綿と受け継がれてきた伝統芸能の凄みなのかと圧倒されました。羽生氏ひとりの圧でも毎回記憶が飛ぶくらいに圧倒されているのに、そこにもうひとり神的なものが加わったら、時間さえ吹き飛ばされるのもむべなるかな。これを書きながらも「本当にあれをこの目で見たのかな?」と半信半疑でいるような気持ちです。とにかく凄かった!
↓東京駅の大型広告に見送られ、いざ宮城へ!
↓こちらが奇跡の現場となったセキスイハイムスーパーアリーナ!
↓記念撮影するしかない羽生氏の看板がお出迎えです!
今年で3回目の開催となる「notte stellata」。個人的にも3度目の参加となり、会場や公演もなじみ深いものとなりました。現地への移動もいたってスムーズに進みましたし、会場に居並ぶお店さんには毎年お世話になっているなじみのお店も数多くあります。遠征とは言いつつも「ホーム」のような感覚でまったりと楽しむ余裕を見せる僕。
そんな「慣れ」のせいか季節感を間違えてしまい、「こないだ買ったEchoesの白パーカーで行こう」などと薄着で来てしまったものですから、温度の部分では若干のトラブルも(※寒いの意)。しかし、温かい豚汁やにぎわいあふれる休憩所などに助けられ元気は保たれます。寒さを癒すあの豚汁のぬくもり、この季節に起きたあの震災の寒さや辛さ、そして人の助けの温かさを千分の一・万分の一でも想像することができたような気がして、忘れられない味となりました。
↓サブアリーナには福島県楢葉町の皆さんや石川県の輪島朝市の皆さんの出店もありました!
↓おなじみアイリンショップさんは羽生氏からの新メッセージを掲出!
↓羽生氏が最近お仕事をご一緒した方々から先制のフラワースタンドをいただきました!
↓散策の様子などは動画でまとめておりますので、そちらでご覧ください!
待機列に並ぶなどしつつ、いよいよ会場入りをしますと、そこには凛とした空気が満ちています。大型モニターなどがあるステージ部には、木製の舞台が。下には車輪などもあるようで、どうやらこの舞台が動いて、そこで野村萬斎さんとのスペシャルコラボが演じられるようです。初見の衝撃を大事にしようと初日公演の情報はそんなに入れずにまいりましたので、未知なるものへの興奮で胸が高鳴ります。
そして始まった公演。まず羽生氏がこの公演の題名でもある「notte stellata」を厳かに演じると、志を同じくするスケーターたちもそれぞれに希望や祈りを発信していきます。「まずは参加スケーターがそれぞれプログラムを披露してその後スペシャルコラボへ…」なんて展開を想像していた僕ですが、その予想はあっさりと破られます。公演開始から1時間弱、まだ参加メンバーそれぞれのプログラムが一周しないうちに突如としてそれは起きます。大型モニター下に据えられていた木製の舞台がリンク中央へ動き出すと、モニターに映される水の雫の映像と雫が立てる音とともに始まる「MANSAIボレロ」。場の空気は少しずつそのリズムに支配されていきます。
舞台を囲むように黒い布をリンクに敷くスケーターたちと、橋掛かりのように敷かれた絨毯の上を進んでくる萬斎さん。その姿に興奮を募らせつつも、同時に恐れのような畏れのような感情も湧き上がってきます。萬斎さんは舞台の上に座ると、そこには雪が。その雪はこの世に降り注ぐ悲しみや痛みなのでしょうか。そして、叫びとともに黒い布に伏せたスケーターたちは、その悲しみに包まれた人々の姿なのでしょうか。2011年のあの頃、この会場がどのような役目を果たしていたか、改めてそのことが胸を締め付けます。
流れるボレロの調べ。はじめは静かに、音も少なく。その調べに合わせて動く萬斎さんは、言葉で表現するなら「歩き」「手を振り」ということでしかないのですが、とても言葉にはならない何かを送り込んできます。僕が狂言や能について知らないということもあるのでしょうが、その動きはおよそこれまで見たことがないものであり、それが神々の動きだと言われたらそうなのかもしれないと思うような摩訶不思議なものでした。静かなればこそ、動き少なければこそ、そのひとつの動きひとつの所作に見入ってしまいます。心が引き込まれます。萬斎さんがボレロの調べに合わせて足で舞台を踏み鳴らすと、その強い音でハッと目覚めるような感覚を覚えます。トーントーンと無音でふたつ跳んだあとバン!と鳴らせば、椅子に押し付けられるようにのけぞった感覚になってしまうほど。
やがてリンクには金の衣のような衣装をまとった羽生氏が登場しますが、驚くべきことに拍手が起こらないのです。その多くが羽生氏を見るべく集ったであろう大観衆が、羽生結弦の登場に拍手することができないのです。してはいけない、今するべきではない、そういう「考え」もありつつも、考える以前に手が動かないのです。萬斎さんの動きと音と表現による「場の支配」で手も身体も動かせない、そのほうが実感に近いなと思います。
舞台の上の萬斎さんとリンクの上の羽生氏が同調しながら舞うボレロ。羽生氏は背後からの「場の支配」をどう感じていたのでしょうか。この支配のなかで同調し、並び立つだけでも凄まじいことだなと震えます。僕は手も動かせないほどに支配されているというのに、何と見事に演じたものか。これをショートサイドから見られたらどれほどの感覚を味わえるのかと真横から見ながら唸ります。凄い、凄過ぎる。二重の支配でもはや見ていることしかできません。
そしてこの演目の終わり、ふたりが同調して跳び、萬斎さんが舞台裏に飛び降りて消えたとき、まるで「場の支配」から一斉に解かれたように観衆が総立ちとなりました。スタンディングオベーションをなじみある文化とするフィギュアスケートのファンでなかったとしても、この支配から解放されたあとには総立ちとなったのではないか、そう思います。何とも言えない不思議な体験でした。
↓2時間でも3時間でも見つづけたい!そんな気持ちになりました!
羽生結弦×野村萬斎の化学反応 代表作「SEIMEI」と、「鎮魂」と「再生」の「ボレロ」https://t.co/DKrbHWEXwP#フィギュアスケート #figureskating pic.twitter.com/4EDOwi9zDl
— スポーツ報知 ICELINK (@figure_hochi) March 7, 2025
そして驚きはこれで終わりませんでした。通例であれば、楽しいダンスナンバーあたりで始まる第2部が、何やら異変とともに始まったのです。整氷を終えたリンクの三方に小さな舞台が設置されると、その空間のなかにプーさんを携えた羽生氏が現れました。これが第2部の始まりなのか。しかし、プーさんを携え、ジャージ姿で現れるということは、これはいわゆる「6分間練習」ということなのか。ここで?羽生氏が?座長が?6分間練習をするほどの演目に臨む?僕が困惑のなかにいるうちに羽生氏は次々に4回転ジャンプを決め、念入りにサルコウの確認をして舞台裏に引きあげていきました。もしや、これは…。
やがて呪文ともにステージ上方に萬斎さんが姿を見せます。陰陽師、安倍晴明です。萬斎さんは天・地・人を司り、またしても瞬く間に完全に場を「支配」してしまいます。すると、その手には人型のような紙が。「出現、羽生結弦。急急如律令」の呪文とともにその紙を放つと、リンクにはSEIMEIの姿の羽生氏が現れました。萬斎さんが晴明で、羽生氏は式神「SEIMEI」なのか!なるほど!SEIMEIが並び立った!
流れるのはもちろん「SEIMEI」。最近のアイスストーリーでもSEIMEIを見る機会はありましたが、近年よく演じるのは終盤の部分からでした。しかし、この日は演目の冒頭から演じ、4回転サルコウを跳ぶところから始まるではありませんか。リンクで舞う羽生氏と、ステージを下りてリンクサイドの小さなステージに向かう萬斎さん。萬斎さんは四方から青龍・白虎・朱雀・玄武を召喚しているのでしょうか、その傍らにはかしずくように式神のSEIMEIが控え、すべてが荘厳な神事のよう。式神SEIMEIは4回転トゥループからのコンビネーションも跳ぶなど、滑るわかしずくは跳ぶわで大活躍です。
再び萬斎さんがステージで唱えたのは「降臨、府君」でしょうか。調べると泰山府君は陰陽道で死を裁定する神なのだとかで、泰山府君に祈ることで死の運命をも取りなせるのであるなんて解説も見受けられました。「MANSAIボレロ」でも「ダブルSEIMEI」でも、もしかしたらこの地に降り注いだ悲しみを癒し、再生への祈りを捧げていたのかもしれないなと思います。リンクに描かれた五芒星、きっと何かを調伏してくれたのでしょう。理解するには陰陽道の知識が及びませんが、心で感じることはできたように思います。悲しみと痛みに、急急如律令です。
↓ダブルSEIMEIは誰しもが予想するところなれど、その予想を超えていく展開!
羽生結弦さん 野村萬斎との初コラボは「SEIMEI」と「ボレロ」…会場どよめくhttps://t.co/ue9t2BGMGR#フィギュアスケート #figureskating pic.twitter.com/7t0VI83WvD
— スポーツ報知 ICELINK (@figure_hochi) March 7, 2025
あまりの出来事、整氷はさんで連続の「支配」によって記憶どころか時間も吹き飛ばされ、本当に今これを見たのかわからないような感覚のなかで思ったのは「これ、次、出づらいわ…」でした。フィギュアスケーターであったとしても、舞い踊る何者かであったとしても、これは厳しい。出づらい。神がひとりならまだしもふたり並び立って何やら凄まじいことをやったあとで、「では次は私が」なんて誰が買って出るでしょう。世界チャンピオンであるシェイリーン・ボーン・トゥロックさんやハビエル・フェルナンデスさんであれば、ご指名とあらば何とかするのでしょうが、相手はふたり掛かりで凄まじ過ぎます。僕が代わりに慌てふためきました。
しかし、驚きましたよね。そこで登場したのはおなじみのビオレッタ・アファナシバさん。ビオレッタさんはスケートとフラフープを融合したパフォーマンスを得意とするお方で、「notte stellata」にも以前から参加してくれている同志ですが、今ここに出られるとしたらビオレッタさんを置いてほかにはなかったのです。だって「MANSAIボレロ」にも「ダブルSEIMEI」にもフラフープ要素はないのですから。ていうか、ジャグリング的なものは一切ない。どれだけ場を支配されようとも、「でもおふたりはフラフープできないですよね?」と言われたら「それはそうですね…」となるしかない。あの支配に唯一縛られない技能、それはフラフープだった。そ、そ、そうだったのかー!(←違う)
第1部の「MANSAIボレロ」での圧巻の締め、そして「休憩後、十分なウォームアップを経る」ことでようやく可能となる「ダブルSEIMEI」での再始動、その強烈な支配から場を引き戻すフラフープ。この流れは神懸かり的だったなと思います。驚きと興奮と畏怖と喜びと巧みさと、濃厚過ぎる時間でした。本当はもっと全編に対して感想なりがあるべきですし、最後のご挨拶部分なども記録しておくべきなのだとは思いますが、もうスペシャルコラボ部分が凄まじ過ぎてチカラ尽きました(※ただいま午前6時)。まぁちょっと、これは世界から見に来るしかないなと思いましたし、世界に発信すべきものだと思いました。この公演を通じて届ける希望や祈りと一緒に、この強烈な体験が世界に届いてほしいなと思います。「ライビュ会場も総立ちだった」みたいな感想をSNSで見て、すごい盛り上がりなんだなとは思っていましたが、本当に凄かったです!
↓この出来事を2025年公演だけで終わらせてしまうのは人類の損失なのでは…?

今から東京五輪やるターンだったらそこでもう一回やるのに!
今年どうしても都合が合わなかった人のためにチャンスがあってほしいな、と思うような出来事でした!
まぁ、この1回に捧げると思えばこそ、特別な演目も生まれるのでしょうが!
(MBリピ沼から這い出て)配信組です。
冒頭、今日ここでのノッテステラータ。
毎回このショー最初の1発目の演技を成功させるプレッシャーはどれほどかと思います。高次元の実力と強い想いと祈りの集中力が結晶化しているようで。そして細やかで深い優しさが伝わる挨拶に涙腺が。
野村萬斎さんとのゲストコラボは、人生に容赦なく降りかかる困難とふと訪れる凪の時間を生きていく力を励まされる感じがしました。これまでの全部があってこそ可能にした、絢爛豪華な祈りのボレロ....。鎮魂と慰めと有限の時間を生きていることのへの気づきをもたらす深さが萬斎氏の表情と共に心に刻まれました。
そしてSEIMEIの晴明によるSEIMEIというか、種明かしサイドストーリーというか.....震災の特別な記憶が残る場所で、シェイ先生も出演しているショーで、夢かうつつかわからない息を呑む時間。
完璧にやりきりたい気迫が伝わってきます。2日目リハで軌道の氷の溝で苦労されているようでしたが、本番は製氷後。これならと思えばスモークでリンクが見えなそうな多分凄く難易度高い状況でサルコー決めてました。あと、シングルスケーターにとって繰り返し跪き完全に静止し、もう1人の演者に呼応して再び演じるのって、素人が想像するにかえってしんどいんじゃないか、鍛錬が要りそうだと思いました。
春よこいが沁みるのはもう約束されていて、でもいつもハッとさせられます。
結弦さんの「今日の」表情は今日この時の一回生のもの。ディレイドアクセルの幻想的な美しさはなんということでしょう。
フィナーレは昨年同様群舞する意味がこの上ないほど印象深く、そしてパッション溢れる座長に目が釘付けとなりました。「今日も羽生くんが生命を燃やす姿を目の当たりにできてなんて幸せなのだろう😭✨✨✨✨✨」と思うのでした。