試合後の礼をして頭を上げると、自身の連覇を祝福してくれる大観衆が目に映った。無観客開催だった2021年東京五輪から3年、柔道男子66キロ級の阿部一二三選手(26)は「これが本当の五輪なんだな」。心が震えた。#パリ2024 https://t.co/2aUhfaILpj
— 時事通信スポーツ (@jijisports) July 28, 2024
/#競泳#大橋悠依 選手がパリ2024オリンピックを終えコメント🏊✨
— TEAM JAPAN (@TeamJapan) August 13, 2024
\#大橋悠依 選手🗣
「夢に見ていた有観客の中で泳げた。やり残したことはなく、後悔なくやれた」#TEAMJAPAN #がんばれニッポン
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🇫🇷#パリ五輪‼️速報‼️インタビュー🙋♀️
— TVer_Sports (@TVer_Sports) August 11, 2024
🏃#マラソン 女子
東京に続き五輪のマラソンを走った #一山麻緒 選手🇯🇵「日本を背負って走れたことが嬉しかった」とレースを振り返りました
✅#陸上 まとめ👉https://t.co/kHxWeK59Jk#パリオリンピック 競技のライブ・ハイライト・見逃しを #TVer で無料配信! pic.twitter.com/sVvXcJBhKQ
そして、それ以上に胸に深い痛みとパリへの感謝を残したのがパリパラリンピックでした。五輪の熱狂から半月ほどの中断期間を経て始まったパラリンピックにおいて、パリはまったく同じように燃えていました。大会初日、これまで幾多のパラリンピックで王者となってきたレジェンド・国枝慎吾さんが言っていました。これまで史上最高のパラリンピックはロンドン大会だと思っていたが今大会こそが史上最高の大会だ、と。ロンドンでも東京でもなくパリだ、と。勝利と栄光の思い出で彩られた自身の出場大会よりもこのパリが素晴らしい、そう断言していました。しかも、まだ競技開始初日の段階で、です。初日のスタンドを埋めた大観衆と大熱狂が、もはや是非もなく「パリが史上最高だ」と国枝さんに言わせたのです。
そして、その熱狂を心に燃やしながらも、ゴールボールやブラインドサッカーのような聴覚が極めて重要な競技の観戦においては、見事な静寂を生み出すようなことができたのでしょうか。ブラインドサッカー男子の決勝戦、自国代表の金メダル獲得を見守るパリの観衆が生み出した「音のないウェーブ」に僕は圧倒されました。楽しむことも、尊重することも、どちらも手放さない叡智を感じました。今となっては答えは出ませんが、「よくて引き分け」かなぁと思うのです。実際に僕が手にすることができた幻の東京五輪チケットの枚数(2枚)と東京パラリンピックチケットの枚数(10枚以上たくさん)を比較すると、そう思ってしまうのです。まぁ、五輪を経てからグッと盛り上がるという、いつもの日本的出遅れパターンはあったかもしれませんが。
初めての有観客のパラリンピック。素晴らしい大舞台で泳がせていただける幸せ。メダルをかけていただいて、全てに感謝が込み上げてきました。
— 富田宇宙 パリパラリンピック水泳日本代表🇯🇵 (@UchuTomita) August 30, 2024
家族、スタッフ、仲間やライバル、観客や応援してくれるみなさん、そして自分の障害と苦しかった日々にも。
心からありがとうございます。#パラリンピック… pic.twitter.com/QyXowh1Qkv
大会期間中に、自身も重度の障がいを抱える芥川賞作家の市川沙央さんがパラリンピックについて語る記事を見かけました。全体像は各位でご確認いただければと思いますが、そこでは「『実力』を規制するスポーツの『ルール』は人間のモラルの証明」だと喝破していました。自然界の獣たちの弱肉強食&無差別級の世界とは異なり、生物としての「実力」だけが問われるのではなく、弱者も保護されるよき塩梅を「ルール」という叡智によってスポーツは見出しているのであると。そして、スポーツ界にはちゃんと障がいを抱えた人が活躍できる舞台が設けられているのに、文化界はむしろそうなっていないではないかという主旨の憤りを込めていました。一見「弱肉強食そう」なスポーツ界にはパラリンピックやパラスポーツがあるのに、一見「公平で平等そう」な文化界はどうなのだ、と。
市川沙央さんが見つめるパラ 求められる一丁目一番地と「100点」 https://t.co/znKdGHAHxj
— 朝日新聞 パリ2024 (@asahi_olympics) August 24, 2024