スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム

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羽生結弦氏アイスストーリー3rd「Echoes of Life」公演2日目に臨み、確信はないながらもとにかく「問いつづける」ことを誓うの巻。

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命とは?命の意味とは?それを問いつづける!

行ってまいりました、羽生結弦氏アイスストーリー3rd「Echoes of Life」さいたま公演2日目に。初演の衝撃に呆然自失し、「何も言えねぇ」と身悶えながらストーリーブック片手にCS放送の録画を見返す時間。数十時間の思索を経てようやく、絞り出すように感想などまとめていきたいと思います。入口のドアに触れているのかどうかさえわからないほどの確信のなさですが、こうして考えること、思考しつづけること自体がアイスストーリーの楽しみ方であろうと思いますので、臆せずに出していこうと思います。そんなことですので、以降は僕がそう思った、そう理解した、そう受け取ったという個人的所感の羅列であることを念頭に、諸説のひとつとして見てやっていただければと思います。

↓好天にも恵まれ公演2日目も大盛況でした!
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↓このあといろいろ話に出てくるのでセットリストは各自でご確認ください!



まず本公演の大きなテーマとなるのは「命とは?」「命の意味とは?」を問うことであろうと思います。いわゆる哲学、まさに哲学。図らずも大きな天災に見舞われたり、時代を担うスーパースターとなったりしてきた羽生氏がその人生のなかで重ねてきた「命とは?」「命の意味とは?」という問いに対して、自らの思うところを発信すると同時に、見る人にもそれを考えてほしいと働きかける、そんな「哲学ショー」なのであろうと受け止めています。

ショーは第1部・第2部の前後半2部構成にわかれていますが、この2部は重なり合う問いの発展的再生産なのではないかと思います。第1部では「命とは?」という根源的な問いに向き合い、そのなかで「わたし」という存在を深く見つめていきます。第1部のラストでひとつの答えを見出しはするわけですが、その答えには「でも命はいつか死にますよね?」という不可避の根源的な否定が突きつけられ、改めて命について思索を重ねるなかで、その否定を乗り越え「命の意味」にたどりつくのが第2部なのだろうと感じています。

その重なりや繰り返しは、第2部の冒頭に第1部の内容をダイジェストで演じるかのような場面があることや、第1部のピアノコレクションで用いられたテキストが再び第2部でも用いられていることから感じ取ることができます。これは「RE_PRAY」公演で第1部と第2部の冒頭演目が同じ楽曲の別バージョンであり、そこから異なる展開を描いて見せたこととも共通する、アイスストーリーならではの構成なのかなと思います。体力回復や整氷作業といった現実的要請による30分間ほどの中断時間を、「時間経過による発展」として活かす演出、それはある種の発明だなと改めて感嘆します。

ストーリーやキャラクターの設定も、「命とは?」「命の意味とは?」を問うために生み出されたもののように感じます。本作の主人公である「VGH-257」「Nova」と呼ばれる人物は、自身の存在を問わずにはいられないような設定をこれでもかと塗り重ねられています。「たったひとり生命のない世界で目覚めたこと」「遺伝子操作によって造られし者であること」「遺伝子操作技術の発展により、この世界では種としての人間の価値が低くなっていること」「破壊と再生のチカラを持つこと」「VGH-257はもとは人間であったこと」「孤児であったこと」「この世界の崩壊の元凶になってしまったこと」などは、「問い」から逆算されている人物像なのかなと思います。「問い」が発端で、その問いが自然になされるように世界や物語、人物像が生み出されていった、そういう順番かなと思うのです。

すべては「問う」ために。

そんなことを思いながら、公演の流れに沿って思いを巡らせていきたいと思います。

↓リンクを囲むガレキや噴煙が崩壊した世界をありありと描き出す!
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●冒頭〜「First Pulse」
命の目覚めを描く冒頭部。主人公である「VGH-257」「Nova」がほかに命がひとつも存在しない崩壊した世界で目を覚まします。言語や知識など文明の残滓はあるものの、自身以外には誰も存在しない世界。そこでは自分の存在を知る者も、自分を観測する者もいません。ほかの誰も観測できないものは、「すべて夢なのでは?」という疑いを否定できません。存在は観測されてはじめて、ありありと証明されるのです。自分自身の存在証明すら困難な世界に目覚めたNovaは、ラボのドアを開けて「わたしとは?」「命とは?」を問う旅に出ます。

●幕間〜「産声〜めぐり」
Novaは自身が遺伝子操作によって造られし者であることを認識します。造られし者であるNovaは、まず自身が「命」であるのかどうかすら疑う必要があります。そもそも命とは何なのか。生まれるとはどういうことなのか。造られし存在であるNovaにとっては、そのどちらも不確かなものです。たとえば自身が「人口的に合成された有機物が自律的に動いている」だけであったなら、それは「命」と呼べるのでしょうか?命の在り処を求めるように木に手を伸ばすNova。もとは命を宿していたけれど今は砂に還ろうとしている「かつて木だったもの」は命なのでしょうか?それともただの器なのでしょうか?命とはどこにあるものなのでしょうか?

Novaはその問いに向き合うにあたり、走ります。鼓動が高鳴り、息が上がり、苦しくなったことでしょう。Novaはそうした肉体的な反応に「命」を見出しています。命が何なのかはわからないけれど、激しく動き、肉体が苦しみながら前に進んでいることを確かに感じているのです。「生きている実感」があるような気がしているのです。それはこの先の問いには耐えられない不十分な答えかもしれませんが、Novaは自身の鼓動に「命」を感じたのです。そして、その「音」はNovaが持つ特別なチカラによって木の芽となって「再生」されます。命があること、生まれるということをNovaは体験したのです。

そしてNovaは「生まれる」とはどういうことかへの問いをきっかけに「ルーム」と呼ばれる空間に招かれます。さまざまな知識が集約された深層心理の世界のようなものをイメージすればいいでしょうか。そこでNovaは言葉を得て、それを音として身にまとい再生するわけですが、その部分はリンク上の羽生氏の演技によって表現されます。リンクに現れた羽生氏もまた「音をまとう者」ですので、Novaが「言葉を音として身に宿して再生する」ように、羽生氏もまた「言葉を音としてまといリンクで表現する」のです。要するに、哲学的な問いがあり、それに対する自分なりの回答もあるのだけれど、それを「音としてまとって演技で表現する」ということです。「幕間映像に問いがあって、氷上演技で答えを出す」という構造はこのあともストーリー全体で貫かれていきます。

ここで演じられるのは映画「おおかみこどもの雨と雪」の楽曲「産声」「めぐり」です。おおかみおとこと人間の間に生まれた「雪」「雨」ふたりの姉弟の成長を描く映画の世界は、造られし者として生まれたNovaの境遇とも重なるところがあります。Novaがやがて「造られし者」としての自分と、「人間」としての自分の間で葛藤していくように。祝福ばかりではないかもしれない、生まれることの辛さ、苦しさ、罪をも内包するような「命」の始まりを描く演目と感じます。

●幕間〜「Utai IV -Reawakening」
自分に何らかのチカラがあることを知ったNovaは、自分は何故こんなことができるのか、何をすべきなのかを考え始めます。そこで、まずは世界に対する知識を深め、答えを探ろうとします。そのなかでNovaはかつてここで「人間」と「造られし者」との戦争があったことを知ります。戦争においては軍隊が編成され、強いリーダーが集団を率い、各人に役割を与えて統率されます。このように「誰かとの関係性のなかで発揮されるチカラ」はとても明瞭です。それぞれの命にハッキリとした「役割」が与えられるからです。では「たったひとりで存在する」Novaにも、それはあるのでしょうか。「たったひとり残された」ことに役割はあるのでしょうか。Novaは自分と世界との関係性に目を向けていきます。

このパートの演目で使われる楽曲は「攻殻機動隊」のハリウッド実写版映画「GHOST IN THE SHELL」で使われているバージョンであるとのこと。「攻殻機動隊」は義体と呼ばれる機械の身体に脳や記憶を宿す技術が主要な設定となっている作品。その機械の身体のなかにも、人間のアイデンティティすなわち魂として「ゴースト」なるものが宿る…そんな世界観のなか命とは何なのかを問い掛ける作品です。Novaもまた造られし者であり、「命」と呼べるのか不確かな者ですが、攻殻機動隊の世界に沿うならば「造られし者にも命は宿る」と考えたのかなと思います。そして、「攻殻機動隊」の世界に思いを馳せながら、この「謡」が描く「遠神恵賜」(※ご先祖様に恵みを乞う的なる)生命の連なりに、自分もまた加わっていくという「役割」を見出したのではないでしょうか。たったひとり残された命である私にも、何か託された役割があるはずだ、と。

●幕間〜「Mass Destruction -Reload-」
Novaは公園で見つけた日記帳を読み、さまざまな喜怒哀楽と愛をその身に宿していきます。しかし、ひとつひとつの命の存在を認識し、それらがひとつひとつの人生であったことを知るなかで、この世界が崩壊したことへの憎悪の音をもまた再生してしまいます。世界が崩壊するほどの戦いで生み出された憎悪はいかほどのものでしょう。正義と正義がぶつかり合い、互いに退かない終末への歩み。Novaはそのなかで自分が存在するために、あるいは自分という存在を守るために、自身もまた「正義」を持とうと試みます。それもまた「命」のありようを認識するためのひとつの手法なのかもしれません。観測されることで命は「存在」し、他者との関係のなかで命は「役割」を持ち、正義を持つことで命がそこにいることの「正当性」を得るかのような。「ここにいていいんだ」と感じられるかのような。

演目で用いられるのはゲーム「ペルソナ3」の戦闘曲。直訳すれば大量殺戮となる曲名は、Novaが背負った業を示唆するようでもあります。羽生氏はゲーム世界の登場人物たちが自身の能力である「ペルソナ」を召喚するときの「こめかみを銃で撃つような仕草」を取り入れながら、正義を行使する大量殺戮兵器としてのNovaを演じていきます。リンクとスクリーンには巨大な羽生氏のシルエットが表示されますが、それはまさに具現化したペルソナのイメージを思わせるもの。血塗られたような真っ赤な道を通って引き上げていく姿は、「RE_PRAY」で見せた「MEGALOVANIA」のサンズのような、背筋も凍るほどの殺気に満ちていました。

●幕間〜、ピアノコレクション
正義を行使し、戦いに勝利したNovaですが、再び問いは同じ場所に巡ってきます。他者との関係性のなかで役割を探し、正義のもとにチカラを行使したはずが、かえって自分自身が見えなくなるような所在のなさを覚えたのです。他者も、役割も、VGH-257という名前も、正義も悪もなかったとしたら、私とはどんなものか定義できるのか、と。それは繰り返される哲学的な問いであり、問い返すなかで思考を深めていくこともまた哲学である、そんなことを示唆するくだりのようにも感じます。

「ルーム」は「あなたはあなたであることを自分で選んでいる」「長い時間をかけ、回り道をしながら、心の臓器で飲み込んでいく」ことが必要だと示唆します。つまり、納得するまで何度でも考えよと言うのです。そしてNovaは再び問い直し始めます。ここから描かれるピアノコレクションで、さまざまなピアノ曲に合わせて「Awake」「Impulse」「Philosophy」「Truth」「Zero」と演じる流れは、ここまでの思考の旅をやり直すかのよう。ひとり目覚め、衝動のままに走り、自身について考え始め(そこで生まれる戦いをジャンプで表現)、答えが出たような気がしても再び思考を巡らせて真実を求め(巡る思考をスピンで表現)、そして過去でも未来でもどこでもないゼロ…「今」という名のゼロポイントにたどり着く、そんな展開なのかなと思います。

かねてより10分ほどの長いプログラムを演じる構想を語っていた羽生氏ですが、哲学という題材に向き合ったことで、それを実践する格好の機会を得たのではないでしょうか。「何度も何度も思考する」という哲学の様を、ここまで演じたストーリーを10分超のピアノコレクションで超圧縮再演するという構成は、哲学という問いつづける学問を表現するのにあたって、単なる繰り返しではなくエンターテインメントとしてそれを成立させる上手い手法だなと思いました。

●幕間〜、「バラード第1番」
「過去」「今」「未来」について思考するNova。ルームは過去も未来も存在していないことを示唆します。過去は「今」が存在するから、かつてそういった出来事があったと観測できるだけであり、未来はそもそも存在などせず、そこにあるのはただ「今」だけなのであると。未来があるように感じるのは脳や肉体が「生きたい」と欲するために、さも未来が存在するかのように勝手に確信しているのであると。そんな「今」の連続のなかで、無限の可能性のなかから偶発的に生まれたものが「運命」なのであると。

なるほど、人はときに運命を感じるものですが、それはものすごい偶然に過ぎないのかもしれません。偶然それが起きた世界線では、さも「それが運命だった」と後付けで勝手に思っているのかもしれません。それでも人は未来を信じながら「今」を生きています。次の瞬間、宇宙がすべて消えてなくならないとは誰にも言えないのに、未来があると信じて「今」を生きています。上手く言葉になりませんが、もしかしたら命は「今」にあり、生きるとは「今」にあるものなのかもしれないなと思います。「今」という存在を確かに認めることで、そこに命があることや、わたしがいることも確かになるとでもいう感じで。

ここで演じるのが「バラード第1番」であるというのは、ピアノコレクションからのつながりという構成的な意味合いと同時に、「羽生結弦にとってのバラ1」という運命性をも醸し出すものだなと感じます。大きな怪我から復活しての五輪金、連覇を果たした平昌五輪のあの時、あの世界線が選ばれたことは単なる偶然の連鎖だったのかもしれませんが、そうなるべくしてそうなったような運命を感じさせる出来事でもありましたから。長いピアノコレクションのあとに競技会相当の構成でバラ1を演じるというのはかなりのハードワークですが、それでこそ心にあの日の「運命」が甦るというもの。これが羽生結弦だ、そう感じたあの瞬間のことが。

●幕間〜、「Goliath(2024Remix)」
プロジェクションマッピングとの共同作業で、リンク上に図形を描いていく羽生氏。美しい直線的な滑りは、目印のライトがあるとは言え、見事なまでに真っ直ぐに予定の図形をトレースする滑りです。少しのズレでも不格好になる演出を見事にやってのける、これぞ技術に宿る美しさでしょう。

その図形は、どうやら過去の戦争で用いられたどこかの集団の旗印であったよう。Novaにとっては忌まわしい記憶でもあるようです。その記憶の再生とともにNovaの脳内で鳴り響くアラート音と、赤と青で切り替わるNovaの全身図。どうやら、本来Novaのチカラは戦争のための殺戮兵器としてのそれであったようです。殺戮兵器「VGH-257」としての彼が果たそうとする役割と、新しい世界に遺された「Nova」としての彼が案内人とともに探してきた命のありようとが、激しくぶつかり合います。

ここで演じられるのは、羽生氏のYouTubeチャンネルで演じられた「Goliath」です。特に何かのコンテンツに用いられた楽曲ということではなく、作曲者のもっぴーさうんどさんがフリー音源として公開していた楽曲を羽生氏が選び、プログラムへと仕立てたもの。このアイスストーリーという大舞台の第1部クライマックスでフリー音源であった「Goliath」が用いられるというのは、ドリームを感じる出来事です。これもまたゾクリとするほどの「運命」なのでしょうか。

この楽曲が持つ戦いのイメージを活かした激しいプログラム。そのなかでNovaは、かつて誰かに与えられた「VGH-257」としての役割や命ではなく、今そこにある「Nova」としての自分を貫き、自分という存在を確かに見出したようでした。私は生きている、私は今ここにいる、ここにいる私が私である、と。戦い終えて座り込んだNovaが見つけた「わたし」という「命」は、しばしの休憩を経て、新たな問いに向き合うことになるわけですが、それは第2部のお話です。

●第2部冒頭〜、「アクアの旅路」
第1部をダイジェストで再演するかのように「命とは?」「わたしとは?」の問いに向き合う第2部冒頭。ストーリーブックではこのくだりで「VGHと人間とが仲睦まじくしている写真」を「(おそらくNovaが落とした)ロケットペンダントのなかから見つけ」、青いカーネーションを芽吹かせるという展開も描かれていましたが、公演ではそこまで踏み込んだ表現はせずに、Novaが命の役割を見出し始める様子が静かに描かれます。

ここで演じるのは、こちらもやはりYouTubeで演じられた「アクアの旅路」。第1部ラストの「Goliath」と同じくもっぴーさうんどさんの楽曲を連続させることで、30分休憩の時間的経過を経ても世界観のつながりがしっかりと伝わってきます。演技中に扉の前でへたり込むポーズがあるのも「Goliath」からの連続性を感じさせます。その意味では、ストーリーブックとは多少ずれますが、第1部で答えを見出したところまでを改めて追いかけた、といったくだりなのかもしれません。

●幕間〜、「Eclipse/blue」
ここからが第2部の本編と言えるでしょうか。朽ち果てた巨大な塔をのぼるNova。第1部にも楽曲が登場した「ペルソナ3」から連想するなら、この塔はタルタロスという塔のダンジョンのようなものであるのかなと思います。タルタロスの最上階に待つのは「死」です。この場面で、Novaに対してもやはり「死」という問いが突きつけられます。どんな命もいつか死ぬ、死んだらすべて終わりではないかと。特にNovaはほかに命のない世界にいるたったひとりの存在です。死ねば無、無しか残りません。その問いは、これまで見つけた答えを粉砕するほどの重いものです。

そんなNovaに、塔は過去の記憶を蘇らせます。自身がかつて人間であったこと、孤児であったこと、少女のような姿の誰かが手を差し伸べてくれたこと、少女のような誰かと引き裂かれたこと、その後、世界が火に包まれたこと。公演では詳細が描かれませんが、ストーリーブックではこのくだりについて、遺伝子操作技術が発達したこの世界では種としての人間の価値が下がり(※人手が必要なら遺伝子操作で作ればいいから)、孤児であった人間、まして健康面で難がある人間などは間引かれるような存在であったと背景を語っています。そんな孤児である人間に手を差し伸べたVGHがいて、しかし孤児は救われることなく死に、その悲しみによって手を差し伸べたVGHも死に、悲しみがほかのVGHに伝播して終末戦争が起きたのであると。かつて人間の孤児であり、のちにVGHとして蘇生された「VGH-257」「Nova」こそが世界崩壊の発端だったのだというストーリーです。

これは設定の妙というか、Novaは生まれながらにして原罪を背負っていた、そんな人物像が与えられているのだなと感じます。原罪を背負って、それでも生まれ、生きるのかと、Novaに問い掛けるための設定なのかなと思います。そして「生まれたこと自体が罪であるし、どうせ死ぬわけだし、生まれなくてもよかったのでは?命なんてなくてもよかったのでは?」と突きつけるわけです。

そんなNovaに対して、ルームが見るように告げた、Novaの手のなかに大切に握られた言葉が「愛してる VGH-127」というものでした。これこそが「Echoes of Life」であり、本公演のなかで描くひとつの答えなのでしょう。VGH-127はかつて孤児に手を差し伸べ、孤児の死を悲しんで死んだVGHでしょう。すでに命はなく、「今」に存在してもいません。過去に存在していたことが観測されるだけの、すでに存在しないものです。それでもVGH-127が遺した言葉は、「今」に干渉し、Novaを前に踏み出させるのです。まるでこだまでもするように、すでに存在しない命が、今そこにある命に時間を置いて干渉し、新たな命の響きを誘うのです。死してなお命に干渉するのです。過去から見れば未来である「今」に干渉するのです。それは「死」を超えたということにはならないでしょうか。VGH-127の命は死を超えて今も存在し、Novaの命を通じて響きつづけているのです。

ここでNovaであるところの羽生氏は再び思考を巡らせます。第1部のピアノコレクションでも用いられたテキストをナレーションで読み上げながら、「Eclipse/blue」に乗せてさらにそのつづきを深く深く思考していきます。そして、今度は「今」という真実のみならず、記録が記す「過去」も、臨むべき「未来」も、「今」と引き剥がせないものとして、進むための後押しにしていくのだと言うように。

●GATE OF STEINER -Aesthetics on Ice
「Eclipse/blue」から連続して演じられるこの演目は、ゲーム・アニメ「STEINS;GATE」のテーマ曲である「GATE OF STEINER」ほか複数の楽曲を再構成した本公演ならではのアレンジである模様。すべての世界線を認識できるチカラを持つ主人公が、過去に干渉しながら望むべき世界線に到達し、世界と仲間を救おうとする物語である「STEINS;GATE」の世界観を背景に、今を選びつづけることで「運命」を作り出していくような命のありようを描いているのかなと感じました。Novaはすべての世界線を認識できるわけではないようですが、無数に枝分かれした世界線が存在するという認識のなかで、その1本を懸命に選びつづけていく、そんな「今」を積み重ねていくという決意を示すかのように。

●幕間〜、「Danny Boy」
荒廃した世界を歩くNovaですが、世界には少しずつ命が戻ってきています。青い蝶が飛び、鳥のさえずりが響き、芝生のようなものが芽吹き、かつてそこにあったのであろう花の記憶が再生されています。ガレキのようなもので囲まれていたリンク周辺にもプロジェクションマッピングで緑の草原が映し出され、世界に命が甦るさまが描かれます。Novaが自身の「再生」のチカラを使って、世界に命の記憶を再生したのでしょう。

そこで演じられるのが「Danny Boy」。東日本大震災への思いを込めた公演「notte stellata」などで演じられてきたこの演目は、帰らない過去を想い、未来への希望を祈るような演目。それはNovaがストーリーのなかで見出した自身の命のありようなのかもしれません。かつて自身が引き起こした悲しみと生まれながらの罪を背負い、それでも今を懸命に生きて、未来に向かっていこうとする覚悟のような。破壊ではなく、再生にチカラを使う、そんな命の意味を選ぶような。

●幕間〜、「全ての人の魂の詩」
Novaはストーリーのなかで自身の命の意味を「再生」に見出しました。VGH-127が示してくれたように、Novaの命もまたこだまのようにほかの命を響かせていくのでしょう。ですが、それはNovaの答えであり、本当に大切なのは「命の意味」を考えつづけていくこと、問いつづけていくことなのかなと思います。

最後に演じる「全ての人の魂の詩」はゲーム「ペルソナ3」のベルベットルームという空間…本公演の「ルーム」に相当する空間で流れる楽曲で、そのイメージを重ねるようにリンクにはルームにあったような扉が降りてきます。その扉、すなわち「問い」をくぐり抜け、Novaはどこかへと進んでいきます。それは未来と呼ばれるものなのでしょうか。いずれにしても問いつづけた先にそれはあります。だから、問いつづけていこう。何度も問い、考え、変化し、無限の世界線に分岐していく今を、その多様な可能性を大切にしていこう……そんなことを思う幕切れでした。

↓答えはそれぞれの人が「問いつづける」ことで、それぞれに手にするものなのでしょう!
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公式パンフレットによれば、今作の制作にあたっては一度書き上げたストーリーがあったけれど「Echoes of Life」というタイトルが決まってからストーリーをすべて書き直す必要に迫られたことが明かされています。書き直し前がどんなストーリーだったのかは知る由もありませんが、少なくとも、より希望に満ちたストーリーに書き換えられたのだろうと思います。「死」という「命」の終わり、「無」に立ち向かった先に「Echoes of Life」という希望を見出したからこその書き直しなのでしょうから。

命はこだまする。命は響き合う。

僕は歴史にも記録にも残らない名もなき命かもしれませんが、エコーとなってどこかに何かの響きを起こすことができたなら、バタフライエフェクトのようにその小さな残響が世界や未来に干渉していくかもしれないと思ったら、今を大切にしたいなと思えました。死や無の先に、自分の命を届ける希望があるとしたら、たとえ何もない凡庸な日々でも頑張っていけそうな気がしますからね。

こんな哲学的な内容を、唯一無二のエンターテインメントとして成立させている、このアイスストーリーという世界の凄みを改めて感じるとともに、なるほど初日に「何も言えねぇ」となるのは自然だなと思いました。3日経ってなおフワフワした所感の羅列にしかならないのですから、理解などはまだまだ先のこと。「ツアーを最後までご覧くださいね」というメッセージなのでしょう。それぐらい深みがあってこそ、何度も見守る楽しみも増すというもの。

このアイスストーリーの世界がもっともっと広がっていくように、祈りたいなと思いました。祈るだけでなく、多少どこかに響けばいいなと思って、命のこだまを発信していきたいなと思いました。「とにかくすごいのはわかるが」「何がすごいのか言葉にならない」「何も言えねぇ」からは多少前進できたかなと思いますが、まだドアに手が掛かっているのかもよくわからないので、引きつづき考えていきたいなと思います。「RE_PRAY」のときもツアー完走までどんどん考えは変わっていったので、今回もそんな感じで日々言うことが変わるかもしれませんが、「問いつづけよう」が本公演のメッセージでもあると思いますので、問いつづけていこうと思います!


問いが濃密過ぎて、またしてもアンコールの感想にたどりつきませんでした!

羽生結弦氏「Echoes of Life」のグッズを厳選購入するも、ゆづチョコレートを爆速で完食してしまいレポート前にグッズが消失した件。

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ゆづチョコレート爆速で完食!

羽生結弦氏新アイスストーリー「Echoes of Life」の衝撃によって朝まで眠れず昼まで目が覚めない週末を過ごし、いまだに夢のなかにいるような気分で公演2日目の朝を迎えました。あの衝撃を今度はしっかり受け止めることができるのか、あるいはまたしてもただただ息を呑むばかりとなるのか、「挑む」ような気持ちでその場に向かいたいと思います。

さて、そうした思考の旅に臨むに先立ち、これからの数ヶ月間をともに過ごすアイテムの確認をしておきましょう。どんな勇者も装備がなければ戦いはおぼつきません。「Echoes of Life」さいたま公演初日に現地で購入したグッズ群を開封し、愛で、装備を整えていこうと思います。今回も厳選に厳選を重ね、本当に必要で欲しくなるものだけを購入してまいりましたので、今後ツアーに臨まれる方にもレコメンド的なものとして参考になればいいなと思います。

↓早速ですが開封していきますよ!コチラは2万円以上購入でもらえるショッパーです!
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まずコレは絶対に必要だなと即断で購入しましたのが今ツアーの公式パンフレットです。すでに通販で購入済のストーリーブックとともに「Echoes of Life」の深淵を覗き込むには必携の書となるものでしょう。大判の判型に多数の新作写真を収録しつつ、羽生氏とMIKIKO先生へのロングインタビューを敢行するという充実の内容。表紙のロゴ部分にはほんのり盛り上がる特殊な加工が施されており、インテリアとしてもオシャレな風合いです。当面は我が家の本棚に面出しで並べまして、いつでもスッと読めるようにしておこうと思いましたよね。

↓公演前にスタバなどでお茶でもしながらパンフレットを読む、そんなオシャレタイムにグッド!
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つづいてはアパレル関係ですが、まずTシャツに関しては「Tシャツはなんぼあってもいい生活必需品ですからね」というごく自然な成り行きで黒・白の2種を厳選購入。サイズはこれまでの経験を踏まえてSサイズとしました。黒は公演のロゴデザインを活かした王道のデザインで、白はフロントにさりげなさを醸しつつバックプリントにはツアー日程を入れるというTHEツアーシャツの仕上がり。これはぜひ今後の推し活でも着用していきたいなと思います。

ただ、今回の最重要アイテムとも言えるジップパーカーについては人気が沸騰しており、僕の目の前で白が全サイズ売り切れるという事態に。厳選購入派としては狙っていた白が欲しい、まず白から欲しい、売り切れに立ち会ったことでむしろ白への気持ちが高まりまして、今後のチャンスを狙いつつ一旦買い控えることにしました。結果として白黒が揃う可能性もなきにしもあらずですが、まず白を抑えるところから始めたい、そんな気持ちで本日も売店に向かいたいと思います。

↓2025年の夏を爽やかに過ごす衣装が揃いました!
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↓首回りもしっかりしており長く愛用できそうです!
布もの類ではタオル系アイテムも抑えておきたいところ。旅先でふとした瞬間に汗を拭ったり、首元に巻いて風邪の予防に努めたり、こまめな手洗い消毒などなどタオル類の活躍の場は無尽蔵です。心のなかの「ルーム」と呼ばれる場所で開催される厳選会議でも「じゃ、タオルは何枚あってもいいですね」と承認が下りまして、フェイスタオルとハンドタオルを購入することに。今回も安定のフカフカ肌触りで遠征の頼もしい御供となってくれそうです。

↓見るまでもないかもしれませんがタオルです!
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↓ウチの編集長をくるむのにもちょうどいい感じ!
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バッグ類も定番の人気アイテムですが、今回はいわゆる巾着タイプの2WAYバッグが早々に売り切れておりました。2WAYバッグ付属のショルダーストラップはトートバッグでも活用できるとかで一種のセット装備感もあり、痛恨の出遅れとなった次第。ただまぁ僕は荷物も多いので活用するならトートタイプでしょうし、これもまた巡り合いと思うことに。今回のトートはパフ素材を使用とかで、見た目としてはダウンジャケットのようなテカテカ具合になっており、持ったときにはとても軽く、冬場のお出掛けによさそうな感じ。ファッションとTPOに合わせてバッグを持ち替えるオシャレな大人に日々近づいている自分を実感しましたよね。便利なポケッタブルマルシェバッグと合わせて日々の暮らしに活用していきたいと思います。

↓大判のパンフレットを入れてもこの余裕!
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↓メッシュの透け感がある素材で、買ったものをチラ見せする用途でも使えそう!
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カバンを買ったら次はキーホルダーとなるのが人情です(異論は認めない)。しかし、事前のグッズラインナップ確認で厳選ドラフト上位指名となったタグキーホルダーはどこの会議でも上位指名だったようでコチラも早々に売り切れ。まずはアクリルキーホルダーから購入することにしました。トートバッグも2WAYバッグもショルダーストラップをつける金属の輪がついておりましたが、そこはもう事実上のキーホルダー付け場と言ってもいいところ。アクリールキーホルダーはそれ自体が未来のドアを開けるカードキーみたいな雰囲気もありますので、僕のように「カギは家のカギと自転車のカギしかない」人でもカギの有無にこだわる必要はありません。キーホルダーはカバンにつけるものなのです。いっそもうバッグタグと呼んでもいいかもしれませんね。

↓トートバッグと組み合わせるとアクキーがキラッとして映えそうです!
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ステーショナリー系のグッズも外せないポイント。お求めやすい品が多く、活用の機会も多いのでついつい買い過ぎてしまいがちですが、ここはしっかり厳選していきたいところ。まず公演記念に絶対欠かせないクリアファイル。これは僕自身がクリファガチ勢として収集意欲もありますので、厳選2種を購入することを早々に決めました。

そして、クリファ勢として気になるアイテム「クリアファイルフォルダー」は集めたクリファを収納できるという画期的なアイテム。「バラバラにアチコチにしまってるから西川さんのファイルとかがいつも見つからない」「どの絵柄がどのキャンペーンだったかもうゴチャゴチャ」「公演会場でもらったチラシとかをクリファに挟むとクリファごと見つからなくなる」などのお悩みが一気に解決しそうではありませんか。早速購入しますと、1冊にクリファを20枚収納できるという大容量。毎公演ごとに出していただけたら、クリファ整理も年度別とかでキレイに並べられそうなので今後の定番アイテム化を期待したいなと思いました。

そのほかお求めやすいポストカード、お求めやすいマステ厳選2種、遠征時に小物を入れると便利そうなマルチポーチ、ストーリーブックとそっくりの体裁で自分の哲学を記入するのによさそうなノートブックなどを厳選購入させていただきました。ポーチは実物で見たらそこそこ大きく、大切なぬいぐるみなどをしまうのにも活用できそうでしたので、ぬいぐるみを持ち運ぶ人にオススメですよ。

↓ついにクリファをしまうための高位のクリファが出てきたか…!
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↓最初から細いタイプと太いタイプをセットにしてくれている気遣いあふれるマステ!
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↓キャリーケース内で編集長が潰れないように守る新しい家が手に入りました!

そのほかのラインナップでは推しグッズの王道とも言えるアクリルスタンドを厳選3種購入。アクリル板から外す際には「もともとパーツが板から外れているんだけど、販売時はバラつかないようにテープで止めてある」という親切仕様に感動したり、いざ組み立てたあとは3種の台座を連結させてひとつのユニットのように展示できるという仕掛けに驚かされたり、アクスタの進化を感じさせてくれる逸品でした。連結したユニットを「Nova様隊」と呼んで、各種の撮影時に活躍してもらおうと思いました。

↓台座が連結できるという仕掛けつきのアクスタ!
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↓Nova様隊の3名は立ち位置に合わせて「ミッギ、ヒダリ、ナカッチャン」と呼ぼうと思います!
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そして、コチラが厳選グッズ最後の品となりますが、界隈でも話題沸騰の「ゆづチョコレート」を僕も購入いたしました。ベルギー製のチョコに柚子ピールを合わせ、ほんのりアルコールも含むという大人のテイスト。ゴージャスな箱を開封すると表面にまぶした柚子パウダーからふわっと柚子の香りが漂い、いつものティータイムもグッと優雅な気分になります。味見のつもりで1個食べましたら手が止まらなくなりまして、ツアーグッズだってのにあっという間に完食してしまいました。先に写真撮っておいてよかったですよ、自分でもまさか自分が4つ一気に食べやがるとは思っていませんでしたので。これはちょっと、グッズですがまさかの「おかわり」もあるかもしれませんね。

↓メインビジュアルのカードが手元に残るので、よしんば食べちゃっても思い出は消えません!
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↓そんなこんなで「Echoes of Life」厳選グッズ第1便はこんな感じになりました!
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うむ、一部足りない品もありますが、あとはゆっくり買い足していけばツアー完走への備えはバッチリでしょう。毎度のことですが、ロゴデザインであったりとか商品デザインであったりとか、そもそものラインナップであったり仕様であったりが「アラいいですね」のラインをしっかり突いてくるので、グッズではありますが同時に生活も充実していくといういい買い物になりました。「だんだん置き場がなくなってきた」という狭小住宅問題を解決できるよう日々の生活にも励んで、さらなる充実ライフを確立していけたらいいなと思います!

↓開封の模様については動画でまとめておきました!実際の風合いなどご参照ください!




3日間小分けに買ってショッパー3つもらえばよかったかもですね!

「何かすごいものを見た」以上の言語化ができず大誕生祭の感想にたどりつけない、羽生結弦氏「Echoes of Life」の衝撃的幕開け。

08:00
衝撃的な哲学の音を聴きました!

いやー……、いやー……、これほど言葉にならない衝撃を受けることになろうとは……。ついに開幕を迎えた羽生結弦氏によるアイスストーリー第3弾「Echoes of Life」さいたまスーパーアリーナ公演の初日に行ってまいりました。ある程度覚悟というか、「初日は情報量に圧倒されて記憶喪失になって終わり」という経験的予測は携えていたものの、脳に膨大な情報を一気に送り込まれたような気分で、帰宅してもなお呆けたまま朝を迎えています。

自分は何を見たのか、何を感じたのか。それすら表現できない呆然自失のなか、ただ「この問いとこれから数ヶ月にわたって向き合える」という喜びを感じています。この先もいくつかの公演に立ち会い、幾度か解釈に挑むことになるだろうと思いますが、その時間は濃密で充実したものになるだろう、そのことは初日をもってハッキリと確信できました。それでこそツアーを追う甲斐もあるというもの。壮大な謎解きに挑むような気分で、「Echoes of Life」の深淵を覗き込み、少しでも理解を深められるように楽しんでいきたいなと思います。

↓さいたまスーパーアリーナは大変な熱気に包まれていました!
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↓現地の雰囲気は動画でまとめておりますのでコチラをご覧ください!


散策の振り返りに手をつける余裕がないので動画でご覧ください!

大看板とかグッズ販売の様子とか企業ブースとかイルミネーションとか!



何から手をつければいいのやらという感じですが、今日はまずスタートラインの後ろ、本来なら「予習」段階に相当するあたりから自分なりの整理をしていきたいと思います。公演前に届いていたストーリーブックと、実際の公演を鑑賞して思うのは、この公演は哲学書ならぬ哲学ショーであり、羽生氏が思考する「生きるとは」「命とは」といった人類の根源的な問いに対する回答(あるいは途中経過)をアイスショーの形式で提示するものだと僕は受け止めました。

公演をご覧になった方は誰もが「哲学的だな」と感じたことでしょうし、パンフレットを読めば今回のストーリーを書くにあたって哲学書や小説を読んだと率直に語られています。特に書名を挙げられた「生誕の災厄」「水中の哲学者たち」などは本公演を理解するための有力な手掛かりとなることでしょう。そして、公演後のインタビューでも真っ直ぐそのまま「『生きる』ということについて、皆さんなりの答えが出せるような、哲学ができるような公演にしたい」という意欲が語られています。この公演の本質はきっとそこにあります。哲学ができる公演、それが「Echoes of Life」です。

思うにこのテーマは羽生氏のライフテーマであり、これまでの演技・公演にも常に大いに含まれていたのだろうと思います。もちろん直近の「RE_PRAY」にも大いにそうしたものを感じてはいました。ただ「RE_PRAY」の際に僕が初動を誤ったなと思っているのは、羽生氏は「生きる」「命」がテーマであるということを公演でもインタビューでも最初から最後まで徹頭徹尾語っているのに、僕は目の前にあるゲーム的な表現やオマージュに囚われ過ぎてしまい、因果を逆にしてしまったなと思うのです。「RE_PRAY」はゲームのつづきとして生まれたものではなく、ゲームを含めたさまざまなものからの影響を受けて生まれた羽生氏の「生きる」「命」への思考をゲームを軸に束ね・表現した、そういう因果であったのだろうと。元ネタありきのストーリーなのではなく、生まれたストーリーにイメージが重なるものとしてそれぞれのゲームが改めてハマった、そういう因果なのだろうと。

その意味で、今回の「Echoes of Life」にも多数の影響を与えた作品があり、それと重なるイメージが数多く含まれていそうですが、この公演を理解するために必須のものではないのだろうと思います。公演のセットリストにはアニメ「攻殻機動隊」からの楽曲、ゲーム「ペルソナ3」からの楽曲、アニメ「STEINS;GATE(シュタインズ・ゲート)」からの楽曲などが含まれておりますので、「攻殻機動隊」を知っている人であれば本作の主人公である「VGH-257」「Nova」についてのイメージがしやすくなるかもしれませんし、「ペルソナ3」を知っている人であれば「ルーム」と呼ばれる謎の空間をゲームに登場するベルベットルームと重ねることもできるでしょう。そして世界の構造について、「STEINS;GATE」のように複数の世界線を認識しながら時間を超えた干渉を行なっていくようなストーリーであるという可能性も想定できるかもしれません。

知っている人にとっては、そのイメージは「母国語への翻訳」のように理解を助けるものとなるでしょうが、ただ、知らなかったとしても問題はないのだろうと思います。あくまでも本質は羽生氏による哲学であり、「生きる」「命」を思考する際に、同じような思考が描かれる先行作品は「重なる」「ハマる」存在だったのかなと。なので、僕個人としてもあまり先行作品との共通点探しや違い探しには没頭せず、素直に「生きる」「命」を見つめていきたいなと思うのです。現時点ではそこまで手がついてはいませんが。

↓公演のセットリストはこのような感じだったとのことです!



(※以降、公演とストーリーブックを見たことを前提とする、本作のあらすじを含めた内容となりますので未見の方はご留意ください)

この公演が哲学ショーであるとしたときに、「Echoes of Life」というストーリー自体にも「生きる」「命」「哲学」という補助線が引けるだろうと思います。本作の主人公は、「遺伝子を操作し、多様な職や生活のために、能力に専門性を持たせた」「造られしもの」であるところの「VGH-257」「Nova」と呼ばれる人物です。「攻殻機動隊」の世界観に近そうでもありますし、僕が理解しやすい作品に置き換えるなら「機動戦士Zガンダム」のフォウ・ムラサメのような強化人間的なものだったりするのかなと思います。

Novaが持つ能力は「言葉や文字を『音』として感じ、その身に宿すことができる」ものだとされ、「この世界の記憶、かつて存在していた『命』の残響を『再生』することができる」と語られます。よく理解が及んでいないのですが、過去の文献や記録を通じてその事象を自身に音として宿し、その音を再生することでその事象…命さえも再生できるような、神のごときチカラを持っていると一旦受け止めようと思います。これも僕が理解しやすい作品に置き換えるなら「ジョジョの奇妙な冒険(第4部)」に登場するエコーズACT2の強化版のような能力なのかなと思います。

そんなNovaは荒廃したディストピアで目覚めます。たったひとりの命として、他者の存在しない世界を彷徨い、「生きる」「命」について次々に問いを巡らせていきます。その「問い」を持つたびにNovaは「ルーム」という謎の空間に行くのですが、これは深層心理というか「ペルソナ3」のベルベットルームというか、Nova自身の内なる思考の世界なのかなと思いました。そこで対話するルームの主は、Nova自身の別の意識、あるいはいくつもの世界線を束ねて存在する高位のNovaだったりするのかもしれません。対話のなかで哲学を深めていくのは、「水中の哲学者たち」などでも実践されているスタイルのようですので、哲学におけるひとつの有効な手法なのだろうと思います。

やがてNovaは「命とは何か?」「生きるとは何か?」「正義とは?悪とは?」「わたしとは?」「過去とは?未来とは?運命とは?」「死とは?」といったさまざまな問いと向き合って成長していきます。あるいは、そうした問いが自然に行なわれるように、この作品世界がディストピアになったと逆説的に言えるかもしれません。天災や戦争に遭遇したとき、人は「生きる」「命」について深く考え始めるものですから。

そうした思考を重ねながらストーリーのなかではNova自身についても語られていきます。公演では詳細は語られていませんでしたが、ストーリーブックと合わせ読むとNovaの過去についても見えてきます。現時点で僕が思っている物語としては、まず今はNovaとなった「わたし」はかつて人間の孤児であったようです。「わたし」は健康状態が思わしくなく、すでにVGHが発達した世界ではそうした人間の価値が低くなっており、間引かれる側の存在だったのだといいます。その「わたし」を哀れんだVGH(VGH-127と呼ばれる人物だと思われる)が「わたし」を救おうとするも及ばず、「わたし」は死にます。その際の深い嘆きにより「わたし」を哀れんだVGHもまた死に、それがほかのVGHたちに伝播し、人類とVGHとの最終戦争が起こったのであると。その際、VGHたちは一度死んだ「わたし」をVGHとして生かし、「音」のチカラを与え、その「音」のチカラで大量殺戮兵器の音を「再生」したことで世界は滅んだ……そんな話である模様。つまり「わたし」であり「Nova」であるものはこの世界を滅ぼした存在なわけです。

そうして見ると、このNovaという人物には「滅び」と「再生」というふたつの相反する命の側面が同居しています。思えばそのことはストーリーの冒頭から示唆されていました。この人物が目覚めたときのカプセルには「VGH-257」「Nova」と刻まれていましたが、これは「VGH-257 Nova」と連続して読むのではなく「VGH-257」という大量殺戮兵器としての彼に与えられた名と、そのチカラを再生に使い新しい世界を作ってほしいという祈りのもとに与えられた「Nova」という名前が別個に存在しているのではないでしょうか。「Nova」とはラテン語で「新しい」という意味ですので、そのチカラで新世界を創造してほしいと、そんな祈りをこめて誰かが名付けたのかなと。

まとめますと、主人公は「滅び」と「再生」という相反するふたつを身に宿しながら、どのようにも転び得る無数の世界線のなかで、自分の「生きる」「命」の答えを求めていく……そんなストーリーなのかなと感じています。これはディストピアを舞台にしたマルチバース的なSF作品として成立しつつも、「生きる」「命」を哲学するためのお膳立てでもあるように感じます。哲学を哲学として語るのではなく、エンターテインメントのなかで語れるように「ストーリー」というレールを敷いた、そんな構造なのかなと思うのです。

……という視点で実際の公演を見て行きたいと思いつつ、あまりに情報量が多く、語ろうにも言葉にならず、夜が明けてしまったので、それはまた次の公演を見てからにできればと思います。初演は羽生氏の大誕生祭とも重なっており、本来ならその感想などにも手を付けたかったところですが、「公演について順次振り返っていって最後に大誕生祭」のつもりが、「公演について振り返る準備」でチカラ尽きてしまったなと反省するばかり。ただまぁ、あの情報量では致し方ないかなと思います。まずは自分なりの観測点をひとつ据えたうえで、CS放送の録画見返し、2日目以降の公演鑑賞など進め、ジワジワと「Echoes of Life」への理解を深めていけたらいいのかなと。時間を重ねるなかで軌道修正したり撤回したりいろいろあるかもですが、それも含めて「アイスストーリー」の味わい方と思って、楽しんでいきたいもの。まずは素晴らしい公演の開幕と、羽生氏の盛大なる誕生日を祝って、「今は少し、お休みください」の心です!

↓とにかくすごい公演でした!今は「とにかく何かすごかった」としか言えませんが!
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ショーを見たのに、ショーの感想にたどりつけないってどういうことなのかと!

それでこその「アイスストーリー」なんでしょうね!



「何かすごかった!」「誕生日おめでとう!」までで寝るのが正解だったかも!

羽生結弦氏新アイスストーリー「Echoes of Life」の初演を前に、恒例の記憶喪失を回避すべくストーリーブックを熟読中ですの巻。

08:00
我が家にもストーリーブックが届きました!

いよいよ迫ってきた羽生結弦選手新アイスストーリー「Echoes of Life」の幕開け。しばし体調など崩していた僕ですが、今はすっかり元気も戻り、我が家に届いた事前本「STORY BOOK 『Echoes of Life』」を熟読しているところ。公演までじっくりと、できる限り自分なりの理解を深め、目の前で起こることに対しての反射神経を高めていこうと思います。




それにしても凄まじいストーリーブックでした。あまり深く考えずに購入しておりましたものですから、「公演を楽しむための情報が満載なんだろうな…」「巻頭インタビューと練習風景オフショット…」「グッズカタログなどもあって…」くらいの軽い気持ちで開封したわけですが、手にした瞬間に「むむっ」となりましたよね。表紙の用紙の手触り、斤量、一切の写真やビジュアルを含まないモノクロの佇まいに、「これは高熱が出ているときに読みこなせるものではない」と静養から先に着手したほど。

その判断はまさに適切だったわけですが、途轍もない歯応えでこの本は僕に迫ってきました。ストーリーブックの名の通り、確かにそこにはストーリーが記されているようではあります。ただ、それは美しい詩篇のようでもあり、哲学書のようでもあり、読んでそのままストンと理解できるようなものではありません(恒例)。一度目は文字を追うことで精いっぱい。二度目は全体の構造を朧げにつかむまで。三度目、四度目と繰り返すなかでじょじょに理解は深まるものの、それと同じスピードで実態は遠ざかっていくような、謎に包まれたままの物語が広がっています。心理学か哲学か、何か基盤となるものを携えて挑みたかった、そんな学習欲さえ覚えるほど。

まっさらな状態で公演に臨むことを希望する人も多いでしょうから、つまびらかに内容には触れませんが、触れようとしても容易に触れられないほどにまだ自分が前進できていないことを実感しています。おおまかな世界観をつかみ、メインビジュアルの理解度が若干深まったかな…くらいの感触。ストーリーブックに描かれた内容はおそらく、演技と演技と合間の映像演出に相当するパートで表現されるものなのだろうと思いますので、演技を含めて見なければそもそも「小説の右ページだけ読んでいる」みたいな話なのだろうとは思います。ですので、今すぐ分かった気になどなろうとせず、焦らずじっくりと、公演を重ねるなかで自分なりの理解を深めていけたらいいなと思います。取り急ぎは、初見恒例の「何かすさまじいことが起きたが何ひとつ覚えていない…」という事態を回避できたら予習の効果は十分と言えるかなと思いました。

いやー、さすが事前にストーリーブックを送り出すだけの公演だなと思いましたよね。ほぼ台本と言えるようなこの本を手にしても、知りたい、見たい、どうなるんだろうという関心は高まる一方です。この感覚をあえて言うなら、羽生氏が主人公と似ていると言われることがある新世紀エヴァンゲリオンというアニメに出てきた「死海文書」でも手にしたような気分です。実在の死海文書は極めて古い時代の聖書の写本群なのだと聞きますが、アニメに出てくるそれは「これから起こること(あるいはこれからこうしなければいけないという手順)が書いてある預言書」的な何かとして語られています。僕も今「これから起こること」を手にしたわけですが、これからどうなっていくのかはいまだ未知のなかにあります。ワクワクしますよね、未知は。とにかく今僕から言えることは、あのメインビジュアルは「本人確認のリストバンドつけてもらった人」では絶対にない、ということくらいです!

↓グッズのラインナップなども眺めつつ、本番に備えていきます!


↓「ちょうど白いパーカーもほしかったんだ」というコチラの心理を先読みしていくスタイル!



そんななか、今週からは東京駅の「いつもの場所」に本公演の生中継について告知する交通広告が掲出されたとのこと。もう界隈では「いつもの場所」だけで通じるおなじみの東京駅丸の内地下中央口に遅ればせながら僕も行ってまいりました。すでに公式アカウントから届いた写真などは見ているのですが、何と言うか、公演が始まる週の月曜日に「いつもの場所」に広告が掲出され、そこにお出掛けしていくこの流れ自体が、自分の着火の合図のようになっている感覚があり、カウントダウンスタート的な気持ちでのお出掛けです。

広い東京駅のなかでもここだけは真っ直ぐたどり着ける自信がついたおなじみの場所へ迎えば、平日の真昼間だと言うのにお仲間たちが記念撮影などに勤しんでいます。地下鉄丸ノ内線とJR線との往来で多くの人が行き交うなか、一種の儀式的な気持ちで(※試合前の国歌斉唱的な)、僕もメインビジュアル様と同じポーズを取り、手の平を見つめます。行き交う人々からはエアスマホ(※スマホ持ってないのにスマホ見ているみたいなポーズをしている人)に見えたかもしれませんが、僕のなかではストーリーブックで見た具体的な場面が思い浮かんでおりますので、気分もかなり高揚してまいります。セリフのひとつも言ってしまいそうなくらい。

で、記念に写真・動画の撮影なども行ないますと、この日は幸運なことにスンナリと往来の隙間に滑り込むことができました。こちらの通路は広告を出すだけあって往来が激しく、広告全体をおさめつつ誰もそこに映り込まないという状態を待つのがなかなか難しいのですが、一瞬の隙間に広告の前をウォークスルーする場面などもおさめることができ快調です。いつもおひとり様ではなかなか苦労する「ビジュアルと同じポーズでの記念撮影」も今回はポーズ自体がエアスマホですので、エアスマホのポーズのままスマホを持ち(※エアじゃなくなった)、わずかに身体をひねりつつ手首など返してやりますとアラ不思議、単なる自撮りに見えるじゃありませんか(※本当にそう見えていたかはわからないが…)。「今日は絶対に、ひとりで頑張ってポーズとってる人に見えない!」「もしかしたら自撮りしていることすら意識されず、スマホ見てる老眼の人くらいに見えてるかも」「私には世間の『声』や『視線』をスルーするチカラがある…」などという強い手応えのもと、恒例の儀式を滞りなく終えることができました。

先週あたりは体調を崩していたこともあって、いろいろ盛り上がりに乗り損ねてしまいましたが、ここからグッと盛り上がっていけたらいいなと思います。ようやく大誕生祭お祝い用のネタも決めましたし、グッズ販売の整理券などもいつの間にかちゃんと応募していたようで当日のスケジューリングもじょじょに固まってまいりました。一回体調を崩したこともあって、もう一回崩れることはないだろうという自信も漲り、あとは本番に向かっていくだけ。演者、関係者、観衆が互いに響き合う命となって、素晴らしい時間を生み出せるよう、祈ってその日を待ちたいと思います!

↓すでにご存知とは思いますが、全景はこんな感じでした!
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↓現地の様子は動画でまとめておきました!




何となくですが、「命は響き合う」ということを思いながら見ようと思います!

羽生結弦氏が白物家電のグローバルブランド「ハイアール」「アクア」のアンバサダーに就任し、我が家の家電との緊急対話始まるの巻。

08:00
家電諸君、長い間本当にありがとう!

新たなグローバルオファーの報せが届きました。五輪で2度の金、スーパースラム達成など数々の偉業を競技生活のなかで成し遂げ、プロフィギュアスケーターとなってからもさらなる飛躍をつづける羽生結弦氏が、白物家電の世界的ブランド「Haier」と「AQUA」のアンバサダーに就任することが発表されたのです!

↓ハイアールのブランドアンバサダーに就任した羽生結弦氏です!


↓アンバサダーからの大事なメッセージなので2回お聞きください!


↓なお発表前日には密かに「誰かな〜?」クイズを実施していた模様!


↓発表されてから見ればすぐわかりますが、すみません!出題自体に気づいてませんでした!


ハイアールさんについては「三洋…?」くらいのフンワリとした認識しかなかったので、この機会に改めて情報など拝見しますと、ハイアールさんは中国生まれの電機製品メーカーだそうで、特に白物家電に強く、冷蔵庫と洗濯機(および冷凍庫とワインセラー)では10年以上にわたり世界シェアナンバーワンを獲得しているグローバル企業であるのだとか。

僕の脳裏に「三洋…?」が浮かぶのは、日本進出の足掛かりとして三洋電機が輸入販売をする形で冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの販売を行なっており、のちに三洋電機が経営不振からグループ本家であるパナソニックの子会社となった際に本家と重なる白物家電事業をハイアールに譲渡したという流れから、それを何となく聞きかじって「要するに三洋なんだろ…?」と思っていたということのようでした。

そういった流れがあることから、もともとハイアールとして行なっていた事業はハイアールブランドとして行ない、三洋電機から譲り受けた白物家電事業は別口のアクアブランドとして日本や東南アジアで並行して展開していると、そんな話のようです。なるほどそれで2ブランドで同時にアンバサダー就任となったわけですね。

電機メーカーだけあって製品は家電全般にわたりますが、やはり事業の核と言えるのは冷蔵庫と洗濯機である模様。この報せを受けて早速市場調査に向かった家電量販店では、小規模店舗であったことから展示の製品数なども限られておりましたが、冷蔵庫フロアと洗濯機フロアでは非常にいい位置に手厚いディスプレイで両ブランドの製品が展示されておりました。

このあたりは羽生氏とまさしく親和性がある部分でしょう。アスリートの活動とはほぼ冷蔵庫と洗濯機を往復しているようなものですが(※食事⇒練習で汗かき泥にまみれる⇒食事、の繰り返し)、特に羽生氏は活動を通じて「氷を張る」ことが必要となる氷属性の人であり、一点ものの貴重な衣装を大切にメンテナンスしながら使いつづけている洗濯の人でもあります。起用されるまで気づきませんでしたが、冷蔵庫と洗濯機を世に広めるのにこれほどの適任者はそうそういないでしょう。

↓「挑戦」の精神で結ばれた企業とアスリートが、自分を超えていく!


↓アンバサダー就任を知ってか知らずか、早くも冷蔵庫界隈との親和性が高そうな活動も!



アンバサダーの活動としてはテレビCMの展開やSNS上での発信のほか、家電量販店での店頭キャンペーン等も予定されているといいます。となればこれは落ち着いてなどいられません。テレビで羽生氏が冷凍庫を開いて「いい氷ができたね」と微笑むCMとか、洗濯機のドラムと重なるように高速スピンを繰り出し「しなやかに、強く」と洗浄能力をアピールするCMがバンバン流れるわけでしょう。シメの言葉に「あなたの欲しいが、ハイ、あーる」とか言っちゃたりなんかして。

で、それらが家電量販店で広く展開され、家電量販店が大好きな壁面装飾とかエスカレーター手すり装飾とか等身大立て看板とかが続々誕生し、毎日が展覧会のようになるわけでしょう。冷蔵庫のなかにCM撮影時の写真が展示された写真展の開催(開けると見られる)とかもあったりして。もちろんハイアール・アクアの製品を購入すると何かいいことがあるキャンペーンは当然のごとく展開されると。

さて、一体どうやって参加したものか。キャンペーンの価格帯そのものについてはこれまでも東京西川さんの羽毛ぶとんやらグッチさんのバッグやら高額商品ともお取り組みさせていただいていますが、布団やバッグはいくつあっても困るものではありませんでした。まぁさすがにふとん100組とかは置き場もありませんが、綿ぶとんから羽毛ぶとんに鞍替えしたり来客用セットを追加で揃えたりするのはよくある話。

ただ、今回は家電、それも白物家電です。現時点で「家にそれがない」という人は基本的にいないでしょう。そして白物は非常に頑丈です。引っ越しを機に入れ替えたとかはあっても「壊れて買い換えた」という経験は人生で一度もありません。我が家の家電たちと緊急対話をしましたところ、10年ほど前の引っ越しの機会にこぞって新調されていたため、洗濯機クン(日立)、冷蔵庫クン(三菱)、エアコンくん(パナソニック)いずれも大変元気でありました。買い替え需要を自然に発生させるにはハンマーでも持参して対話するくらいしかなさそうです。

唯一対話の余地がありそうだったのは電子レンジさん(三菱)で減価償却はとうの昔に終わっている大ベテランなのですが、こちらは上京以来ほぼ毎日何かしらで使っているのに何の不調も起こさないタフガイでして、永久に壊れず僕が先に死ぬんじゃないかという気さえしてくる安定稼働を誇ります。ハンマー片手に対話すればどうにかなるとは思いますが、仮にレンジさんが勇退となったとしても、ハイアール・アクアブランドの起こりを知った今となっては、そもそも電子レンジはやや本流から外れる気もします。

やはり「羽生氏の氷」を作れる冷蔵庫、これがもっとも望ましい。「今日も美しくて美味しい氷をありがとうございます」とか言いながらドクターペッパーなど飲んだら、それだけで推してる感がマシマシになる冷蔵庫を何とかしてこそキャンペーン参加の王道と言えるというもの。お仲間を招いて「みんな、氷解水でいい?」から始まるホームパーティーなんてのも夢が広がりますし。ただ、ハンマー片手に対話するにしても冷蔵庫クンが一番強そうなのでどうしたものか。

そんななか量販店でもらってきたカタログなど見ておりましたら、ピーンときました。固定観念に縛られず、「セカンド冷蔵庫」という発想があるじゃないかと。人生で誰もが憧れるベット脇冷蔵庫システム。寝床から出ずに冷たいドリンクに手が届くアレ。アパに泊まった朝、寝床にもぐりこんだまま冷蔵庫から助六とオレンジジュースを出して美味しくいただくあの至福の時間。今こそ夢のセカンド冷蔵庫ライフを始める機会なのではなかろうか。

↓と思って公式アカウントを見るとセカンド冷蔵庫は夢の家電であると、推してきていた!

↓寝室に置けと言わんばかりの小型木目調冷蔵庫も!


ハイアールさんのカタログで一番小型のものだと直冷式1ドアタイプで33リットルという製品がありました。サイズ感はおおよそ50センチの立方体といったところ。これであればデスクの下やベット脇に置くことも十分現実的です。氷も作れるということなので、いちいちキッチンに行かずとも寝室にいながら晩酌やり放題の暮らしができそうです。

もう少し設置スペースに余裕がある御宅であれば、マグネットカバーで気軽にデザインを変更できる「フリーモ」なる製品もよさそうです。横幅45センチのスリムボディであればタンスの脇とか本棚の脇とかにある隙間にねじ込むこともできそうですし、何よりデザインが着せ替えられるという遊び心がいい。当然アンバサダーデザインのマグネットカバーの登場も期待されるわけで、文字通りの「羽生氏冷蔵庫」が爆誕する未来もクッキリと見えてまいります。

↓冷蔵庫に等身大羽生氏を飾れる未来が遠くに見えてまいりました!

そうなったら、以降は冷蔵庫にメモ貼ったりするのは禁止にしますね!

あと開けるときに「失礼しまーす」って言うようにします!


ハンマーの収納場所を探していたときはどうなるものかと不安になりましたが、新たな夢「セカンド冷蔵庫」が見つかってまずはひと安心です。将来的には専用カラー、専用デザイン、開け閉めすると羽生氏のボイスが鳴り(扉が開いています!とか)、製氷室では羽型もしくは雪の結晶型の氷ができる公式冷蔵庫などの誕生にも期待したいところですが、まずは寝床から届く場所の小さな夢から追いかけていけたらいいなと思いました。これからのハイアール・アクアとアンバサダー羽生氏の活躍に期待です!





季節ごとにアンバサダー出演の新製品カタログをもらうのも楽しみですね!

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婦人公論 2017年 12/27、1/6 合併特大号

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