スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム

北京冬季五輪

約55分間で式典としては満たされたけれど、寂しさを吹き飛ばすほどの楽しさをもっと込めて欲しかった北京パラリンピック閉会式の巻。

08:00
「希望」をヨーロッパに託します!

長いようで短い北京パラリンピックが終わりました。大会のことだけを考えれば、相応の日数を重ね、いくつもの記憶が残るものではありました。しかし、同時並行で進んでいた戦争のことを思えば、侵攻する時間はあまりに長く、解決への模索は「何も進んでいない」と言えるほどわずかな進展しかありませんでした。あとどれだけの時間つづくのか。あとどれだけの時間がかかるのか。目まいがするような気持ちです。

戦火はパラリンピックにも暗い影を落とし、当初48の国と地域が参加するはずだった今大会は、大会直前に46の国と地域に減ることになりました。共生を求める大会が、分断によって引き裂かれてしまいました。「侵略者の国に生まれた者は、侵略者なのである」ということを、共生を掲げる者が追認してしまうような決断でした。これもまた戦争が残した傷跡なのかもしれません。

そんななか、せめてもの光となってくれたのはウクライナ選手団の活躍でした。過酷な状況を背負いながらも、バイアスロンとクロスカントリースキーで29個のメダルを獲得。開催国中国に次ぐ個数を得て、ウクライナという国の存在と、そこで暮らす人々の強さを、何度も何度も世界に示しました。困難に負けない、苦境に屈しない、その強さがウクライナの人々の光になり、世界を変える光になるように祈ります。

↓大会最終日はクロスカントリースキーのオープン10キロリレーで有終の金を獲得!


迎えた閉会式は、「長いようで短い」が時間感覚まで狂わせたかのように、一瞬で終わる簡素なものでした。2時間の放送枠を設けたライブ中継は、その半分しか使わずにセレモニーが終了したため、後半の1時間はお菓子作りを放映することになりました。最後に聖火が消えるところくらい見ようか…と思ってテレビをつけた人は、お菓子作りで台所の火が灯る映像を見て何を思ったことでしょう。

ということで、「いつもこんなに短かったかな?」という疑問の解消を兼ねて、北京パラリンピックの閉会式を振り返っていこうと思います。



【1】オープニング(約4分10秒

フィールドの中央にレコード盤を投影してセレモニーはスタート。カラフルな人々がレコードに針を落とすと、実施競技のピクトグラムが表示されていく。大会の名場面を振り返る映像とともに閉会式の始まりを告げる。

【参考】平昌パラリンピックではオープニング部分は振り返り映像などを表示(約3分間)



【2】主催の紹介(約1分

習近平国家主席とIPCパーソンズ会長が着席。

【参考】平昌パラリンピックでは文在寅大統領とIPCパーソンズ会長が着席(約1分30秒間)

【3】国旗掲揚、国歌の斉唱(約1分20秒

中国国旗はポールにセットされており、すぐさま掲揚。つづけて国歌を斉唱する。

【参考】平昌パラリンピックでは国旗の入場にもたっぷりと時間をかけて行なう(約5分50秒間)。その後、旗手の入場の前に音楽パフォーマンスあり(約8分30秒間)

【4】旗手の入場(約8分30秒

46の国・地域の旗手が入場。日本は2番目に登場し、開会式と同様にクロスカントリースキー20キロ立位で金の川除大輝さんが旗手をつとめる。ウクライナの旗手は「引きでは映るが、寄りにはならない」という絶妙なカメラワークで、国際映像には大きく映らず。ソチ大会の際には閉会式で平和を訴えるTシャツを旗手が着用し、選手たちがメダルを隠して抗議の意志を示したことがあったので、アピールが映ってしまうことをあらかじめ避けたか。最後はフィールド中央のレコード盤が地球に変化し、共生をアピールして入場終わり。

【参考】平昌パラリンピックでは49の国と地域から旗手が入場(約5分50秒間)



【5】IPCアスリート委員の紹介、ボランティアの表彰(約5分50秒

新任のアスリート委員の紹介と、大会を支えたボランティアの代表を表彰。ボランティアの活躍をまとめた感謝の映像なども流す。

【参考】平昌パラリンピックでは映像での振り返りはなく表彰のみ(約3分20秒間)。その後、パラリンピックの精神を体現した選手を表彰する「ファン・ヨンデ功績賞」の授与を行なう(約8分20秒間)

【6】パフォーマンス(約3分

視覚に障がいのある4人の歌手による「You Raise Me Up」の歌唱と、聴覚に障がいのあるダンサーによるパフォーマンス。フィールド中央には障がいのある子どもたちが描いた絵を表示し、最後はスマイルマークとLOVEの人文字を表示して終わり。

【参考】平昌パラリンピックではダンスパフォーマンス(約10分間)と、大会のハイライト映像を表示(約2分40秒間)

【7】フラッグハンドオーバーセレモニー(約9分

パラリンピック賛歌を演奏し、パラリンピック旗を次回開催地のミラノ・コルティナへ引き継ぎ。イタリア国歌の歌唱、イタリア国旗の掲揚、ミラノ・コルティナによるピーアール映像の表示を行なう。

【参考】平昌パラリンピックでは映像の表示以外にも、北京によるライブパフォーマンスを実施(約13分間)



【8】組織委員会会長、IPC会長によるスピーチ(約10分

パーソンズ会長のスピーチは開催都市北京と中国への祝福と感謝からスタート。ボランティア・参加選手・各競技連盟・関係者・メディア・パートナー企業への感謝を述べ、アスリートへ賛辞を贈る。「逆境のなかで多様性の力強さを示した」「違いによって分断されることなく、共通の未来に向かうためにひとつになれた」というアスリートへの賛辞に重ねて、「大事なのは平和への希望」「世界のリーダーたちがパラリンピアンの行動に倣うことを望んでいる」と平和と共生への希望を訴える。

【参考】平昌パラリンピックでも組織委員会会長とIPCパーソンズ会長がスピーチ(約13分間)



【9】聖火消灯パフォーマンス(約7分

大会に関わったさまざまな人を映像で振り返ったのち、再びフィールドにレコード盤を表示。レコード盤が時計に変化すると、文字盤によるカウントダウン形式で大会のハイライト写真を表示する。時間と記憶がレコードと時計に刻まれ、バイオリンの演奏とともに聖火台が下降。聖火が消える。

【参考】平昌パラリンピックでは書道アートやバンドによる演奏を披露したのち聖火が消える(約6分間)

【10】クロージング(約5分

子どもたちの歌声とともにお別れ。スタジアム上空に花火で「北京2022」の文字を描く。花びらの映像を映すなかで、社交ダンスのパフォーマンスで厳かに終了。

【参考】平昌パラリンピックでは聖火が消えたあとも、バンド演奏とダンスパフォーマンスを継続して、盛り上がりのなか流れで放送終了(約8分50秒間)





オープニングからクロージングまでの時間で言うと、北京パラリンピックの閉会式は約55分間で、平昌パラリンピックの閉会式は約97分間でした。ちなみに、夏と冬とでは参加国・地域の数が違うので単純な比較はできませんが、東京パラリンピックの閉会式は約123分間に及びました。印象だけでなく、実態として北京パラリンピックの閉会式はとても簡素なものでした。

大きくカットされたのは幕間のパフォーマンスと、東京パラリンピック時点で廃止されていたファン・ヨンデ功績賞の部分で、旗手の入場やスピーチに関しては尺をカットされたわけではありません。必要最低限をしっかりやった、ある意味で「引き締まった」式典だったとは思います。

ただやはり、寂しい気持ちが強く残る閉会式でした。セレモニーには特に関心がない選手もいるでしょうが、この場を自分へのご褒美や労いとしたい選手もいたでしょう。ともに過ごした世界の仲間たちと別れる寂しさもこみ上げる頃でしょう。それを慰めるように、華やかに、楽しく、盛り上げて終わるような閉会式であって欲しかったなと思います。

今、こうしたご時世ですので、ドンチャン騒ぎはふさわしくないということは理解しつつも、フィナーレは寂しさを吹き飛ばすほどの楽しさがあるといいのになと率直に思います。開会式や閉会式は選手のためにあるものです。頑張ってくれよと盛り上げ、お疲れ様でしたと労うためのものです。その気持ちがちゃんと込められていたのか、必要最低限にまとめることだけを考えていやしないか、そんなことを思う式典でした。個人的にはあまり賛成しかねるものでした。

さて、しばらくアジアでの開催がつづいた五輪は、2024年パリ大会と2026年ミラノ・コルティナ大会で久々に欧州へ帰ります。東京と北京は楽しさも中くらいに抑制するような大会となりましたが、パリやミラノ・コルティナはしっかりと楽しくやってもらいたいなと思います。

ドンチャン騒ぎをしても安心安全で、

楽しいお祭りをできる程度に平和な世界。

そういう状況になっているように欧州全体での取り組みを期待したいもの。たくさんの国が地続きになっている地域なのですから、一部分だけが安心安全平和であればOKなんて話はありません。全体的に安心安全平和になってはじめて、楽しい大会は戻ってくるのです。東京と北京が這いずりながら何とかつないだバトン、ちゃんと活かして欲しいところ。フランスあたりは特に、頑張ってもらいたいですね!



会自体は短く簡素に、名残を惜しむ時間は長く楽しく、なら賛成です!

北京パラリンピック・バイアスロン競技でのウクライナ勢の大活躍に、「それぞれ」の「いろいろ」を堪能できることの素晴らしさを感じた件。

08:00
バイアスロンもいいですね!

熱戦つづく北京パラリンピック。今大会はやはりウクライナに肩入れをして見てしまう気持ちがありますが、8日はウクライナによるメダルラッシュが見られました。この日のメダルマッチはすべてバイアスロン競技のものというなかで、実施6種目18個のメダルのうち9個をウクライナ勢が占めるという圧倒的な強さ(※ウクライナ勢ではないが女子10キロ座位銀のオクサナ・マスターズ選手もウクライナ生まれ)。男子10キロ視覚障がいの部では1位から5位までがウクライナ勢という、ウクライナここにありを示す一日でした。

↓バイアスロン女子10キロ立位では金銀銅を独占!


↓バイアスロン男子10キロ視覚障がいの部では1位から5位を独占!


↓ちなみにウクライナはバイアスロン男子6キロ視覚障がいの部でも金銀銅を独占!

ビタリー・ルキヤネンコ選手が金&金!

アナトリー・コワレフスキー選手が銀&5位!

ドミトロ・スイアルコ選手が銅&銅!

ヤロスラフ・レシェチンスキー選手が4位&6位!

オレクサンドル・カジク選手が5位&銀!



ウクライナは近年のパラリンピックではバイアスロンとクロスカントリースキーでメダルを量産してきた強豪国。ソチではバイアスロンとクロスカントリースキーだけで25個のメダルを獲得し、平昌でもやはりその2競技だけで22個、今回も同じくその2競技だけでここまで17個のメダルを獲得。まさにお家芸といった状態です。

バイアスロンやクロスカントリースキーでの突出した活躍を見ると「冬が長い雪国なんだろうな」と思いますし、でもアルペンスキーやスノーボードではあまり見かけないあたりから「山はあまりないのかな」と思ったりします。調べればもちろんわかることでしょうが、特に調べようという気がなくても、自然と気候や風土にも心が向きます。

オリンピックでも、近年はエアリアルでの金獲得がつづいていますが、ソチ大会ではバイアスロン女子のリレー種目で金メダル獲得があり、「バイアスロンが好きなんだろうなぁ」と思います。日本ではあまり注目度や関心が高くない競技であることは否めませんが、だからこそ世界にはいろいろな国や地域があって「それぞれだな」と感じられます。そして、日本でのバイアスロンの注目度の低さの要因が「銃刀法の関係でライフル銃を持つこと自体が大変」という背景から普及や育成が難しいことだったりするのを思うと、もしかしたら逆の環境があったりするのかなという想像も浮かびます。

ただ一緒にスポーツをしているだけですが、いろいろな「それぞれ」があることに心が向くのも、いろいろな国や地域が集まっていろいろな競技をすることの価値だなと思います。好きなものや得意なものはそれぞれなんだ、と気づく貴重な機会として。それぞれの好きなものや得意なものが、それぞれのチカラになるから、いろいろなものが必要なんだなと感じる機会として。







どの競技もそうですがパラリンピックというのは工夫の宝庫です。それぞれが違う障がいを抱えていることで、どこにも手本のない自分だけのやり方を考えて、実践しています。このバイアスロンでも手の障がいでストックが持てない選手たちはまるでスピードスケートのようなフォームで、大きく手を左右に振って進んだりしています。ストックを持つ前提だとあまり考えないことでしょうが、できないことがあるから工夫が生まれるのだと思わされます。

立位の選手の射撃では、それぞれの銃の保持の姿勢が大きく異なり、自分なりの撃ち方を模索しているところが印象的です。「利き腕でないほうで身体を支え、利き目で狙いをつけて、利き腕で引き金を引く」なんてセオリーはそもそも通用しません。ひじのサポートがある選手は両腕で身体を支えることもできるでしょうが、そうでない選手は片方の腕で身体を支えて同時に引き金を引かないといけない。さらに、銃を構えるために顔で抑えるときも、どちらの目を使いたいかで構えが大きく変わっています。

また、両方の腕の指が使えない選手は引き金に突起をつけて手首全体で引き金を引くようにしていたりしました。バイアスロンは「長距離走」という激しい運動に加え、「精密射撃」という身体を静止させることを求められる競技ですが、指でチョンと引くのと、手首全体で引くのとでは静止の難しさもまた異なるでしょう。ほかの選手よりも際立ってゆっくりと、本当に少しずつジワジワと引き金を引くような動作も、自分なりに見つけ出したやり方なのだろうと思います。

自分なりのやり方を見つけるのは苦労でもあるのでしょうが、謎を解いていくような楽しさもあるのだろうと思います。ゲームの攻略法を自分で考えるときのように、手本がないものだからこその達成感が。そして、それを一度にたくさんまとめて見られるパラリンピックはとても贅沢な大会だなと思います。人生を捧げて、独自に編み出したまったく異なるやり方を、並べて、比べて、堪能できる試合なのですから。

↓両腕に障がいがあったドイツのギーゼン選手はクチで引き金を引くやり方で挑戦していました!


息を整えるだけでも大変なのに、ハーハーするクチで引き金を引く!

2010年のバンクーバーでは、このやり方で銅メダルを獲得!



五輪のほうでは日本勢の活躍を追うだけで目がいっぱいというくらいの大活躍で、なかなかほかのところにまで手が回らずにいた部分もありますが、パラリンピックでは少し視野を広げて、「いろいろ」や「それぞれ」を見ていけたらいいのかなと思います。日程としては、また11日にバイアスロンが集中して実施されますので、ウクライナ勢に心を寄せながらバイアスロンを見ていきたいなと思います。射撃で外したり当たったりすることで大きく順位が入れ替わる一発逆転感みたいなものは、単純に見応えがありますしね。


「バイアスロンでウクライナ応援」という気持ちが高まってきました!

パラアルペンスキーなどで採用されている「計算タイム制」といった工夫は、分断の加速を妨げてフェアネスを実現するヒントとなる件。

08:00
工夫することで共生はできる!

何とかかんとか開幕した北京パラリンピック、早速ですが日本勢には嬉しいニュースがつづきました。アルペンスキーでは村岡桃佳さんが連日の金、さらに森井大輝さんが2個の銅メダルを獲得。日本のエースと、長く日本を牽引する第一人者が、見事にチカラを発揮してくれました。メダルは個数を争うためのものではありませんが、ランキングでは開催国中国、特別な想いで臨むウクライナにつづいて第3位に日本がつけるという格好となり、素晴らしい滑り出しとなりました。







「今こんなときにやるのか」という声もあるのでしょうが、「今こんなときだからこそむしろ」だなと噛み締めるように競技を見守っています。こんな感じにしてしまった人たちは、パラリンピックのときのほうが戦争がやりやすいと思ったのかもしれませんが、必ずしもそうではないなと思います。現実として注目度はオリンピックのほうが高いかもしれませんが、理解と共生、平和へとつながるより強いチカラを備えるのはパラリンピックのほうだなと感じます。もしもアレが世界を東西に分断するために仕掛けた戦争なのだとすれば、侵攻のタイミングを五輪に重ねずパラリンピックに重ねたことは、侵略者の意図を挫くものだろうと思います。

スポーツにはチカラがあります。スポーツに限らず「楽しい」ことや「美しい」ことにはチカラがあります。文化芸術音楽など直接心を打つものは、国籍や思想を超えて人々をつなげるチカラがあります。素晴らしい音楽は敵性のものであろうと聞きたいし、素晴らしい芸術は誰が描いたものであろうが心をとらえてしまうし、素晴らしいプレーはどこの国の選手であろうが素晴らしいのです。すごいなぁ、美しいなぁ、感動するなぁ、という気持ちは、頭で考える「でも彼らは侵略国家の一員」という理屈よりも先に生まれます。そのチカラは特別なものだと思います。

そうした文化芸術音楽などのなかでもスポーツはより強い共生のチカラがあると思います。スポーツは「試合」をするからです。ひとりで完結するものではなく、誰かと競い合い、勝ったり負けたりすることが必要だからです。試合には対戦相手が必要ですし、そのなかでナンバーワンになりたいと思えば、「政治的に対立している侵略国家の王者」であっても無視することはできません。無視しようとしても、「でも彼に勝たなければ真のナンバーワンではないよな?」という自問自答は終わりません。心が先に相手を認めてしまうから、排除しようとしてもできなくなるのです。試合のなかで勝ったり負けたり認め合ったりすることで、互いを理解し、敬意を抱き、親しみがわけば、何かが生まれる。生まれるものには「平和」もきっと含まれる、そういう風に信じたいなと思います。

分断ではなく共生。

そういう意味でパラリンピックというのは「共生」への工夫の宝庫だなと思います。選手たちはさまざまな障がいを抱えています。千差万別十人十色でどれも同じではありません。「同じではない」けれど「試合をしたい」という矛盾した願いがそこには含まれます。通常であれば「同じではない」ものは「分けましょう」となるのが世間です。男女は分けましょう。階級は分けましょう。じゃあ「障がいも分けましょう」となる。似たようなものはまとめ、程度の差でクラスを分ける。それも工夫の一段階ではあります。

しかし、それでは不足もあります。キッチリ分けたらクラスごとの人数が足りなくなってしまったり、どこのクラスにも入れそうにない人が出てしまったり。そこで次なる工夫として「何とかして一緒にしよう」が生まれます。村岡さんが金メダルを獲得したアルペンスキーでは、障がいの程度によってタイムに係数をかける「計算タイム制」を導入しています。実際のタイムが100%で計算される障がいの軽い選手と、実際のタイムを90%とかに縮めて計算される障がいの重い選手とが、一緒に競い合えるようにするための工夫です。




思えばこれは決して目新しいことではなく、やる側と見る側の気持ち次第でほかの場面にも広げられるものです。競馬では成長度や牡馬牝馬の違いを考慮して、馬の年齢や性別で負担重量を変えています。それが当たり前になり、そのほうがフェアであるという意識が自然なレベルに浸透したことで、「こっちの馬のほうが軽いな」と思うことはあっても、「軽いほうが勝っても真のナンバーワンではない」と思うことはありません。エアグルーヴもウオッカもジェンティルドンナもアーモンドアイも「斤量が軽いから勝った偽のナンバーワン」とは言われません。

スキージャンプも風やゲート位置を考慮して、実際に飛んだ距離の長短だけでは決まらないポイントによって勝敗を決しています。大相撲では番付上位と番付下位は直接対戦する機会が基本的にありませんが、15日間の取組を臨機応変に変えていくことで同列に優勝を争うことができるようにしています。陸上での十種競技や七種競技、近代五種などはそれぞれの競技での成績をポイント化することで、複数の競技による総合力を競えるようにしています。「何とかして一緒にしよう」という気持ちがなければ工夫も生まれませんが、何とかしようとする気持ちがあれば、意外と何とかなるものだろうと思います。

昨今は「男性として生まれたが女性として生きていきたい」であるとか、「女性として生まれたが肉体的には男性の特徴を備えていた」であるとか、「義足を使っているが使っていない人とも勝負したい」といった、どうしたものかと悩むケースも増えており、ある側面ではフェアネスを損なっているのではないかと思う部分もあります。フェアネスを保つために分けること、ただ「何とかして一緒にしよう」という気持ちのもとフェアネスを保てるような工夫をして一緒にすること。パラスポーツにおいて必要に迫られて生み出される工夫を見ていくと、ほかのいろいろなことも何とかなるんじゃないかという気持ちも生まれます。

それは「正しさ」のために仕方なくやることではなく、楽しい夢のためにやれることではないかと思います。ボクシングでは「階級が重ならないコイツとコイツでどっちが強いんだろうなぁ」という見果てぬ夢を見ながらパウンド・フォー・パウンドのランキングを作成していますし、その夢を見せるように5階級・6階級と制覇していく王者は人気と尊敬を集めます。もし本当に誰とでも同列で競い合う仕組みが作れたらやっぱり見てみたくなると思います。盛り上がって大騒ぎになるでしょう。難しいでしょうが、できたら嬉しいことだろうと思います。

↓時計をゆっくり進めればレースの楽しさもドキドキも失われない!

最後に5秒とか一気にワープすると気になるけれど、最初からずっと調整してあれば気にならない!

人間の注意力なんてそんなものです!

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そして、その工夫を積み重ねることは、一緒にはできないから国や地域として分けられたものを、もう一度ひとつの世界として一緒にする難しい作業にも、通ずるものがあるだろうと思います。分ける理由や必然性はそれぞれあるし、ただ、分かれたままで一緒でありたいという願いや夢もある。その両方を叶えるのは難しいことだなと思いますが、その難しいことをやりながら、勝ったり負けたりしているのがパラリンピックです。

生まれ持ったものや環境すべてをひっくるめて飲み込んで競い合うというのも面白いですし、変えられないもので生まれる差は工夫によって調整して一緒に競い合うというのも面白い。両方を上手く使いながら、より楽しくなるような方向へ進んでいけばいいなと思います。そういう工夫のなかで、なるべくフェアになるように競い合って、勝ったり負けたりしているアスリートたちの姿を見ていると、すべては「気持ち次第」なんだという希望が沸いてくるのです。


そのうち無差別級が一番アンフェアって言われる日も来るかもしれませんね!

戦火のなかの北京パラリンピック開会式は、互いを理解して共生することが平和への道だと謳うIPCパーソンズ会長の叫びに救われた件。

08:00
PEACE!!!!!!!!!!!!!!!

戦火のなかで始まった北京パラリンピック。そもそもがコロナ禍での開催でもあり、楽しい祝祭ムードにはなりづらい状況でしたが、より一層悲痛な、沈痛な、重苦しいものとなりました。自らも約束したはずのオリンピック休戦を破って、隣国ウクライナに侵攻したロシアに失望しました。改めて強く非難します。

迎えた開会式、そこにはロシアとベラルーシの選手団の姿はありませんでした。「当然だ」とする声が圧倒的なのだろうと思います。両国選手について一度は「個人」としての参加を認めたIPCが、それを一晩で撤回することになったのは、それだけ強い声が寄せられたのだろうと思います。「当然だ」と。致し方ないことだと思います。




IPCパーソンズ会長は苦渋の決断にあたり、相当に多くの国・地域・選手からボイコットを示唆する声があったことを明かしています。同時にロシア・ベラルーシの選手団に対して「あなた方は政府の被害者だ」「ここに来たアスリートは侵略国家で生まれたが、兵士でも侵略者でもない」と同情を寄せました。そこには単なる非難を示すだけではなく、理念を実現できなかったリーダーとして苦悶する姿がありました。

戦争はすべてに連鎖し、政治家や軍人だけでなく、無辜の市民を巻き込んで悲劇を生み出していきます。スポーツに励む選手たちからも命を落とした人がいると聞きます。その怒りがロシア・ベラルーシに向かうのは当然です。一緒に試合などできるか。何故アイツらがのうのうと大会に参加しているのだ。アイツらが出るのなら我々がボイコットする。当然の意志として理解できます。

ただ、そうした怒りと憎しみがあるからこそ、あえて綺麗事を貫かないといけないという意志もまた存在したのだろうと思います。スポーツと政治を混同してはいけない、五輪パラリンピックは平和の祭典、そういう理念が綺麗事としてバッサリと切り捨てられる今だからこそ、です。

スポーツも政治と無縁のはずがありません。国威発揚に利用され、その代わり栄誉栄華を約束され、断ち切れない関連があります。すべては綺麗事である、そうかもしれない。それでもどこかにつながりが、認め合う機会が、共に生きる機会が残されていなければ、分断は加速していくでしょう。憎しみ合い、戦い合い、政治でも経済でも敵対していくなかで、相手のすべてを否定していくようになるのは必然です。先鋭化すれば「敵性」のものをすべて、その国の出身である人や、その国の商品や、その国の言葉を排除していくような動きとなるでしょう。極論すれば「滅ぼせ」と。

そのとき最後のほうまで残るのが文化であり、エンターテインメントであろうと思います。何の役にも立たず、ただし直接心を打つもの。憎しみのなかでも美しさや素晴らしさを感じられるもの。チャイコフスキーの音楽を素晴らしいと感じることは、ロシアへの怒りや非難と相反するものではありません。戦火のなか、憎しみのなかでも、何かそういうものが残って、完全に互いを断ち切ることなくつながっていることが、平和への希望だろうと思うのです。

スポーツと政治は無縁ではいられないけれど、「何か混同されないものを残さなければ」すべてが断ち切られてしまうから。実際に戦争が行なわれているなかで「平和の祭典」などと称するのは鼻白む話かもしれないけれど、戦争のなかでさえも人と人とがつながる機会がなければすべてが断ち切られてしまうから。五輪パラリンピックは、そういう機会に成り得るものだから。すべてを断ち切らずに留めて欲しかったと思いますし、そうできなかったことについてパーソンズ会長は苦悶したのだろうと思います。

ちょうどトロッコ問題のように、どこかの国の政府の被害者を断ち切らないようにすると、ほかの形での被害者が生まれてしまい、それが相当に多いとなったとき、選べるのはこの形しかなかったのだろうと思います。大会のなかにまで戦火が広がることが不可避の状況で、選べるのはこの形しかなかったのだと思います。この大会を目指したすべての選手を救うことは不可能なほど分断が加速してしまっている今は、こうするしかなかったのだろうと思います。決して国際世論を読み間違えたわけではありません。理念を実現できない無力さを感じているのだろうと思います。



だからこそ、この開会式でパーソンズ会長が何を語るのか、見守っていました。過去の大会を振り返る演出でソチ五輪のときだけ沈黙した実況のように、国連での非難決議を棄権した開催国中国のように、それに触れることなく大会の喜びだけを語った組織委員会会長のように、沈黙するのか。いや、そんなはずがありませんでした。パラリンピックを主導し、平和と理解と共生を目指す人はむしろ強く、明確なメッセージを発信しました。



北京パラリンピック開会式 IPCパーソンズ会長のスピーチ

習近平中華人民共和国国家主席、蔡奇大会組織委員会会長、全世界のスポーツファンのみなさま、各国、地域代表のアスリート、ならびに役員のみなさま、ご来賓のみなさま、こんばんは。そして2022北京パラリンピックへようこそ。

Your Excellency, Xi Jinping, President of the People’s Republic of China,

President of the Organising Committee, Cai Qi,

Sport fans all around the world,

Athletes from all competing delegations, officials and distinguished guests,

Good evening and welcome to the Beijing 2022 Paralympic Winter Games.

今夜はまず、平和のメッセージから始めたい、いえ、始めなければなりません。共生を中核とし、多様性を祝い、違いを受け入れることを旨とする組織のリーダーとして、私はいま世界で起こっていることに強い衝撃を受けています。21世紀は対話と外交の時代のはずです。戦争と憎しみの時代ではありません。

Tonight, I want to begin with a message of peace.

As the leader of an organisation with inclusion at its core, where diversity is celebrated and differences embraced, I am horrified at what is taking place in the world right now.

The 21st Century is a time for dialogue and diplomacy, not war and hate.

オリンピック・パラリンピック期間中の休戦は、国連決議として193の国連加盟国の総意で第76回国連総会で採択されました。それは尊重し守るべきもので、違反があってはなりません。

The Olympic Truce for peace during the Olympic and Paralympic Games is a UN Resolution adopted by consensus by 193 Member States at the 76th UN General Assembly. It must be respected and observed not violated.

IPCでは、よりよい皆が共生できる世界、差別や憎しみ、無知とは無縁の紛争のない世界をめざしています。ここ北京にはパラアスリートたちが46の国や地域から集まり、互いに競い合います。戦うのではありません。

At the IPC we aspire to a better and more inclusive world, free from discrimination, free from hate, free from ignorance and free from conflict.

Here in Beijing, Paralympic athletes from 46 different nations will compete with each other, not against each other.

スポーツを通して彼らは人類の最高の姿を示し、平和や皆が共生する世界の基礎となる価値観を際立たせてくれるでしょう。パラリンピアンたちは知っています。対戦相手は敵である必要がないこと。ともに歩めばさらにより多くのことを達成できることを。

Through sport they will showcase the best of humanity and highlight the values that should underpin a peaceful and inclusive world.

Paralympians know that an opponent does not have to be an enemy, and that united we can achieve more, much more.

今夜、パラリンピックムーブメントは世界各国の当局者に呼びかけます。アスリートたち同様、ひとつになり平和、理解、共生を促してください。世界はともに生きる場であるべきです。分断されてはなりません。

Tonight, the Paralympic Movement calls on world authorities to come together, as athletes do, and promote peace, understanding and inclusion. The world must be a place for sharing, not for dividing.

変化はスポーツから始まります。それは調和をもたらし、それがきっかけとなって、人々の生き方、街、そして国をも変えることができます。史上初の夏季、冬季両パラリンピックの舞台となる北京はその証しです。大会前、何十万もの施設がバリアフリー化されました。

Change Starts with Sport.  Not only can it bring harmony, but it can be a catalyst to transforming the lives of people, cities and countries.

As the first city to stage both the summer and winter Paralympics, Beijing is proof of this.
Ahead of these Games, hundreds of thousands of facilities have been made barrier free. 

会場は壮大であり組織運営は際立っています。新型コロナウイルス対策も万全かつ効率的です。中国国民のおもてなしの精神により最高のパラリンピック、ウィンタースポーツの披露の場ができました。さらに障がいのある人々にウィンタースポーツを体験する機会も提供されました。すばらしいです。中国国民のみなさん、謝謝!

The venues are magnificent. The organisation is extraordinary. The Covid-19 prevention and control — safe and efficient.

The hospitable Chinese people have built the stage to fully showcase the best of Paralympic winter sports.

Efforts to encourage and engage persons with disabilities to try winter sports have been outstanding.

To the people of China: Xiexie!

パラリンピアンのみなさんが、スポーツを糧に障がいを受け入れた瞬間がありました。障がいによって否定されることなく自分の一部とし、そこにみずからの強みを見い出したのです。弱さとみられがちな障がいに力を見い出し、自分の可能性を最大限発揮しています。

Paralympians, there is an important moment in your lives when, because of sport, you embrace your disability. Not as something that defines you, but something that is part of who you are.  As you embrace it, you find your strength, where others have seen weakness, and your find your own power and path to maximise what you can do.

世界人口の15%が障がいのある人々ならば、パラリンピアンは残り85%の人々に障がいのある人々がどんな望みでも機会さえ与えられれば、叶えられることを見せています。それゆえにIPCなどの主導のもと「WETHE15」キャンペーンが立ち上げられ、18の国際機関連合とともに歩んでいます。WETHE15は障がいの可視化、アクセス性、共生と平等の権利のためのキャンペーンです。

If 15% of world’s population has a disability, Paralympians show to the remaining 85% of people that persons with disabilities can do whatever they want, if given the opportunity.

This is why the IPC and the International Disability Alliance launched WeThe15 alongside a coalition of 18 international organisations.

Through WeThe15 we want to campaign for disability visibility, accessibility, inclusion, and equality of rights.

世界の12億の障がいのある人々は人生を謳歌し、夢を追い、紆余曲折を生き抜き、社会貢献する機会を同様にもつべきです。人類、そしてひとりひとりがそのような変化を約束し、このような機会を保証すべきです。

Every one of the world’s 1.2 billion citizens with disabilities should have the same opportunity to live life to the fullest, chasing their dreams, finding their way through life’s ups and downs, and contributing to society. As humankind, it is up to each and every one of us to Commit to Change to guarantee that opportunity.

最後にパラアスリートのみなさん、今大会のための準備、とりわけパンデミック下においては決して容易ではなかったと思います。みなさんは決意の意味を示し、忍耐を体現しています。みずから成し遂げたことを喜び、自分の力で世界を変えられる、変えることを誇りに思ってください。

Finally, Paralympic athletes, your preparations to reach these Games have not been easy, especially due to the global pandemic. You define the meaning of determination, you personify perseverance.

Celebrate your achievements here, and be proud that your abilities can, and will, change the world for a many, many millions of people.

そしてどうかフェアプレーのもと、楽しんでください。みなさんの健闘を祈ります。

謝謝!サンキューベリーマッチ!ムイトオブリガード!

平和を!!!!!!

Above all, have fun and play fair. 

I wish you all the best of luck.

Xiexie! Thank you very much! Muito obrigado! Peace!


この6分間弱のスピーチが、この開会式のほとんどであったような気がします。どれだけ華やかに、どれだけ盛大に大会を彩ろうとも、このメッセージがこもっていなければ、心のない虚ろな式典となっていたことでしょう。花火でも演出でも歌や踊りではなく、メッセージが主役となった式典であったことに救われる思いがします。

平和を乱したこと、オリンピック休戦を破ったこと、それに対する憤りはもちろんある。理解できる。しかし、世界はともに生きる場であり、分断されてはならない。アスリートたち同様にひとつになり、平和と理解と共生による社会は実現できるはずだ。パラリンピックという機会に街がバリアフリー化されたように、スポーツから始まる変化によって社会も変われるはずだ。平和を実現できるはずだ。明確で簡潔なメッセージでした。共生を諦めない、意志の表れでした。この難局に臨むにあたって、こういうリーダーがいることは頼もしいと思いました。

そして式典の最後、聖火が灯されるとき、偶然かもしれませんが、まさしく共生を示すような場面がありました。オリンピックと同様に聖火台にトーチを差すだけの聖火点灯ですが、最終点火者は視覚に不自由を抱えており、トーチをさす穴がすんなりと把握できずにいました。トーチを差そうとしても真っ直ぐに入らず苦心していました。

皆は待ちました。その人のするべきことを、その人のやり方で、その人なりの手順でやるのを待ちました。最後に係員がほんの少しサポートしたようですが、最終点火者自らがしっかりとトーチを差して、聖火は灯りました。聖火を灯すと、観衆の声援にガッツポーズで応えました。

これまでの大会で見てきた仕掛けとアイディアにあふれた点火も素晴らしかったけれど、この何でもない作業が何でもない作業ではない人も存在することを感じ、ただし十分な時間と少しの支えがあればやっぱり何でもない作業にできるのだということを感じるのは、どんな点火よりも印象的でした。聖火の名にふさわしい火が灯ったと思います。

相手を知り、同じ時間を過ごすことで、何かが生まれる。

断ち切ってしまうのではなく、つながりから始まるものがある。

お花畑の綺麗事かもしれませんが、全部の綺麗事がなくなってしまった身もふたもない世界よりは幾分かマシではないかと思いながら、この大会を見守っていきたいと思います。綺麗事を全部捨ててしまったら「撃たれる前に撃て」「撃ちそうなヤツを全部撃て」「撃て撃て撃て」が正解になってしまいますからね。身とかふたどころではなく本当に何もかも全部がなくなってしまいますからね。「PEACE」の祈りと希望を失わずにいたいものだなと思います。

ロシアの人もそうでありますように。

すべての人がそうであれますように。






「共生」がいかに難しくて必要なことか、噛み締める時間となりそうです!

選手だけでも参加できるように甦った「オリンピック休戦」を、選手だけ参加させてもらっている国が破ることへの果てしない落胆と失望。

08:00
ROCの国が戦争を始めるという失望…!

チカラが抜けるような思いです。ロシアがウクライナに侵攻し、戦争を始めました。事態を論評できるほどの見識はないので、ことの経緯をくわしく述べることはしませんが、ロシアのすぐ隣にある国に住む者としてこれは決して他人事ではなく、恐怖と憤りを覚えます。強く非難します。

ウクライナという国には知人も友人も直接の縁もありませんが、それでも何人かのウクライナの人のことが思い浮かびます。リオ五輪で内村航平さんと体操男子個人総合の金を争ったオレグ・ベルニャエフ。ボクシングで名を馳せたクリチコ兄弟、ワシル・ロマチェンコ。ケリガンVSハーディング抗争が印象深いリレハンメル五輪で、妖精のように舞ったフィギュアスケートのオクサナ・バイウル。サッカーゲームでエースとして愛用したアンドリー・シェフチェンコ。大相撲の大横綱・大鵬もお父さんはウクライナ人だと聞きます。レスリングや柔道でも試合をする機会の多い国です。スポーツを通じて出会うウクライナは、遠くにある知らない国ではありません。

まさに今、北京五輪が行なわれ、これから北京パラリンピックが始まろうとするときに、よもや戦争を仕掛けようとは。3月20日までは国連総会でも決議されたオリンピック休戦期間のはずです。せめてこの期間だけでも戦争を止めて、平和への努力をしようじゃないかと世界で約束したことを堂々と破るその姿勢。現実問題として世界中で武力衝突や紛争、すなわち戦争は起こりつづけていますし、そこに至る何らかの理由があるのでしょうが、「せめてもの」約束すら反故にされたことで、世界中に宣戦布告でもされたような気持ちになります。

北京五輪の開会式にはロシアのプーチン大統領も出席していました。それをウクライナは注視していました。双方すでに緊張が走る局面ではありましたが、開会式に参加したプーチン大統領が狙われるようなこともなく、大会期間中にヨーイボンと始まることもなく、閉会式まで終えたはずだった。次はパラリンピックで会うはずだった。睨み合いまでで最後は武器をおさめるものだと期待していた。それが実は、五輪開会式出席という名目で中国としっかりと意思統一をしたうえで、五輪の閉会式が終わるのを待っていたのかしらなどと想像すると、腹立たしくて虚しくてなりません。

↓パラリンピックの開会式には…来ないのでしょうね…!



そもそもオリンピック休戦とは何だったのか。古代オリンピックにおいては開催都市で安全に大会が開催されるための約束でしたが、それがしばし途絶えたのち、現在のようにオリンピック(そしてパラリンピック)の期間をまたいで休戦をするようになったのは1992年のバルセロナ五輪の際の動きがきっかけでした。

それは単なる「平和への祈り」で鳩を飛ばすようなことではなく、現実の要求に迫られてのことでした。当時、ユーゴスラビアと呼ばれていた連邦国家がありましたが、そのなかのクロアチアとスロベニアが1991年5月に独立を宣言したことで、ユーゴスラビアは内戦状態になっていました。国際社会はユーゴスラビアに制裁を科し、そのひとつとして国際スポーツ大会からの締め出しを行ないました。これは国連の安保理が決議し、加盟各国を縛るものでしたので、IOCもそれに従がわざるを得ない性質のものでした。これにより1992年のバルセロナ五輪へのユーゴスラビアの出場は叶わないはずでした。

しかし、それでは選手たちがあまりに不憫であると、オリンピック旗のもと独立チームでの参加を模索するという動きが起こりました。当時IOCの会長であったのがスペイン出身のアントニオ・サマランチ氏で、開催都市がスペインのバルセロナであったこともこの動きを助けたかもしれません。IOCは何とかしてユーゴスラビア選手を五輪に参加させる道を模索したのです。

その動きは実を結び、いよいよ大会が始まるという7月となって、IOCは「国家」でも「独立チーム」でもなく「個人」としてのユーゴスラビア選手の参加を認めるという妥協案によって各国・地域と合意を得たのです。そして、国際社会に向けてそもそもの問題の端緒であった紛争をおさめ、休戦するようにアピールをしたのです。そこで改めて甦ったのが古代オリンピックで行なわれていた「オリンピック休戦」という提案でした。

この提案はリレハンメル五輪へと向かう1993年に国連決議で採択されると、以降の大会でも推し進められるようになり、現在のように「オリンピック開始1週間前からパラリンピック終了の1週間後まで休戦する」という形で定着していきます。これはオリンピック・ムーブメントが世界平和に寄与するという希望の表れでもあり、政治によるスポーツへの介入から選手たちを守るという意志の表れでもありました。

↓五輪で通算5個のメダルを獲得した射撃のヤスナ・セカリッチ選手は、1992年は個人での参加で銀メダルを獲得!



このバルセロナ五輪という大会は、ユーゴスラビア選手のような個人資格での参加に加え、1991年の旧ソビエト連邦崩壊直後ということでIOCへの加盟承認がまだだった旧ソ連の各国家…ロシアやウクライナなどがEUN(統一チーム)として参加した大会でもありました。

国や政治はいろいろなことがあるけれども、選手は何とかして参加できるようにしてあげたい、それが当時も今も変わらない願いであり、そういう思いから「国家的なドーピング」という事態が発覚してもなお、ロシアの選手たちがROC選手団として個人資格で参加しているのが2022年の北京五輪・パラリンピックなのです。

選手のための動きから現代に甦ることになった「オリンピック休戦」の約束を、選手たちを思いやる気持ちによって辛うじて大会への参加が認められている国が破る。戦争をしている国の選手でも大会に参加できるようにするための約束を、こともあろうに戦争を始めることで破る。「ウチは国としては参加していないから約束を破ることに後ろめたさはない」「ていうか、いつも破っている」「二度あることは三度ある」ということなのかもしれませんが、これほどの裏切りがあるものかと思います。

スポーツも政治と無縁ではいられませんが、それでもなお政治と切り離されたところで試合を行なえるところに稀有なる価値があるだろうと僕は思います。北京五輪が始まる前もすでにロシアとウクライナは緊張関係にありましたが、何とか五輪をやり遂げ、勝ったり負けたり互いを認め合ったりしてきたはずなのです。これからともにパラリンピックをやって、勝ったり負けたり互いを認め合ったりできたはずなのです。紛争の当事者間であっても、そうやってどこかでつながりや敬意を保っていられたら、救われる部分もあったと思うのです。

その約束すら守られない。

あと1ヶ月、その短い時間すら、約束が果たされない。

何も変わらなかったかもしれないけれど、何かが変わったかもしれないのに。

「ロシア」という国が五輪・パラリンピックに戻るのはいつなのだろうか、戻ることなどあるのだろうか、スポーツという観点からも果てしない落胆と失望を覚える出来事でした。ロシアには素晴らしい選手がたくさんいますし、ロシアがいない大会はどこか物足りなさを感じますが、今後はかなり長い時間に渡ってROCとして会うことになるのだろうなと思います。致し方ないことです。

戦争ではなく、試合によって勝ったり負けたり互いを認め合ったりできるよう、少しでも早く事態がおさまるように祈ります。

↓北京五輪フリースタイルスキー男子エアリアル決勝ではウクライナ銀、ROC銅と並び立つ場面もあったが…!



↓IOCはロシアでのスポーツ大会の開催を取り止めるように要請したとのこと!



「ロシアを決して信じるな」という本のタイトルに今さらながら納得しました!

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婦人公論 2017年 12/27、1/6 合併特大号

僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版 (幻冬舎文庫)

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