スポーツ見るもの語る者〜フモフモコラム

その他

パリ五輪・パラリンピックから大いに楽しみと気づきを得た2024年を振り返りつつ、もっと上手に生きられる2025年にすると誓うの巻。

08:00
ありがとう2024年、こんにちは2025年!

今年も無事に大晦日を迎えることができました。例年、そのような思いを抱く日ではありますが、今年は特に強く思います。2024年、日本に住む人にとってとりわけ記憶に残る出来事となった能登半島地震が起きたのは、この幸せな気持ちと甘い酔いに満ちた元日でした。幸せはある日突然、大きな変化を迎えてしまう、そんなことを突きつけられた年でした。痛みとともに明けた年の幕引きを、平穏無事という第一級の幸せのなかで迎えることができていることに改めて感謝したいと思います。

さて、2024年と言えばやはりパリ五輪・パラリンピックでしょう。日本勢の大活躍による盛り上がりと、それをも上回るようなフランス・パリの市民たちの大熱狂に包まれた大会は、東京五輪を見舞った「コロナ禍」へのお返しをキッチリ果たす大大大成功でした。東京を経験した日本選手たちからも「これが本当の五輪だ」という言葉が繰り返し届いた大会期間中、本当の五輪ではなかった東京を担当した開催都市民として悔しさはものすごくありましたが、素晴らしい大会になって心からよかったと思います。

そのなかではいくつもの印象的な気づきを得ることができ、自分自身にとっても成長を感じられる機会となりました。すでに当時書いたことではありますが、芥川賞作家の市川沙央さんのエッセイを通じて得た「『実力』を規制するスポーツの『ルール』は人間のモラルの証明」「公平性という叡智を追求しつづけるパラリンピック」という気づきは、自分の意識にも大きな転換をもたらすものでした。

人間は獣のように生まれ持った身体能力や才能のみを競っているわけではなく、生物としての最大の特長であるところの「叡智」をスポーツという身体能力の競い合いの場にすらも「ルール」「公平性」といった形で導入し、強き者も弱き者も共に競い合えるような環境を築いているのだとイメージできたとき、心も視界も大きく開けるような気分になったものです。

人間は無慈悲な弱肉強食をやっているわけではなく、スポーツは残酷な弱肉強食をやっているわけではなく、生まれ持った素養が違う者たちが上手に楽しく競い合いを楽しめるように知恵を凝らしつづけているのだとイメージできたことで、まだまだスポーツは面白くすることができるし、この趣味を楽しんでいけると実感しました。人間の叡智が終わらない限り、もっと楽しいものがこれからも生まれてくるはずだからです。何となく「死ぬまで野球とか相撲とか見てクダ巻いてる人生なんだろうな…」とは思っていましたが、「リアルにそうなんだろうな」「まぁ楽しそうで結構」と前向きに思えたのはよかったなと思います。この先もまた、楽しみがいっぱいあって嬉しい限りです。

↓パリの皆さん改めまして、ありがとうございました!




個人的な活動の部分では、給料をもらうための仕事が大変忙しく、あまり活発なものにはなりませんでしたが、野球、サッカー、バスケ、相撲、陸上、競泳、競馬、モータースポーツ、そしてフィギュアスケートなどなどさまざまなスポーツの観戦を現地で楽しむことができました。野球だけはほぼ記憶喪失という感じで「何を見たのか、何を見せられたのかまったく覚えていない」「思い出そうとすると脳が激しく痛む」「もしかしてあまりに凄惨な記憶が封印されている…?」みたいな状態なのですが、きっと楽しんだことは楽しんだんだろうと思います。

そのなかでも特にビッグイベントとなったのは1月の佐賀遠征。羽生結弦氏のアイスストーリー2nd「RE_PRAY」を見守るために向かった佐賀の地での印象的な出来事の数々は、この年のことを思い出すにあたって「2024年は佐賀行った年だろ…」から始まる栞のような記憶となるのだろうと思います。真っ暗な農道を通り、犬に猛烈に吠えられながら最終レースに駆け込んだ佐賀競馬場。食べる食べると言いながらついに食べずに終わった透明なイカ刺し。電車の窓から目視したことで「よし見たな」と認定した吉野ケ里遺跡。観光としては不十分な部分もあったかもしれませんが、思い出としては素晴らしい撮れ高でした。

そのような機会を得られたのも「推し」の公演があればこそ。強い理由を抱いて遠くに行く、そういう機会があることはとても嬉しく、それがまた今年も巡ってくるのはさらに嬉しい。新年明けてすぐには広島へと向かい、そこで羽生結弦氏のアイスストーリー3rd「Echoes of Life」に参加する予定でおりますので、また2025年を象徴するような思い出が作れたらいいなと思います。平和への祈りと、生きることへの新たな決意、そんなものを抱きしめることができそうだなと思うと、2025年全体にも好影響を及ぼしてくれそうですよね。一年の計は1月のアイスストーリーにあり、そんな流れが今年も来年も再来年も長くつづくといいなと思います。

そして2025年の活動としては、今年の日本スポーツ界最大のビッグイベントとなる世界陸上東京大会、こちらへ向けて楽しむ準備をいろいろできたらいいなと思います。素晴らしい充実を見せる日本陸上陣による「目の前での金メダル」、そして日本にやってくる世界のアスリートによる「目の前での世界記録」「目の前での歴史的勝負」といった思い出を欲張りに全部獲得していきたいもの。あの2021年に、世界陸連のセバスチャン・コー会長が言ってくれた「お返しがしたい」「日本の誰もが楽しめる時期にまた陸上を持ってくることを約束する」といった言葉たちはどれだけ救いとなるものだったか。

遊戯王カードを爆買いするノア・ライルズが、新たな世界記録を国立に刻み付けるアルマンド・デュプランティスが、何やかんやで銀メダルを持って帰るカールステン・ワーホルムが、フェイス・キピエゴンとシファン・ハッサンとベアトリス・チェベトによる神々の決戦が、愛らしく国立のトラックを周回するフェムケ・ボルが、日の丸を掲げ君が代を響かせるハルカ・キタグチが、東京で目の前で見られる。存分に楽しませていただかなくてどうしたものか。失われし東京五輪の真の開会式プランを甦らせるくらいの意気込みで思い出を奪還していきたい、そう思います。いやもう、本当に甦らせてもいいんじゃないですかね!

↓開会式で「All my treasures」歌うのは2007年にやったんで、そっちの復刻は大丈夫です!




とまぁ、旧年の振り返りと新年の予定を考えていたら何だか興奮してまいりました。未来が楽しみで元気や勇気が湧いてきました。まだまだこの胸には楽しむ気持ちと情熱がある、そんなことを確認して2024年を締められるのですから今年も満点の一年だったんだろうと思います。憂いなく、楽しみだけがあり、月曜日が楽しみな子どものように、2025年をワクワクして迎えられるのですから。ひとつ年を取って、まだ未来が楽しみなのは、悪くないですよね。

世界はどんどん技術が進化し、「ちょっとキレイな絵」や「ちょっとスゴイ動画」「ちょっと整った文章」程度は人間が手を動かすまでもなくAIが生み出してくれる現代です。早晩、物語や音楽もAIによって創造される時代が来るでしょう。しかし、スポーツは永遠にAIに置き換わってしまうことはありません。人間がこの肉体でやるからこその不条理や限界や衰えが、AIが立ち入れない面白さを担保しつづけてくれるエンターテインメントがスポーツなのです。

たとえAIが野球やサッカーやバスケや相撲の「理想の答え」を見つけ出す日が来ても、今この瞬間にそれができるかどうかは別問題。理想通りできない人間だからこそ、凝らすべき叡智や追求すべき工夫が残りつづけるというのは、とても奥深くて魅力的だなと思います。そうしたものを楽しむのだと思うと、日々感じる限界や衰えさえも愛すべき友だちなのかなと思います。そのなかでどうやってこれまで以上に元気に楽しく暮らしていけるのか、それが人生における腕の見せ所だなと。そんな気持ちで前向きにまた一年を重ね、もっと上手に生きられるようになれたらいいなと思う年の瀬なのでした。

さて、毎年恒例の2024年に僕をもっとも楽しませてくれた選手に送りMVP賞についてですが、現地に行ったわけでもないのにここで挙げるのはなかなかの異例だなとは思いますが、パリ五輪・パラリンピックを素晴らしい盛り上がりのなかでやり遂げてくれた「パリ市民」の皆さんにお送りしたいと思います。パリの皆さんが持っていたサイズだと我が日本では傍迷惑になるのでそのまま模倣はしませんが、あのデカイ顔を持ってくる応援スタイルはどこかで機会があればやってみようと思いました。楽しそうで何よりでした。

それでは皆さま、2025年も元気に楽しく年を重ね、さらに上手に生きられるようになって2026年へと向かっていきましょう。

2025年は身近なところで大きな痛みや悲しみなく、大筋でのほほんと過ごせる一年になるよう祈ります!




「Echoes of Life」広島に備えて荷造りと旅のしおり作りでも始めますかね!

パリパラリンピック閉幕!人間の叡智を注いで追求する公平性が、見る者に面白く・やる者が輝ける史上最高の舞台を生み出した件。

08:00
史上最高のパラリンピックでした!

パリパラリンピックが閉会を迎え、熱いパリの夏が終わりました。一連のパリでの大会は本当に素晴らしいものでした。「五輪に関するものすべてをこき下ろす」ために記事を書く一部の手合いは、ホスピタリティの不足であるとか食堂のメニューへの難癖であるとか「このあと非難殺到」の記事をまき散らしていましたが、大会を通じて送られた大観衆の大歓声…「夢の舞台」を生み出した人々の情熱よりも大事なおもてなしなどありません。どんな記事でも覆せないライブ映像の向こうの光景がすべての答えです。選手も観衆も本当に輝いていました。

そこに夢があり、それにふさわしい舞台があるのであれば、食堂のメシなどさしたる問題ではないのです。大事なのは「試合」です。その一番大事な価値において、パリはとてもとても素晴らしい大会でした。その点は東京五輪に燃え、東京の一員と思って10年余りを過ごした僕ですら認めざるを得ません。できるならば「東京五輪・パラリンピックこそが史上最高の大会だった」と言いたいのに、そう言い切ることができないほどに、パリは素晴らしい大会をやり遂げたと思います。

特に印象的だったのは選手たちからの本当に嬉しそうな言葉たちです。五輪期間中に「これが本物のオリンピックだ」という言葉を何度聞いたでしょう。スタンドを見上げ、歓声に包まれ、その熱狂に身を委ねながら本当に嬉しそうにしていた選手たち。とりわけ自国開催の東京大会を過ごした選手たちがそうであったことは、どんな評論よりも雄弁だったと思います。彼らが思い描く「夢の舞台」は東京ではなくパリにあったのです。素晴らしい結果を手にした東京よりも、パリこそが本当の五輪だったのです。胸に突き刺さる痛みが重く、申し訳なく、その後悔をパリへの感謝に変えて見守ることしかできませんでした。






そして、それ以上に胸に深い痛みとパリへの感謝を残したのがパリパラリンピックでした。五輪の熱狂から半月ほどの中断期間を経て始まったパラリンピックにおいて、パリはまったく同じように燃えていました。大会初日、これまで幾多のパラリンピックで王者となってきたレジェンド・国枝慎吾さんが言っていました。これまで史上最高のパラリンピックはロンドン大会だと思っていたが今大会こそが史上最高の大会だ、と。ロンドンでも東京でもなくパリだ、と。勝利と栄光の思い出で彩られた自身の出場大会よりもこのパリが素晴らしい、そう断言していました。しかも、まだ競技開始初日の段階で、です。初日のスタンドを埋めた大観衆と大熱狂が、もはや是非もなく「パリが史上最高だ」と国枝さんに言わせたのです。

国枝さんの言葉は、それまで東京大会を無観客にしてしまったことへの痛みに悶えていた我が身を貫通して、遥か彼方まで突き抜けていった気がしました。五輪に関しては僕自身も「コロナ禍さえなければ東京こそが史上最高だったはずだ」と思っていますが、パラリンピックに関しては本当にここまでできただろうかと立ち止まらざるを得ないのが正直なところです。今目の前にあるパリでは、見る競技見る競技が満場の観衆に迎えられ、五輪と変わらない大歓声があがりつづけています。最大8万人収容のスタッド・ド・フランスの上層階まで観衆で埋まるようなことが本当に東京でできたのでしょうか。自国の有力な金メダル候補の決勝戦ですら十分な体制で報じられることもないこの日本で。

そして、その熱狂を心に燃やしながらも、ゴールボールやブラインドサッカーのような聴覚が極めて重要な競技の観戦においては、見事な静寂を生み出すようなことができたのでしょうか。ブラインドサッカー男子の決勝戦、自国代表の金メダル獲得を見守るパリの観衆が生み出した「音のないウェーブ」に僕は圧倒されました。楽しむことも、尊重することも、どちらも手放さない叡智を感じました。今となっては答えは出ませんが、「よくて引き分け」かなぁと思うのです。実際に僕が手にすることができた幻の東京五輪チケットの枚数(2枚)と東京パラリンピックチケットの枚数(10枚以上たくさん)を比較すると、そう思ってしまうのです。まぁ、五輪を経てからグッと盛り上がるという、いつもの日本的出遅れパターンはあったかもしれませんが。

その素晴らしい舞台に対して、競泳男子400メートル自由形S11(視覚障害)のクラスで富田宇宙さんが東京大会につづくメダルを獲得した際の試合後インタビューでは「目が見えなくなって、障がい者になって苦労もたくさんしたが、障がいがあったからこそ、こういった場に立つ機会をもらえた。自分が障がいを負ったことや、これまで歩んできたいろいろな苦労も含めてありがとうと言いたい」という言葉を残していました。選手にそう思ってもらえるだけの舞台をちゃんと東京は作れただろうか。答えは出ませんし、それを確認する機会も向こう50年はないでしょうが、もしかしたら「確認できなくて助かった」のかもしれないなと思います。「無観客になってしまった」痛みだけでなく、「無観客になって助かった」部分があったのかもしれないなと。このパリと比較されるのがちょっと怖くなるくらいパリはすごかった。閉会式の組織委員会の挨拶が「アスリートの歓声が凄すぎて先に進められない」なんてことが自然に起きるだなんて、最高の賛辞としか言いようがありませんでした。本当にお見事でした!




大会期間中に、自身も重度の障がいを抱える芥川賞作家の市川沙央さんがパラリンピックについて語る記事を見かけました。全体像は各位でご確認いただければと思いますが、そこでは「『実力』を規制するスポーツの『ルール』は人間のモラルの証明」だと喝破していました。自然界の獣たちの弱肉強食&無差別級の世界とは異なり、生物としての「実力」だけが問われるのではなく、弱者も保護されるよき塩梅を「ルール」という叡智によってスポーツは見出しているのであると。そして、スポーツ界にはちゃんと障がいを抱えた人が活躍できる舞台が設けられているのに、文化界はむしろそうなっていないではないかという主旨の憤りを込めていました。一見「弱肉強食そう」なスポーツ界にはパラリンピックやパラスポーツがあるのに、一見「公平で平等そう」な文化界はどうなのだ、と。

また、大会を通じてNHK中継の核(※いないと成立しないの意)となっていた俳優の風間俊介さんは、パラリンピックにおいては選手の病気の進行やルール改定によってしばしば出場クラスの変更が起きることを念頭に、パラリンピックは公平性を追求しつづけている、だからパラリンピックは永遠に未完成なのだという話をしていました。「それウォルト・ディズニーの名言…」と思わなくもありませんが、まぁ風間さんのなかからディズニーっぽい言い回しが出てくるのは自然なことです。言い回しはさておきスピリットの部分において、まったく風間さんの言う通りだと思いました。

多様性の表現でよく引かれる金子みすゞさんの「みんなちがって、みんないい。」の詩は、部分的にはその通りなのでしょうが、その言葉に甘え、その言葉に満足し、そこで止まってしまっていてはいけないんだなということを改めて気づかされるような思いがしました。みんな違っていていいんだけれど、そんな違うみんなが、それぞれ輝けたり、それぞれ活躍できたり、そのために払う労力や犠牲に極端な差がないようにすることは「できないかな?」と考えつづけることが必要なのです。そこに人間の生物としての最大の長所である「叡智」が活かされないといけないのだと思いました。永遠の未完成を追求しつづけること、そこにこそ人間が人間である意味があるのだろうと思います。パラリンピックは肉体の部分ではオリンピックに及ばない点があるかもしれませんが、叡智という部分ではむしろ先行する、そんな大会なのだと改めて認識し直すことができたような気がします。難しく言うとアレですが、「何とかして面白くしてやろう」というパラリンピック・パラスポーツの工夫と発想は本当にすごい、そう思います。



その意味では、いつか五輪とパラリンピックがひとつになればいい…という考え方も違うのだろうなと思いました。せっかくちゃんと分けて、それぞれが主役になるターンを作ったのですから、そのほうがいいのです。そうやって分けたままで、「あれは確かにすごいが」「これはこれで面白い」となるような工夫を凝らしていってこそ未来が広がるのだと。もしも「個」として両方を統べるような選手が生まれたら、2回主役になってもらえばいいだけですし。またひとつ考えが深まる時間になって、個人的にも本当に実り多い大会でした。

オリンピックも見ますし、ワールドカップも見ますし、いろんなものを見る僕ですが、別にいいカッコしようとかいうことではなく、ただただ素直にパラリンピックも面白いと思います。そもそも、人間が人生を懸けて競い合うものが面白くないはずがないのです。男子でも女子でも高校生でも中学生でも障がいを抱えた人でも、いい塩梅に公平になるような叡智を尽くして競い合わせたら面白いのです。その点が、少しずつでも広がっていくように祈りたいと思います。いいカッコしようなんて話ではなく、僕が見たいものがイイ感じにライブで見られて、みんなが盛り上がって、僕が楽しくなる未来のために!

↓ありがとうパリ!パリみたいなパラリンピックなら、毎日激熱で二度楽しいですね!




東京もみんながパリぐらい楽しみにしていれば有観客でやったんでしょうがね!

頂上決戦を制して車いすテニス男子シングルス金獲得の小田凱人さんには、「Eテレサブチャンネル中継だったわ…」は絶対言えない件。

08:00
絶対に映してはいけない男子シングルス!

いやー、熱かった、激熱の戦いでした。世界ランキング1位のアルフィー・ヒューエットさんと世界ランキング2位の小田凱人さんの顔合わせとなったパリパラリンピック車いすテニス男子シングルス決勝は、まさに文字通りの「頂上決戦」でした。舞台となるローラン・ギャロスの歴史と伝統、その大会場を満たした大観衆の大熱狂、中継席ではこの種目の伝説的存在である国枝慎吾さんも見守っていました。すべてが極まっていました。

↓ご覧になっていない方はコチラでどうぞ!




そして、その舞台にふさわしい試合が、世界を魅了しました。まず第1セット、躍動したのは小田さんでした。立ち上がり4ゲームを連取し、まったく危なげない展開で6-2と第1セットを制しました。ヒューエットさんに故障が発生するというアクシデント&中断こそあったものの、それを差し引いても小田さんは強かった。圧倒的な自信と走力、強烈なウィナーと攻撃的な姿勢。この時点ではこのまま金メダルまで一気に突っ走れるだろうと思ったほど。

しかし、相手もまた頂点に立つ選手。過去の対戦成績も小田さんの7勝8敗となっており、ラクに勝てるはずもありません。一進一退の攻防となった第2セットではゲームカウント4-4からのセット終盤、ヒューエットさんが左右へワイドに展開するラリー戦で小田さんのサービスをブレークすると、つづくサービスゲームをキープして第2セットを取り返しました。小田さんは少しチカラが入っていたのか、リターンがオーバーする場面が見られ、やや不穏な落とし方となりました。



そして迎えた最終第3セット、そこで演じられたテニスは掛け値なしに熱く、面白かった。ルール上は2バウンドでの返球が認められている車いすテニスではありますが、相手の時間を奪うかのようにワンバウンド、あるいはボレーでバチバチのリターンを応酬する両者。小田さんがネットに出て攻撃を仕掛ければ、ヒューエットさんは小田さんの動きの逆を突いてパッシングを決めて見せます。パワー、スピード感、ハードワーク、見所しかない戦いです。まさに僕らが思っている「テニス」の面白さがそのまま表現されるような試合でした。

第1ゲームはヒューエットさんがいきなり小田さんのサービスをブレーク。第2ゲームは小田さんが強烈なリターンで負けじとブレークバック。しかし、第3ゲームで再びヒューエットさんがブレークすると、その「一歩リード」を活かしたままゲームはヒューエットさんペースで進行していきます。小田さんも観衆を煽りながら自分にペースを引き戻そうとしますが、なかなかそうはさせてもらえません。

そして、ゲームカウント3-5のヒューエットさんリードで迎えた第9ゲーム。追い込まれた小田さんは第2セット終盤のようにリターンが大きくなることがつづきます。得点は30-40となってヒューエットさんはブレークポイント…つまり金メダルポイントの場面を迎えました。あと1本で勝利、あと1本で敗北という決着の場面、優位にラリーを展開していたヒューエットさんは狙い澄ましたドロップショットを放ちます。小田さんは逆向きに動いており、コートに入りさえすれば間違いなく金メダルというショットでした。選択は決して間違っていなかったと思います。しかし、ボールはわずかにアウトになってしまった。

小田さんはこの時点まで「負ける」と感じていたそうです。しかし、このポイントが決まらなかったことで、心が甦りました。もっと歓声をくれと煽るように耳に指を当て、ここから本物の小田凱人が動き始めます。鋭いサービスの連打で粘るヒューエットさんを振り切ると、長いデュースの末にこのゲームを逆転で取り返しました。まるで勝利したかのように車いすの上でガッツポーズを見せた小田さん。先ほどまでの力みと弱気は消え失せ、自信の塊がコートに帰ってきました。

そこからのテニスは圧倒的でした。第10ゲーム、第11ゲームを連取してゲームカウントを6-5とすると、踊るようなパフォーマンスさえ見せました。そして迎えた第12ゲーム、3連続ポイントでトリプル金メダルポイントの場面を作ると、ひとつリターンがミスとなった場面でも小田さんは笑顔を見せていました。最後は相手のリターンが返らず、小田さんがこのゲーム、すなわちこの試合を制して金メダルを決めました。強く、華麗なそのテニス。真っ赤なシャツやヘアバンド、車いすを操作するための必然として片手バックハンドになるあたりも含めて、小田さんの姿がロジャー・フェデラーさんに重なって見えるような感覚さえ覚えました。車いすテニスの新時代が確かにここにありました!

↓メダルの色は分かれましたが、両者の競演こそが金メダルだった、そう思います!


車いすのタイヤを外してコートに倒れ込んで見せた小田さん(※パリ五輪でのジョコビッチさんのような)。試合後のインタビューでは「ヤバイ、カッコ良過ぎる俺!」から始まり、「俺はずっと勝てると思ってたマジで!」「俺は今日勝ったことで確定したことがある!」「俺はこのために生まれてきた!」「金メダル獲るために生まれてきました俺は!」と名言を連発。最後はカメラにキスして終わるという大暴れで、竜巻のように世界を席巻しました。その姿はきっと「憧れ」を生むものだったろうと思います。苦労した人が頑張っていて偉いなんてことではなく、自分もこうなりたい、こうやって輝きたいと思うような姿でした。

多くの人は車いすテニスに挑む機会はないかもしれませんが、決して少なくはない人が足に不自由を抱えて車いすに乗っているこの世界において、そうした人の「憧れ」となる選手がいることは素晴らしいと思います。車いすに乗ってはいるけれど、世界を魅了し、スターとなる人生はちゃんとあるのです。この頂上決戦は、多くの人を楽しませ、多くの人の希望となるような試合だったと思います。長い人生の暗闇を希望を持って進むための道標、それが「星(スター)」なのだと改めて思いました!

↓途中まで「負けると思ってた」って自分で言ってるのに、その15秒後に「俺はずっと勝てると思ってた」って言い出した小田さん!


「チョー気持ちいい!」以来の大物感!

そのまま突き進んでいってください!



そのような素晴らしい熱戦にあえてひとつ足りなかったものを挙げるとすれば、やはり日本側の中継体制でしょう。大会中には小田さん自らがSNSで自身の試合のテレビ放送がないことを嘆いていました。世界トップの実力を備え、メディアにも積極的に露出し、CMでも毎日見かけるような「金メダル本命候補」の試合なのに、なかなか取り上げてもらえないという現実。日本には国枝慎吾さんというレジェンドがおり、女子の上地結衣さんも今大会2冠となったように、車いすテニス大国と言ってもいいはずの日本でも十二分の体制にはなっていないのが現実です。

この決勝戦も、地上波での中継こそ決まったもののNHKEテレのサブチャンネルで行なうという扱いでした。明らかに不鮮明な画質と、チャンネルサーフィンしただけでは気づきづらい放送形態。試合終了後からメインチャンネルに切り替える一部の録画機殺しのようなガチャガチャ移動(恒例)も含めて、もうひとつ何とかならなかったのかなと残念に思いました。

この点では「NHKが放映権を独占しているので…」「NHKのチャンネルにも限りがあり…」というメディア側の理論も漏れ聞こえてきますが、それは解決できる程度の話です。NHKがパリパラリンピックの放映権を独占していることは事実ですが、サブライセンスを買えばほかの局だって中継できるのです。実際この大会でも、競馬専門チャンネルであるグリーンチャンネルが馬術のサブライセンスを買って中継を行なっていましたし、車いすテニスを含めて一部競技をケーブルテレビ上のチャンネル「J:テレ」で録画中継しています。パラリンピックの放映権は「買える」のです。買う気があれば買えるのに、買わなかっただけなのです。実際、まったく同じ枠組みであった東京パラリンピックでは民放各局が1種目ずつを中継していたわけです。買えるんですよ。買う気があれば。基本的にメダルマッチは深夜帯なんですから、編成の不都合もないはずなのに買わなかっただけのことです。東京では一歩前進したようにも思いましたが、今大会はまた一歩後退したのかなと思います。

コンテンツとしては文句なしで素晴らしいものだったと思います。地上波ゴールデンタイムの中継であったとしても、日本を魅了するような熱戦だったと思います。車いすテニスに限らず、そうした場面が今大会もたくさんありました。日本のメディア(の上層部)にもっと「目利き」がいれば、熱くて面白いスポーツエンタテインメントをもっともっと届けられただろうと思います。パラリンピックやパラスポーツの面白さが、東京パラリンピックを経た日本であるならば、もう少し認められていてほしかった…そう思います。ホント、試合はすごい面白かったんですけどね!

↓Google Pixelに公式配信の英語実況を自動で日本語に吹き替える機能とかあるといいんですけどね!

YouTubeで見られるっちゃ見られるんですけど、テレビがいいんですよね!

実況と解説とゲストがいて、視聴者みんなで盛り上がれるから!



小田さんには当面「Eテレで生中継だったよ!」だけ伝えるようにしますかね!

悲願の金を獲得した車いすラグビーは、不自由とか多様性云々ではなくただひたすら熱くて面白いスポーツエンターテインメントだった件。

08:00
日本車いすラグビー、悲願の金!

パラリンピックは戦いの場、勝負の舞台である。そんな当たり前でありながら、見守る観衆の多くがつい忘れがちになることを改めて示してくれた、そんなチーム、そんな戦いがありました。ロンドン、リオ、東京と3度準決勝で涙を呑んできた車いすラグビー日本代表。このチームはただひたすらに勝利を目指していました。人生を頑張るとか不自由を乗り越えるとか多様性とかそんなことではなく、アスリートとしてただひたすらに勝利と金メダルを目指していました。

その戦いはスポーツエンターテインメントして心震わせてくれるものでした。準決勝オーストラリア戦、またしてもここで敗れるのかと戦慄した最終盤と、延長に持ち込んで勝ち切ったあの勝負強さ。シャンドマルス・アリーナを埋める大観衆が生み出した割れんばかりの「ニッポン!」コールはオリンピックやワールドカップと何の差があるものでもありませんでした。戦うために集った選手たちと、素晴らしい試合と、楽しむために詰めかけた観衆たちがいました。熱かった。




大きな壁を打ち破った日本が臨む初の決勝。対戦相手は過去2度の金に輝いた強豪アメリカです。直近の対戦では日本が勝利を重ねているものの、勝負に絶対はありません。試合前、君が代と「The Star-Spangled Banner」が流れるアリーナは星のようなフラッシュで満たされ、輝くばかりです。今大会の競泳でメダルを獲得した富田宇宙さんの「この場に立てたことには、障がいを負って苦労したことを含めて『ありがとう』と言いたくなる」という言葉もよぎります。まさに夢の舞台、「目指したくなる」ような舞台がそこにはありました。

ついに始まった日本初めての決勝戦。日本は池崎大輔さん・池透暢さんの2人のハイポインター通称「イケイケコンビ」がチームの中心となりますが、アメリカもそこへのマークは当然厳しくなります。そこで期待が懸かるのは、今大会攻撃の主軸として活躍をつづける橋本勝也さんです。橋本さんはパラリンピックの金を本気で目指すために、福島県の役場を退職もしました。人生を懸け、この勝負に挑みます。

一方アメリカは絶対的な司令塔チャールズ・“チャック”・アオキさんを中心に、女子選手ながらハイポインターとして攻撃にも積極的にかかわるサラ・アダムさんを活かすホットラインを築いています。女子選手が出場することでチーム編成の持ち点が0.5点増えることも加味した強力布陣から得点を量産していく構え。日本はいかにこのホットラインを塞げるかが鍵となりそう。



最初のティップオフでボールを奪えなかった日本はアメリカに先制を許し、追いかける展開となります。スティールも許し試合序盤で早くも2点差に開きます。基本的に得点の取り合いになる車いすラグビーでは、この2点差はそれなりに重たい点差です。もう離されたくない、日本は必死に食らいついていきます。しかし、2点差で追いかける展開のなかピリオド終盤にはパスが低くなったところを相手のローポインターに弾かれるという痛いミスも生まれ、結局第1ピリオド終えた時点では11-14の3点ビハインドとなります。

第2ピリオドに入ると、日本は相手のパスの出所に厳しいマークをつけ、スティールで点差を縮めることに成功。再び2点差でアメリカを追いかける形とします。しかし、アメリカも自陣ゴール前で壁を作る強固なディフェンスで日本に簡単な得点を許さない構え。日本は際どいパスや後ろ向きの態勢でのトライなどを強いられる我慢の展開です。それでも日本は相手の反則やミスの機会を粘り強く待ち、残り2分台では連続得点でついに同点に追いつきました。

そして残り1分に差し掛かる頃、サラさんとマッチアップした橋本さんは、相手の苦しい態勢からのパスを懸命に背中と腕を伸ばしてカットしました。車いすながらまるでジャンプするかのような大きな伸びでつかんだターンオーバーと逆転トライ。日本は残り時間をしっかりとマネジメントして、このピリオドのラストトライも奪いました。第2ピリオドを終えて24-23と1点リードは理想的な前半戦です。

↓ずっと追いかける展開のなか、前半の終わりについに逆転!



迎えた後半、第3ピリオド序盤は互いにミスが生まれて逆転・再逆転とシーソーゲームがつづきますが、ピリオド中盤には流れも落ち着き、交互に得点を重ねていく取り合いの展開に。そんななかで光ったのが日本のディフェンスでした。アメリカのパスを何度も池さんが弾き、相手にプレッシャーをかけます。その圧力が相手の焦りを生んだでしょうか。ピリオド中盤には「どうしても点を取らねばならぬ」と熱くなったアメリカが、攻撃に手をこまねくなかでショットクロックを伸ばすために「選手が取れるタイムアウト」を使い切り、さらに「ベンチが取れるタイムアウト」も使って攻撃を継続するという勝負に出てきました。相手が貴重なタイムアウトを2つ使ってまで欲しがった得点ですが、ここで日本がしっかりと守り切り、結果としてこれが勝負の流れをグッと引き寄せる大きな大きな分岐点となりました。流れを失ったアメリカはさらにミスを重ね、日本はリードを広げます。

34-32の2点リード、しかも日本ボールという状況で迎えた第3ピリオド最終盤。日本はショットクロックをギリギリまで使ってからタイムアウトでショットクロックを回復させることで「残り時間をキッチリ消化しつつ、このピリオドの最後のトライを取って、日本ボールで始まる次のピリオド冒頭で連続得点」の展開を狙います。この作戦が見事に決まり、第3ピリオドのラストトライを取って35-32の3点差で終えることができました。素晴らしい展開、理想的な流れ、金まで残り8分。アリーナの大観衆は立ち上がってこの熱戦の決着を待っています。日本の大応援団はパリ市民を巻き込んで「ニッポン!」コールを送っています。ついについに金が見えてきました。

↓さぁ最終第4ピリオドへ!10年以上壁の前で見上げてきた金がそこにある!


最終第4ピリオド、日本はじっくりと時間を消化しながら得点を重ねていく構えです。追いかけるアメリカは苦しさは隠せず、無理目のプレーを狙っては反則を重ね、さらに点差は開いていきます。残り6分15秒では5点差という車いすラグビーとしてはかなり大きな点差まで広がりました。もう無理は必要ありません。相手の連続得点だけ気をつけて、1点ずつ積み重ねていけばいい。6点差、7点差、8点差、さらに点差は開いていきますが最後まで日本はプレーを緩めません。1点を守り、1点を取る、その積み重ねに集中しています。勝利の予感は微塵も見せません。笑顔はまったくありません。ただ、涙はありました。選手たちにではなく、スタンドを埋める大応援団が堪え切れずに泣き始めていました。泣きながら張り上げる声援と、ひとつの緩みもなく戦いつづける選手たち。ここまでの悔しさのぶん、日本は最後まで勝利を逃さぬように戦います。

そして迎えた最後のプレー。残り3.7秒という段階でのアメリカの最後の攻撃をカットすると、ボールをつかんだ日本の新たなエース・橋本勝也さんは、そのボールをポーンと弾き上げました。最後の1秒を噛み締めるように、この瞬間で時を止めるかのように、無人のアメリカ陣内で刻まれた夢のバウンド。ロンドン、リオ、東京、どうしても届かなかった金メダルをつかむ瞬間を、チームと応援団と関係者の全員が「何もせず、ただ見つめるだけ」でゆっくりと共有することができるとてもとても美しい幕切れで、日本車いすラグビーが悲願の金メダルを獲得しました!

↓やった!勝った!悲願の金メダル!

パラリンピックおもしれぇぇぇーーーーー!

車いすラグビーおもしれぇぇぇーーーーー!



多くの栄光が生まれた東京パラリンピックで、金のチカラを持ちながら銅に留まった日本の車いすラグビー。あのときの悔しそうな表情が、ようやく眩しい笑顔に変わった、そう思いました。個人的にもあのとき見るつもりでいた瞬間を見られたことで、観衆の立場としても味わった無念が報われるような気持ちになりました。握り締め、無効になったチケットも、「買うならパリのほうだったな」と笑っていることでしょう。本当に楽しませていただきました。ただただ楽しく応援しました。日本勢としてはパリで初めての団体球技のメダル、しかも金。この夏のなかでもとりわけ大きな喜びの瞬間になりました。ずっと見たかったものを見られて、とても嬉しいです!

↓寝てて見逃した人は今からでも見るしかないですね!



新たなエースも誕生して、早くもロスでの連覇に期待が懸かります!

何となく分けてる「男・女」の区分けと能力差で分けてる「男・女」の区分けは別々なので、能力差モノサシをしっかり考えるべきと思った件。

08:00
もしも背中に羽があったら金メダルいくつ取れるかな!

引きつづきパリ五輪期間中に手がつかなかったテーマについてまとめていきます。今回はボクシング女子66キロ級のイマネ・ケリフさんについて世界で起きた議論を念頭に、競技における出場選手の区分けについて自分なりの気持ちを整理しておきたいと思います。



どこまでいっても答えは出ない気がしますし、答えは日々変わっていくような気もしますので、とりとめのない話になりそうですが、いい機会なので自分自身の整理とできればと思います。なので、あくまでも一般論として考えるようにできればと思います。当該の選手の人生や事情について詳しく承知しておりませんし、その人がどうこうではなく、一般論として区分けがあることや今後どうしていくのかという話にできればと思います。

世界の現状がどうなっていて、具体的な事例にどういう対応が行なわれていてという部分は、あまり正確に紹介できる気がしませんので、数年前のものになりますが、そういったテーマでまとめていただいている論文をご案内しまして、各位でご覧いただければと思います。本稿で取り上げられているロンドン五輪・リオ五輪で陸上女子800メートルの金を取ったキャスター・セメンヤさんの事例などは、今回のパリでの出来事にも重なるものかなと思います。ひとつ学びを経たうえで、僕は自分自身の「お気持ち」の部分を整理していければと思います。

↓おまとめいただきありがとうございます!



まず、「何故分けるのか」という部分から改めて考えていきます。そもそも人間は皆同じ、皆仲間という観点から言えば、「分ける必要ないのでは?」という発想はあり得るはずです。参加資格は「人間であること」のみの全員参加の無差別級。これ一本でいけば誰が何をどうしようが正しさの部分では問題は起きないでしょう。よし正しい答えが出た。議論終了!

……と、スンナリ受け入れられるかというとそんなわけはありません。正しければ楽しいとは限りません。まず何となく「男・女」で分けたくなってしまう。馬術のように男性も女性も牡馬も牝馬もないスポーツもありますが、いろいろな局面においてムクムクと「分けたくなってしまう」気持ちは否めません。古来から何となくそうなってきたのですから、そうするものだと何となく思い込んでしまっています。

その分けたくなってしまう気持ちを見つめていくと、実はひとつではなく色々な意味でそうしているのかなと思えてきます。スポーツで言えば、ひとつは「能力差」です。全員に当てはまることではありませんが、総じて男子選手のほうが女子選手よりも身体能力は高い気がします。ガタイもいいし、チカラも強そうだし、代表クラスの女子チームが高校生男子とかにヒネられたりする事例もよく見ます。高校生男子のほうが普通にデカいですからね。何となく有意な差がある気がします。

しかし、能力差があるというだけなら、もっといろいろな要素が世の中にはあります。人種だってそうです。同じようなものを食べていても「アイツらのほうがデカいな…」って感じたり、同じような練習をしていても「アイツらのほうが速いな…」って思ったり、そもそも集団として差がある気がします。ですが、その差については「分けない」ですよね。まぁ大陸とか地域ごとの大会があるのでそこで気が済んでいるのかもしれませんが、「すまんのぉこの試合はアジア人種だけなんじゃ」「ちょっと違うと思うんでちょっと分けたいんじゃ」「ラモスお断り」とはなっていないですし、むしろそのボーダーはどんどんなくなっています。どの国のどの競技の選手もいろいろな人種の人がいます。必ずしも「能力差がある要素は分ける」わけでもなさそうです。

ただし、今引き合いに出したラモス瑠偉さんは人種を理由にどこかでお断りはされていませんが、ほかの区分けでは引っ掛かってきます。国籍です。ラモス瑠偉さんはブラジルで生まれ、もともとブラジル人として生きてきましたが今は「日本人」です。まぁ厳密には両方の国籍を持っていたりするのかもしれませんが(※ラモスに造詣が浅く不明瞭で恐縮です/ラモス造詣を深める気持ちもないので…)、ナントカ代表になるなら日本代表ということになるでしょう。これは能力差によって分けているものではなく、大和魂とか愛国心とかたまたまそう生まれたからとか法律とか、個人の「お気持ち」を含めた別の理由でそうなっているものです。何ならラモスさんのように後から変えることだって可能です。

何で国籍で分けているのかとなると、これはもう理由を決めるのも難しいですが、「仲間な気がする」とか「全然別な気がする」とか「気づいたらそうなってたから」とかしかないのかなと。そんな曖昧なものを残しているのは、たぶん「面白いから」だと思うのです。仲間内で誰が一番かというのは単純に知りたいですし、何となく仲間だと思っている気の合う人同士が一緒になって、何となく仲間ではないなと思っている人たちと対戦すると面白いですよね。いがみ合う集団同士でバチバチするのも殺伐とはしますが激熱ですし、我が方の代表が活躍したらやっぱり嬉しいですよね。自分のことのように。それが生まれも人種も見た目もノリも全然違うラモスさんでも。

とすると、もしかしたら「男・女」も能力差による区分けだけではないのかなと思います。「何となく」分けているのかなと。それは生物としての本能なのかもしれませんし、何となく世界がそうなっているからかもしれませんが、「何となく男・女を分けている」区分けと「能力差があるので男・女を分けている」区分けがダブルであるのではないでしょうか。オセロとか麻雀みたいな身体能力関係なさそうなものでも何となく男・女の大会があったりしますし(※見えづらい能力差があるのかもしれないが)、能力差と関係なく何となく分けちゃってるだけの区分けもあるのではないのかなと。それなのに、男・女の区分けは万能で絶対的な一本の線だとイメージしてしまっているところにボタンの掛け違いがあって、ちゃんと一本ずつ丁寧に線を引くべきだったりするのではないでしょうか。

自分がどっちであるかという「何となく」の区分けは、ラモスさんの国籍のように「自分はコッチだと思う」「生まれたときからそうだった」「法律でそうなっている」「手続きや審査は大変だったけどあとからでも変えられた、よかった」という形で、能力差とは関係ない社会のありようとして決めたり選んだり変えたりすればいいのかもしれない。

そして能力差という部分は逆に「男・女」でお手軽に分けていたものを、「ちゃんと分けるならどうすればいいんだ?」というのを考える必要があるのかもしれない。これまでは体重差で階級を分けるくらいしかイイ分け方を思いついてきませんでしたが、適切かはさておき体内のホルモンの数値(テストステロン値)で分けるとか、人種や国籍や性別によらずキチンと測ることができて公平な感じがするモノサシを世界が新たに認識する必要があるのかなと思いました。

その2本をしっかり別々に認識して運用できれば、いろいろなことが整理できそうな気がします。「何となく男・女で分けてしまっていたが」「この競技、別に身体的な能力差関係なくない?」「じゃあ分けなくていいか」と無用な区分けを撤廃する方向に進むパターンだってあり得るでしょう。たとえばパリ五輪では、アーティスティックスイミング…かつてシンクロナイズドスイミングと呼ばれていた競技の団体戦に男子選手が2名まで出場することが可能でした。実際にはそういうチームはなかったようですが、アメリカではビル・メイさんという45歳の男子選手が最後まで代表入りを目指していました。これなども「よく考えたら男・女の区分けウチはいらなくない?」に踏み出した例でしょう。

↓五輪でお披露目があれば世界も「おっ」となったと思うんですがね!



世界のどこかに「女性として生まれ、身体的な特徴も見た感じは女性で、法的にも女性で、女性として育てられて、自分を女性だと思っているのだけれど、大人になっていろいろ調べたら実は胎児の時点から性分化が行なわれていなくて、内臓とか男性っぽい感じになっていて、その影響で男性ホルモンがたくさん出ていて、身体が成長するなかでムキムキで男前になりました」みたいな選手がいたとき、僕はこれを1本の線で区分けするのは難しいと思うのです。身体能力が男性っぽかったり、見た目が男性っぽかったりしても、その人は「女性」として生きているのですから。

「自分はコッチだと思っている」ほうから外されたり、「コッチではないと思っている」ほうに突っ込まれたり、ましてや「うーん、新しいところへどうぞ!」とどちらでもない場所に案内されたりしたら、いたたまれないでしょう。「うーん、この地上にラモスの国はないんだよね…」みたいな話になったら、いたたまれないでしょう。それは自分がコッチだと思うほうに入れる世界がいいんじゃないでしょうか。そして、もしも能力差などで何か分けないと「差があり過ぎて競争にならない」「納得感がない」「面白くない」のなら、それはまた別の区分けでやるべきだと思うのです。「性別検査」とかの男・女を見定めるためのモノサシをあてがうのではなく、階級みたいに能力差を見る別のモノサシで。そのモノサシを生み出して、たくさんの人が認識して、納得して、世界に広く行き渡らせるということが必要なのかなと思います。「体重で階級分けします」って言われたときに「はい」って思うくらいのスンナリ感になるまで。

そして、それは各競技において、それぞれがやるしかないと思います。どんな能力が効いていて、それがどれくらい違うと「競争にならない」「納得できない」「面白くない」のかは競技それぞれで違いますから。馬術やアーティスティックスイミングのように「ウチは分けなくていい」という競技もあれば、陸上のように「テストステロン値とかで分けるか」という競技もあるでしょうし、あるいは競馬のように「区分けはせずハンデをつけることでバランスを取ろう」という考えを採用する競技もあるでしょう。格闘技のように「能力差があると危ない」が主な心配事であれば、「1階級分ハンデつけましょう」といったバランスの話に加えて、「安全」を守るためにグローブやヘッドギアを改良するという解決策もあり得るのかなと思います。たったひとつの「正しい」基準ではなく、それぞれが「納得する」ことが重要なのかなと思います。

そういうモノサシが各競技でしっかり行き渡っていれば、自然な選択としてそれぞれが行きたい場所を決められるのではないでしょうか。今だって「私身長低いけど、バレーは明らかに高身長が有利…」「そこに能力差を考慮する仕組みはない…」「背が低い私はただただ不利…」と分かっていても「それでもバレーがやりたい!」という選択はあるわけです。同じように「私がその競技に行ったら、1階級分ハンデ背負うのか…」が分かっていれば、それでもやるのか、やっぱりほかを考えるのか、自分の場所を探せると思うのです。ほかの選手も「そういう人が来るかもしれんな」と思いながら、「まぁしっかり能力で区分けしてくれればいいよ」と納得もできる塩梅が見つかるかもしれませんし。

なので、今能力差について区分けする十分なモノサシがないなかで「お前、妙に能力高そう」で誰かを排除するのは、違うのかなと僕は思いました。「お前、男・女で言えばアッチだろ」と別のモノサシを持ち出して、他人が他人の在り様を勝手に決めることで能力差のバランスを取ろうとするのも上手くないのかなと思います。商店街の草サッカー大会で急にラモス連れてきたら「何で商店街の草サッカーにラモスがいるんだよ!」「昨日シュラスコ屋をオープンしただぁ?」「きったねー!」くらいは思うかもしれませんが、「上手い人禁止」のルールもないなかでラモスを封じるのはナイんだろうと思います。

↓新しくオープンしたシュラスコ屋の店長だって言われたら、商店街草サッカー大会へのラモス参加を認めるしかないですよね!


子どもの頃からよく思う夢のひとつに「空が飛べたら」というのがあります。背中に羽が生えていて空が飛べたら、棒高跳びの世界記録を1センチずつ更新してお金稼いだり(※棒は荷物になるので使わないぞ)、バスケットボールのNBAファイナルでダンク100本決めたり(※パスが取れなくて半分くらい外すぞ)、体操で5回宙返りとかやったりして(※目が回って着地はミスるが)、オリンピックで金メダル20個くらい取ってやろうと思っていましたが、世界の様子を見ていたらそれはナイんだなと思いました。生まれたときから羽が生えていたとしても、「その羽ズルくない?」「お前、人間じゃないだろ」と叩かれて潰されるんだなと思いました。公平感も納得感もなく、能力差があり過ぎて競争にならないのでは「面白くない」というのは、まぁそうなのかなと思います。

なので、もしも僕の背中に羽が生えていたなら、「この羽を気にせずにやれる競技はないか」というのを知りたいかなと思います。あるいは「羽のある人への対応」が明確にわかる競技でもいいですが。「もげ」と書いてあったら止めますし、「痺れ薬で麻痺させてください」なら検討しますし、「畳んであればいいですよ」だったらやってみようかなと思いますし、そういう部分をちゃんと整備することが必要なのではないかなと思いました。上手くバランスが取れるまでしばらくかかるかもしれませんが、やらずに放置すればそのぶん完成は遅れていきますので、始める必要があるんだろうなと思います。セメンヤさんと出会ったときに世界が真剣になることもできたはずですが、まぁ今日より早い日はありませんので、やっていくんだろうと思います。将来の子どもたちがどんな夢を見ていいのか、夢見た世界が冷たく背を向けたりしないのか、ちゃんとわかるように。

「羽有りの居場所はないんだよ」ではなく、

「羽有りの人はこうしてください」がわかる世界。

そういう未来へ進んでいけたらいいなと思いました!



何となく重量挙げは羽が生えててもやらせてくれそうな気がしました!

sports








































婦人公論 2017年 12/27、1/6 合併特大号

僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版 (幻冬舎文庫)

girls




















































































books&DVD






























スポンサードリンク
フモフモの本が出ます!
<アマゾン> 自由すぎるオリンピック観戦術

新書判/224ページ/定価1260円
オール新作の駄文集が、五輪商戦を当て込んでやってきた! フモフモのことは嫌いでも本は買ってください!
サンプルページ…じゃないボツページはコチラ
記事検索
カウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

QRコード
QRコード
Twitter プロフィール
フモフモコラムの中の人です。


最新の社説
最新のコメント
今月のひとまとめ
スポンサードリンク
  • ライブドアブログ