- カテゴリ:
- 野球
2025年09月03日08:00
タダで見せろとは言わない!数を増やせ!
昨今大規模スポーツイベントにおいてよく聞かれるようになった「●●が■■の放映権を独占したので■■が見られない」という問題について。個人的には●●が放映権を独占したならもうしょうがない、1000円くらい払って●●を見るしかない、と思ってはいるのですが、できればタダで見たいという気持ちもないわけではありません。何とかこの「タダで見たい」という気持ちに正当性(正義のこん棒)をひねり出して、●●をぶん殴りながら「やいタダで見せろ!」と罵ってやりたい、僕も人並みにそんなことを考えていたのです。
↓スポンサー様からも「やいタダで見せろ!(意訳)」の声があがっています!
【WBC放送・配信権に関する見解】
— ディップ株式会社【公式】 (@dip_PR_) September 2, 2025
ディップ株式会社は、WBCの放送・配信権について、懸念を表明します。
今回の放送形態では多くの人々のWBCを気軽に楽しむ機会が奪われてしまうのではないかと危惧しています。… pic.twitter.com/uulxQGhkr2
一番ラクなのは、日本でもイギリスのように放送法・電気通信事業法等を担う何らかの大臣が所管する形で、主要なスポーツイベントについては無料放送サービスがライブ中継を行なうように法律で制限してくれることです。日本で何らかの大規模スポーツイベントを放送なり配信しようとするなら、運営元が放映権を売る時点で「日本で放送・配信させてもらえる事業者か?」を検討しなければいけないように強いれば、要件を満たさない事業者(※零細サブスクとか)が日本市場をアテにして権利だけ取っていくようなことを牽制できるだろうと思います。
ただ、その前段階として、映画とか音楽コンサートに対しては「タダで見せろ」なんてご無体な要求をしたりはしないのに、何故スポーツイベントに対しては「タダで見せろ」を要求したくなるのか、その点について理屈をひねり出して(言語化して)、「タダで見せろ」が正当な要求であることを言い張らないといけません。正当な要求であるからこそ国や法も動かせるわけで、今のように「タダで見せろ派」と「見たければ買え派」が拮抗している状態では要求もまかり通らないというもの。
そもそも何故、大規模スポーツイベントはタダで見たくなるのでしょう。大ヒット中の劇場版「鬼滅の刃」も相当な人数の観衆が見ていますが、「タダで見せろ」と言っている人は僕の観測範囲ではひとりも見たことがありません(盗撮映像を見ている人もいるんでしょうが)。1年くらい待てば地上波テレビでタダでやるだろうという認識が広がっているから特に要求するまでもないのかもしれませんが、「1年待てる」というのもスポーツイベントとはだいぶ違う感じがします。
それは「コンテンツ」と「ライブイベント」の違いなのかなと思います。コンテンツはそれ自体に大半の価値があり、時間を経ても場所が違っても変わらないもの、かなと思います。ライブイベントはそれ自体だけではなく、その日・その時・その瞬間のその場に大きな価値があるもの、かなと思います。映画は何十年も前の作品が繰り返し繰り返し見られますが(先日は「もののけ姫」を見ました)、スポーツイベントは昔の名試合を何度も何度も見るような楽しみ方はメジャーではないでしょう。もちろん、まったくしないというわけではなく、昔の名試合を見ることもありますが、やっぱりそういう楽しみ方は少数派だと思うのです。「金曜ロードショー」はありますけど「金曜名試合」はないですもんね。
としたときに、もしかして今こうした莫大な放映権料がやり取りされるほどの価値があるのはスポーツそのものだけではないのではないかと思い至りました。そのスポーツだったりライブだったりが生み出す「場」、ある日・ある時・ある瞬間・ある場所に人々の思いが結集する、その空間というか、現象そのものに大きな価値があるのではないでしょうか。バーベキュー大会において肉の味は本質的な問題ではなく、みんなが集まることそのものが楽しいように。スポーツイベントは「筋書きのないドラマ」が生まれるその日限りの一期一会のものであるため、その「場」を生み出すチカラが特に強く、その「場」で「その日・その時・その瞬間」を迎えることに大きな大きな価値が生じる、そういう順番なのかなと。
そういう意味ではスポーツイベントを何かと比較するなら「映画」よりも「花火大会」とかのほうが適切なのかなと思いました。花火大会において見たいのはもちろん花火です。花火を見たい。目的は花火です。ただ、花火そのものだけでなく、人々の賑わいやざわめき、盆踊りの調べや立ち並ぶ屋台、その幸せなお祭り騒ぎがあってこそ楽しいわけでしょう。石油王がたったひとりで見る隅田川花火大会は贅沢かもしれませんが、同じ満足は得られないと思います。
もし、その花火の上がる河原に高い壁を立てて、壁の向こうへの入場料を取る輩がいたら……?
その花火もその河原もその輩の持ち物だったとしても、人々は何かを奪われたような気持ちになるのかなと思いました。みんなの賑わい、楽しい集いの場、みんなの「お祭り」を誰かが自分のために独占・利用しようとしたら、それは違うぞと。花火は誰かの私財であったとしても、お祭りは誰のものでもない。花火がお祭りの喜びを増加させ、それによってお祭りが大きくなったことはその通りだとしても、お祭りはみんなが集ってみんなが作ったものであり私財ではない。花火が得ていいのは、お祭りを盛り上げた立役者としての貢献に見合った範囲の報酬であり、「役得」の範囲のものである……そんな正義感がメラメラとたぎってくるような気持ちになりました。お祭りのために大金を投じた人が前のほうのいい席に座るのは納得できるが、壁を立てるのは承服できない。ケチで言うのではなく義憤としてそう思える気がしてきました。
そして、その「お祭り」に価値があるとしたとき、誰かがその一部である花火を独占することは実はその「お祭り」が持つ価値を棄損する行為であると思えてきました。たくさんの人が集まるその現象に価値があるのに、いくばくかのお金を取ることでその場の賑わいが小さくなったり集まる人が減ったりしたら、それは「お祭り」という現象そのものを棄損する行為なのです。「お祭り」の味方ではなく、「お祭り」の敵なのです。たとえば「今大会を見た人は激減して100万人程度でした」ってなったら、次回の放映権料は下げざるを得なくなるわけで、それは価値が棄損されて減ったという評価になりますよね。
↓素晴らしい試合だから日本で数千万人が見たとも言えるし、日本で数千万人が見たから素晴らしい試合とも言える!
今話題のWBCの放映権の場合、NHKの月額とNetflixの月額はさして変わらないかもしれませんが、NHKで放映すれば日本では最大1億人程度がその「お祭り」に参加できるのに対して、Netflixで配信すれば日本ではせいぜい2000万〜4000万人(※公称約1000万アカウントが複数台で視聴したとして)というところでしょう。それはつまり「日本の大切なお祭りの価値が半分とか5分の1とかに棄損される」ということなのです。放映権を買うのは商売だから勝手だけれど、日本のお祭りを萎ませることは認められない、それはお祭りにとっても花火にとっても敵だ、そんな義憤を振りかざすというのではいかがでしょうか。
そういう筋立てから考えれば、「タダで見せろ」という言い方は本質ではありません。タダで見せろが本質なのではなく、その「お祭り」がこれまでと変わらぬ賑わいを備えた場であるようにせよ、そう言うべきなのです。たとえば今、日本国内でNetflixのアカウントは1000万件を突破したと報じられていますが、それで生み出せる「お祭り」は前回大会の規模には到底及びません。2023年大会決勝で記録された世帯視聴率瞬間最高46.0%を基準にするなら、日本の世帯総数約5000万×46.0%=2300万アカウントが最低でも必要であるので、「大会時点で2300万アカウントまで増やせ」と要求するのが本質なのです。だって、それぐらいNetflixが普及していたら、もはや誰も「タダで見せろ」なんて言わないと思うんですよね。多くの人がすでに加入しているんだから。(※実際には前回大会では地上波テレビ以外でも放送・配信されていたので要求アカウント数はさらに増えるはず)
2300万アカウントとかまでNetflixが日本国内で普及し、その同時接続に遅滞なく耐えられるのであれば、どうぞ独占おやりなさい、そういう理屈ではどうでしょう。これであれば「タダで見せろ」と要求して「放映権を持っている者が金を取るのは当たり前」と反論される不毛は避けられるのではないでしょうか。いいんです、いくらでもお金を取ってくれて。その「お祭り」の場が変わらず賑わうのであれば。「地面師たちII」とか「もっとあぶない地面師たち」とか「はみだし地面師情熱系」とか魅力的なコンテンツを多数生み出してサービスを普及させ、その「お祭り」の場を担うのにふさわしいプラットフォームになってくれれば、WBCなどの大規模スポーツイベントを配信するのに何の異論があるでしょう。
有料でいい、数を増やせ。
数が増えないなら、何か考えろ。
「お祭り」の場という公共財の価値を守るべく、それにふさわしい規模を要求する。これであれば「タダで見せろ」というケチの本音をクチに出す必要はなくなります。そうした要求を展開しつつ、「大規模スポーツイベントのような人々が集う『お祭り』は貴重な公共財であり、誰かが占有したりすることがないよう国が制限すべきものである」という考えを世間に広めていけば、ヘンなのが金で割り込んできてお祭りを萎ませるような事態は避けられるのではないかと思うんだぞーん。
放映権を売る側にも最初からそういった視点を持っていただき、「おたく日本ではまだ普及してないね」「日本のお祭りが萎んだら大会自体の価値も萎むんだわ」「最低2300万世帯、理想は5000万世帯が見られるように整えて」「自分たちでは賄えないなら何か考えて」「タダで開放するとか、ほかの事業者にも権利を売るとか」という地ならしをすることが当たり前になったなら、最後にケチがタダで見せろと騒ぎ出すこともなくなるのではないかと思います。やり方は自由ですので、どうしても無料開放とかサブライセンスとかしたくないなら、パブリックビューイングを全国津々浦々で展開するようなやり方もあるのかなと思います(※1会場100人として10万箇所とか)。そこは事業者さん側でよしなに考えていただきまして、とにかく数、その「お祭り」の場を賑わわせる数、それを達成していただければと思います。タダで見せろなどとは申しませんので!
↓「日本中にお届け(できる)」ではなく、「日本中にお届け(できた)」を要求します!
2026年 #ワールドベースボールクラシックは、Netflixで日本中にお届け! pic.twitter.com/NA77FrXPme
— MLB Japan (@MLBJapan) August 25, 2025
日本中がアクセス可能であること!(※有料でも可/同時接続必須)
そして実際に日本中がアクセスしたという実績をちゃんと出すこと!(※サブライセンス・パブリックビューイング含めて可)
誰も買わないショーケースに並べて終わりでは、「お届け」とは言いません!
賑わいが要求する規模に届かないなら、ペナルティとしてお金取りましょう!






文化が盛り上がりが、と言ってもそれは日本の問題ですからねぇ