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それぞれが「自分の震災」を胸に!

2026年3月11日、あの東日本大震災から15年目を迎えました。時の経過や、この数字には特に感慨はありません。失われたものは戻りませんし、復興はなくなったのと同じものが帰ってくるということではありません。今も昨日のことのようにそのときの怖さを抱える人もいれば、今もあの日からずっと故郷に帰れずにいる人もいます。15年で新しく始まった暮らしは平穏に行なわれているように見えていますが、始まってすらいないものもたくさんあるのでしょう。震災とはずっとずっとつづいていくものだと思います。

ことさらに東日本大震災だけを悼み悲しむというわけにもいかないほど、世のなかにはたくさんの痛みや悲しみが生まれつづけています。記憶に新しい石川能登の震災や豪雨災害もありました。熊本、北海道、毎年のように何かが起きています。世界に目を向ければ天災はもちろん、人災としか言いようのない戦争紛争が繰り返し起きています。今もまさに戦いの最中です。そんなことを思うと、もはや何を悼み何を悲しむのかすらわからなくなってくるほどです。

それでも、自分としては特にこの日を大事な日として心に留め置こうと思います。この震災はニュースで見るだけでなく、実際に自分の身体で感じた「自分の震災」ですので。大きな揺れを感じ、東京が大変なことになると思った刹那、それは本当の天災から遠く離れた場所で感じた余波でしかなかったと知ったときの戦慄。その中心は郷里の方角で、自分も訪れたことのある町や村を自然の脅威が飲み込んでいたときの悪夢でも見ているかのような非現実感。大抵のことは忘れてしまう自分もあのときの光景や会話、歩いて帰った道のり、家にたどり着いたときの安堵、両親と電話が通じたときの喜び、その前後100日くらいのことは日記でも見ないとまったく思い出せないのに、あの日に関することだけは今も鮮明に記憶にあります。

もちろん大した危険に遭ったわけではなく、被害と呼べるものなど何もないのですが、この世界は何事もない同じ日が繰り返されていくわけではないと理解するのには十分な、傷つき過ぎない深さの痕跡を胸に刻んでくれた出来事だったと思います。世のなかには「対岸の火事」なんて言葉もあるわけですが、「自分の震災」を得てからは「どこも対岸ではない」と戒めるような気持ちがずっとつづいている気がしています。ずっと震災のことだけを考えたりはしないけれど、薄く長くずっと伸びている思いが過去から現在そして未来へつながっているような気がします。
そんななか、この日を一層大切に思わせてくれているのは羽生結弦氏の存在あればこそだなと思います。何もなくてもこの日は多くの人が悼み悲しむ日ではあったのでしょうが、世界のスポーツ史に名を刻むような人が、とりわけ僕自身も心惹かれる人が、東日本大震災のことを我が事として、たくさんの痛みや悲しみに心を寄せ、心に受け取りながら、この日をことさらに大切にしてくれているのですから。しかも悼み悲しむ一辺倒ではなく、そこに希望や再生への祈りを込めようと、自ら先頭に立ってアイスショーを行ない、言葉と演技を発信してくれているのですから。

↓スペシャルメッセンジャーをつとめる「news every.」では昔の映像も交えつつ、15年を経た想いを語る!



↓地元放送局への生出演では今後への決意とともに宮城の人々へ語り掛ける!



↓たくさんの人が羽生氏の言葉を求め、その言葉とともにそれぞれの15年を振り返っていくよう!


「news every.」においては東日本大震災が起きた時間に合わせて、当時その瞬間を迎えたアイスリンク仙台で「天と地のレクイエム」を舞うという一幕も。毎年この日には思いを込めてこの演目を演じているという羽生氏にしても、あの日と同じ時間、あの日の記憶が甦るアイスリンク仙台でこれを演じるというのは、大変な重みが伴う取り組みでしょう。

懊悩するように、憤るように、悶えるように舞う羽生氏の姿、目を離せずに見守る時間は目を開けてする黙祷のようでした。この演技の終末は、当時揺れるそのなかで柱や照明器具などが落ちてこない場所を目指していたことを思って、同じように天井を見上げながらその場所へと向かっていたといいます。番組内で、この日の鎮魂の舞を振り返る羽生氏の目は少し潤んでいるかのようにも見えるほど、感情が高ぶっている様子でした。「トラウマ」と言えるような体験と向き合いながら、それでもこの舞を捧げてくれた思い、広く伝わればいいなと思います。できることなら、その演技自体を広く発信してもらえるといいなと期待しながら。

↓強い気持ちで鎮魂の舞を捧げた羽生氏!


↓別の年に演じられたものですが、「天と地のレクイエム」です!




10年のときもそうでしたが、人はキリのいい数字のタイミングで節目を迎えたがります。何かが終わったことにしたい。解決したことにしたい。忘れたい。逃れたい。決着したい。そんな気持ちになりがちです。10年のとき以上に15年というのは、経過した時間の長さもさることながら、10年のタイミングでは節目と思い切らなかった「10年までを震災」と何となく思っていた遠くの人が、いよいよ節目と思い定めそうなタイミングです。

でも決してそんなことはなくて、被災のただなかにいた人の声を拾えば、誰もが昨日のことのようにあの日を振り返り、そこからつながった今を生きています。決して癒えることのない痛みを語り、どうしようもない過去への後悔で今なおあふれる涙を止められずにいます。きっと、節目などないのです。数えたら15年経っていた、ただそれだけで、それが5で割り切れることに本当は何の意味もないのです。あえて言うなら、節目としてこの出来事を過去にしたがる人たちや、すでに過去にしてしまった人を呼び止めて思い出させやすいタイミングが5と10で割り切れる年である、そういうことかなと思います。

羽生氏のように広く世界に知られ、その言葉や表現に注目が集まる人が、この震災の当事者として今も心高ぶる姿を示しながら、そうした節目に抗いつづけてくれていることは、世界にとってありがたいことだなと思います。今年だけでなくずっと同じことを思い、東日本大震災だけでなくその後に起きたたくさんの痛みや悲しみも受け取りながら、「生きる」ということを問い掛け発信しつづけてくれている人がいる。それは僕にとって人生を大事にできるようになる支えになっていますし、たくさんの人にとってもそうだろうと思います。

この3月11日は主に東日本大震災のことが語られる日ですが、1923年に関東大震災のあった9月1日が「防災の日」として関東だけでなく日本全体が防災のことを考える日になったように、たくさんの「自分の震災」を抱える人が思いを重ねる日になればいいなと思います。この先、もっと復興が進み、2011年に悲しんだ人が目に入らなくなっても、新たな痛みや悲しみを抱えた人が集える、そんな日になるといいのかなと思います。個人が担うには重過ぎる役目かもしれませんが、今年こうしてたくさんの人がその言葉を求め、その表現に鎮魂の思いをともにしたようなことを、旗頭としてつづけていってくれたなら、ありがたいなと思います。

僕のなかの「自分の震災」もそんなことで今も鮮明にここにあるのかなと思いますし。

それは自分の「生きる」を大事にすることにつながっているのかなと思いますし。

いつもどこかで「今日あれが起きたら」を考えることにつながっていると思いますし。

「楽しみながら健康になれるゲーム」みたいな構造で、「推しながら痛みや悲しみと向き合える」自分でいられることに、またひとつ感謝するような気持ちです。足とか心とかいろいろ痛いんじゃないかと思ったりもしつつ、何とかこの3月11日をやり遂げてくれて本当にありがとうございました。また次の予定が控えていると思いますが、また頑張ってもらえたら嬉しいです!



望んで得た経験ではないけれど、「自分の震災」は大事な経験です!