2026年06月12日07:00
ゆずが歌い、ゆづが舞う!
疲れた心が洗われるような、包まれるような、励まされるような、そんな時間を過ごしました。6月11日、東日本大震災から15年と3ヶ月を経たタイミングで公開された、ゆず×羽生結弦氏のコラボレーションによる震災伝承ソング「幾重」のスペシャルプログラムを見たのです。これまで幾度もこの震災を思って舞ってきた羽生氏ですが、またひとつ思いを重ねるようなプログラムが形を成し、いつかこの目で見たいものリストに新しい目標が書き込まれたような気持ちです。
↓ゆずさんからゆづコラボレーションのお知らせ!
ゆずの楽曲「幾重」と、フィギュアスケーター・羽生結弦さんによるフィギュアスケートスペシャルプログラムのコラボレーション映像が、本日より特設サイト内で公開となりました。是非ご覧ください。https://t.co/C7u5VBkQhE
— ゆず (@yuzu_official) June 11, 2026
↓スポーツ報知さんから幾重にも重ねる一問一答のお届け!
ゆずの楽曲「幾重」と、フィギュアスケーター・羽生結弦さんによるフィギュアスケートスペシャルプログラムのコラボレーション映像が、本日より特設サイト内で公開となりました。是非ご覧ください。https://t.co/C7u5VBkQhE
— ゆず (@yuzu_official) June 11, 2026
羽生結弦さん500回以上聴き込んだ「幾重」 前転から膝抱え「過去から現在へ」 一問一答その2
— スポーツ報知 (@SportsHochi) June 10, 2026
記事はこちら▼https://t.co/3oO8kNjPNy
羽生結弦さん「ちゃんと手を差し伸べられるように、ちょっとずつなってきた」 一問一答その3 https://t.co/MD64ABS4UF
— 報知新聞 スポーツ取材班 (@Hochi_Gorin) June 10, 2026
羽生結弦さん「つらい記憶を無理やり提示することが伝承ではない」 一問一答その4
— スポーツ報知 (@SportsHochi) June 10, 2026
記事はこちら▼https://t.co/AZIrWmRAL8
東日本大震災から15年にあたり、NHKとゆずさんとが制作したこの震災伝承ソング「幾重」。作詞はゆずの北川悠仁さんが手掛け、作曲は北川さんと原摩利彦さんが共同で手掛けているとのこと。映画「国宝」の音楽で知られる原摩利彦さんは、先頃行なわれた羽生結弦氏の「REALIVE」公演にて、次回作の前日譚となる「Prequel : Before the WHITE」の音楽を手掛けた方でもあります。東北、震災、そして生まれた縁や絆が、文字通り幾重にも重なっていく、そんな世界が心に広がっていくようです。
「幾重」の世界観をフィギュアスケートで表現したという羽生氏のスペシャルプログラム。「伝承」が礎ではあるけれど、それは記憶そのものや出来事そのものを伝えるような取り組みではありません。そのときの思いと、その後の思いと、これからへの思いと、自分の思いと、あなたの思いと、誰かの思いと…実際にこれを手掛けた人、それを助けた人、関わった人、伝えてくれた人、たくさんの思いを汲み取って、幾重にも重ね合わせるような取り組みだと感じました。きっとそのなかに、時を超えて人に響くものがいろいろな形で織り重ねられているのだろうと思います。
歌が先にあるものですので、まずそちらから見ていきますと、この歌を歌っているであろう「私」がいて、震災を念頭に置いた何かの悲しみによって失われた「あなた」がいて、ふたりの日々を思う時間が歌われていきます。それはまさに幾重にも重なるような時間です。冒頭「私」は「明日の空に手を伸ばす」「振り返る昨日は遠い」と語り、静かに、もの哀しく、「あなた」のいない世界が広がっています。
それはもしかしたら、震災のような悲しみで「あなた」を失った日なのかもしれません。聴く者はきっとこのくだりに震災を思い、「静かに海は ただ揺れていました」の情景にあの津波の手前や後を思うのでしょう。あれほどのことが起こるとは思わせもしなかった、静かに凪ぐ海。そして、あれほどのことを起こしてしまったあとで、何事もなかったかのようにまた静かに凪ぐ海。そんな情景に胸が締め付けられるような始まりです。
しかし一方でこの歌は、その情景を必ずしも震災のみには限定しません。海の前で不安にさいなまれる「私」が「あなたの微笑み」によって「明かりを灯す日常」を得たことがある、「あなた」がそう「変えた」ことがあるという過去の幸せな体験を連ねる構造とすることで、暗から明への転換は人生において幾度も繰り返されることを示唆するのです。今、「私」はおそらく暗い時間にいる。けれど、かつても同じように暗い時間にいた「私」は、「あなた」によって救われていた。あの日、世界を明るく変えてくれた「あなた」がいて、今再び暗い時間にいる「私」は、あの日の「あなた」を思い出している。繰り返している。
そのとき、かつての暗い時間と異なるのは、「私」が「あなた」と出会っていることです。私が置かれている時間の暗さはかつて以上かもしれないけれど、今の「私」は「『あなた』と出会ったあとの『私』」なのです。だから、「あなた」は不意に蘇りますし、「会いたい」という気持ちが生まれますし、「届けたい」という想いが溢れます。その記憶や時間や愛は、かつての「私」なら流せなかったであろう涙を流させ、微かな光と温もりをそこに生み出すのです。それは「無」ではないのです。
すべてが失われたようであっても、すべてが「無」になりはしない。
「無」ではない、そうやって世界を見渡せば、「『あなた』と出会ったあとの『私』」にはたくさんのものが残っているのです。いくつもの「何気ない仕草ひとつ」が「私」を救ってくれていました。「絡まった糸」を解くように、何度も何度も繰り返し繰り返し「あなた」は救ってくれていたのでしょう。「私」が挫けそうになるたび、かつてあった同じような時間に「あなた」がしてくれたことが、何度も何度もいくつもいくつも蘇り、また同じように救ってくれるのです。そう気づけば、「会えない」ことには慣れなくても、「あなた」といた時間と同じように歩き出すことができる、そんな気がしてくる。もう流す涙に宿るのは微かではない「確かな光」で、感じる温もりは触れただけではなく「重ねた」ように強いのです。
それは「過去」から来るものですが、「過去」が変えられないということは、何がどうなったとしてももう失われることも奪われることもない永遠であるということでもあります。たとえこの世界の悲しみが「あなた」を奪ったとしても、「私があなたと出会った」ことは変わることのない永遠です。だから何度でも何度でも「未来を拓く」チカラとなる。このフレーズは、宮城県石巻市立大川小学校の校歌の「未来をひらく」というフレーズから影響されたものだといいますが、あの震災でもとりわけ大きな悲しみに覆われた場所から、希望の言葉を取り出すのは、「あなたを失った」ことではなく「あなたがいたこと」に目を向けるような、そんな心の転換を生むような気がするのです。
「聞こえる? 私の声」と呼び掛ける「私」には、「あなた」の様子を確かめるすべはありません。
けれど、「聞こえる あなたの声」と呼び掛ける「私」は、「あなた」を確かに感じています。
幾重にも聞こえるその声は、「私」の「行方」に永遠に響きつづける…とてもとても強い明日への希望を謳った、そんな歌なのかなと思いました。
羽生氏はこの「幾重」の世界を、歌詞のひとつひとつ、音のひとつひとつを掬い取るように表現していきます。身にまとう衣装の波打つようなシルエットは「悲愴」のようでもあり、白く揺蕩う「notte stellata」のようでもあり、これまでこの震災からの復興に羽生氏が捧げてきた祈りが幾重にも思い出されるような姿です。海と波のようでもあり、空と雲のようでもあり、いろいろな情景を重ねることができそう。
暗い照明のなかハイドロブレーディングで「静かな海」をリンクに広げた羽生氏は、あえてゆったりとゆっくりとするような静かで大きな動きをつづけた序盤から、トリプルトゥループや両手をあげてのダブルフリップなどを含めたジャンプ的な動きを連続させるサビへとつなげて、まさに「あなた」への想いを溢れさせるように跳びます。回転するだけならもっと回せるわけですが、それよりも、ゆったりと大きく衣装の幾重ものはためきを魅せるような舞です。サビ終盤にかけてはいわゆるドーナツスピンで幾重にも繰り返される時間を感じさせてくれますが、そこに「あなたの手の温もり」を乗せてくるだなんて。「ここはスピンだな、ドーナツだな」「やっぱり歌詞的にも手を重ねないとだな」「右手でエッジを握って、左手も重ねよう」ということなのかなと想像しますが、思いつくのも実行するのも凄まじいなと思いますよね。
その後、歌が2番・Aメロに戻るインターバルでは、前転から膝を抱えて座る特徴的な動きを見せた羽生氏。取材記事によれば「過去のパートから現在のパートに変わるところ」という解釈で、「失われたものと進んでいるものが、実際に目の前にある」というような感情で振り付けたのだといいます。陸上の演技であれば「振り返り前を向く」といった動きでも過去と未来を転換できそうですが、フィギュアスケートではその動きは演技の全体にわたって常に行なわれる類のものです。そのあたりを念頭に置いて、あえての前転だったりするのかなと思ったりしました。途中で一回後ろを見ることにもなりますし。
そこからは曲想が希望に満ちるのに寄り添うように動きも軽やかになり、「歩き出す」と口ずさみながら、2度目のサビでは前向きの空中姿勢をたっぷりと見せるように、まるでスキップでもするかのような跳躍をふたつ。そして、3度目のサビではトリプルトゥループ、両手をあげてのダブルフリップ、トリプルサルコウ、トリプルループ、さらにアクセルで明日へ向かって跳ぶという幾重にもジャンプを連ねるハードな構成で、この曲を表現していきます。
レイバックイナバウアーなどを見せて向かう終幕部では、トゥをトントンと突いて入るスピンを「幾重に」に合わせるように二度重ねました。何度もリンクに触れるようにしてまわるシット姿勢でのスピン、フィギュアスケート的なシメの定番でもあると同時に「重ねた手の温もり」を示す姿勢でもあるビールマンスピン、そこから音楽の長い響きが本当に途切れるまで舞をつづけ、振り向き、前進し、祈るようにして演技を終えた羽生氏。震災に向き合ったゆずさんや原さんたちによる音楽と、その音楽に向き合いながら自身の震災への思いも重ねた羽生氏と、表現の多重奏を見るような、尊い時間を感じることができました。100万回言ってきたような気がする「ゆづ×ゆず」が、こんな尊いものとして現れるなんて、感謝を捧げずにはいられない…そんな気持ちになりました!
ここからはもうすっかり余談なのですが、最近になってようやく読んで沼っていた「葬送のフリーレン」という漫画があるのですが、この曲を聴きこのスペシャルプログラムを見ながら、フリーレンのことを思い返していました。すでに亡くなってしまった勇者ヒンメルと過ごした日々を、「なんでもっと知ろうと思わなかったんだろう」と悔いながら同じ道のりを旅するフリーレンが、何度も何度も過去に気づき、過去に癒され、過去に救われていく、そんな物語と重なるところを感じていました。
あの物語のなかで、もう何も起こさぬ過去でしかないヒンメルの存在が、フリーレンの未来を変えつづけていくこと、それは勇者ヒンメルとフリーレンでなくとも誰にとってもあることなのかもしれないなと思ったりしました。「この人のこと何も知らない」と悔いたはずの人が、実はもうすでにたくさんのことを受け取っていて、たくさんのことを知っていると気づく、そんなことがどこにでもいる「私」と「あなた」でも成立するのかもしれないなと。であるならば、ヒンメルを亡くしたあとのフリーレンの旅が再び「くだらなかったと笑い飛ばせるような楽しい旅」であったりするようなことが、「私」や「あなた」にもあるのかもしれないなと。
勇者ヒンメルならそうしたから。
あなたがきっと見ているから。
たとえそれが失われた過去であっても、未来を照らすことはできる。失われた過去であるからこそ、永遠にその光はつづく。そんな希望をもって自分も日々を過ごしていきたいなと思いました。いろいろあって疲労なども重なっており、低空飛行がつづいているのですが、素敵なものを見ると元気と勇気がわいてくるんだなぁとしみじみ思う、そんな今です。共に前へ、進んでいくのが生命、そう思う今です!
サッカー・ワールドカップも始まりましたし、元気に生きないとですね!







いつもながら、読み応えや気づきの沢山のある素晴らしい文章ありがとうございます。(密かに応援しています)
一つだけ、気になりまして…・
「悲愴」は、伊藤さんではありません。折原さんです。
伊藤さんの衣装はソチ後で、タイムトラベラーが初です。